読む女

第8回 『爪』

2010.02.26更新

 病の重かった時は、固よりその日その日に生きていた。そうしてその日その日に変わって行った。自分にもわが心の水のように流れ去る様がよく分かった。自白すれば雲と同じくかつ去りかつ来るわが脳裡の現象は、極めて平凡なものであった。それも自覚していた。生涯に一度か二度の大患に相応するほどの深さも厚さもない経験を、恥とも思わず無邪気に重ねつつ移って行くうちに、それでも他日の参考に日ごとの心を日ごとに書いて置く事が出来たならと思い出した。その時の余は無論手が利かなかった。しかも日は容易に暮れ容易に明けた。そうして余の頭を掠めて去る心の波紋は、随って起こるかと思えば随って消えてしまった。余は薄ぼけて微かに遠きに行くわが記憶の影を眺めては、我ながらそれを呼び返したいような心持がした。ミュンステルベルグという学者の家に賊が入った引合で、他日彼が法廷に呼び出されたとき、彼の陳述は殆んど事実に相違する事ばかりであったいう話がある。正確を旨とする几帳面な学者の記憶でも、記憶はこれほどに不確かなものである。『思い出すことなど』の中に思い出すことが、日を経れば経るに従って色彩を失うのは勿論である。
(夏目漱石『思い出すことなど』岩波文庫)

 
祖父は死を前に、どんどん透き通ってゆくようだった。
白い肌も、目の色も、少しずつ少しずつ血の気配が薄れていき、痩せて骨ばっていったのに、とてもきれいな体だと思った。
二月一日の夕刻に、祖父危篤の連絡が入り、親戚みんなが駆けつけた。
一週間もつかどうかとお医者さんから言われた。
牡丹雪が降る。
それからきっかり十日後の午後に、祖父は逝った。
たくさんたくさん病気で苦しんだけれど、さいごは眠るような安らかさだった。

十日の間、通っては話しかけた。
伝えたいのに伝えられなくなった祖父の言葉を聞き取ろうとしたが、わからなかった。
亡くなる前の日の夜、母と病室へゆき、帰りに祖父の手に触れると、しっかりと握りかえし、
「あああ」
と声を出した。
手をじっと見ていたら、爪の形がわたしとそっくりだと思った。

いぜん、大正生まれで戦争を体験した祖父に、わたしからそのときの事を聞いてみたことがある。
祖父は海軍であったが、仲間との面白かったエピソードや海や船のことしか語りたがらなかった。
色々聞き出そうとしたけれど、暗い顔をして言ったひとことで、わたしは何も聞けなくなった。
「あの頃は、生きていることじたいが罪だと感じていたからね」
戦後、祖父は酒の会社で70歳まで働き、父たち三人の子供を育てた。

お通夜の日、お別れのお振る舞いで、父は祖父が力を入れて研究を重ねたという二種類のお酒と、よく通って最後の食事でもあったF寿司のお寿司を用意していた。

その席で父の従姉であるH叔母が語ってくれた。
「おじちゃまはとっても素敵な人だったのよ。わたしを作ったのは、おじちゃまなの」
裏に住むH叔母の友達はとても優秀で、同じ歳だということもあり、何かと意識するお相手だった。勉強の出来る彼女に、勉強の苦手なH叔母。
ある時祖父が、二人に聞いた。
「あの木、あの葉っぱは、何かわかるかい」
叔母は友達の答えないようすを見ておずおずと言った。
「おじちゃま、あれは、梅の木。梅の葉っぱ」
その夜、祖父はH叔母を初めて褒めたという。
「H、覚えておきなさい。勉強ができることも素晴らしいことだが、木の葉っぱの名を知っているというのは、もっと素敵で豊かなことだ」

祖父の話を、おもったより多く駆けつけていただいた方々から聞いていたが、どの祖父もわたしの知らない祖父の姿であった。
F寿司のおかみさんは、雨にぬれながらも何度も斎場を行き来してくださって、心からありがたく、祖父は喜んでいるだろうなぁと思う。

翌日のお葬式はなみだ雨だったが、出棺のとき、小さな雪が舞った。
祖父の爪も、灰になった。

実家に戻り、みんなで、わたしたちの結婚式に祖父がスピーチしてくれた映像を観る。
「桃子、おめでとう。わたくしたち夫婦は、この日を、楽しみに、楽しみにしていました」
真っ白な髪と髭の祖父が、ひとことひとことゆっくり言い、マイクを両手で握りしめて笑っている。
「――だまっていても、お互いに、お互いを想い、心の通いあえる、良き夫婦となってください」
父が、
「おやじはこんな声だったかなぁ」
と首をかしげる。
途中、数十秒ことばが止まってしまいつつも、
「――おんなの人のスカートと、こういったスピーチは、短ければ短いほどいい、と申しますので、
 わたくしの話は、このへんにさせていただきます」
にやりと笑ってこう終わった祖父の映像を観て、泣き笑いする。

あれから二週間。
すっかり春の香りのする外を夫と黙ってもくもくと歩きながら、いろいろと考えをめぐらせる。
祖母には会えただろうか。
最後、わたしに何をつたえようとしたのだろう。
大好きだったお酒や、F寿司や、M亭や、残した本や、家のしみや、めがねや70歳で乗り始めた車の色や、80歳で始めたパソコンのことや、小さなカードに書き込まれた面白い日記や写真や。
89年の歳月は。
祖父の昔の写真はセピアや白黒だが、その当時は鮮やかな、きょうのような空であったろう。
なんにもいわないわたしに夫は
「思い出す事がたくさんあるということは、きっと幸せなことなんだよね」
と言った。
わたしは、いままで祖父に感謝のきもちを伝えて足りたと思うことがなく、とても悔やまれるのであるが、少なくともあの結婚式の日、祖父が願ってくれた通りの夫婦になれたらと、涙いっぱいでうなずいたのであった。

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木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

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