読む女

第9回 Sさんのダイヤモンド

2010.03.26更新

ハタチの社会人一年目にわたしのついた仕事は、本屋だった。
高層ビルに囲まれた中にある多層階の本屋で、わたしは三階の三課、雑誌と新刊、文芸書の階に配属された。
まったく趣味ではないキリリとした服を着て満員電車に乗って出勤し、慣れない糊のきいた制服を着て、毎日何かにひっぱられ、操られているような春だった。
それでも、朝は必ずまぶしいような、うれしいような気持ちばかりがあった。
生活のほぼ全てが恋愛に埋まっていたわたしが、働くことは、よろこびなのだと思った。
このハタチの春に、わたしにそう思わせてくれた人が、まわりにたくさんいた。

新入社員には、ひとりずつ仕事全般を教えてくれる指導社員という人がついてくれるのだが、わたしには二つ先輩であるSさんという人だった。
細くてショートカット美人のSさんは、お店の顔と言われていた人で、新入社員のわたしは、総務の人から、Sさんが指導社員だと知らされ怯えた。
お店でいちばん怖そうな先輩についてしまった。
同じ階の同期の子は、とても優しそうなベテランのFさんが指導社員である。

しばらくは、徹底的にカウンターでの接客を教わった。
SさんとFさんの指導のしかたは両極端で、Sさんは一度教えたら、とりあえず静かに見守る人で、無駄口はたたかない。
同じことを二度聞けるという雰囲気はない。
こうなるとわたしは毎日必死である。
今でも当時のメモしていた小さなノートを残してあるが、正直何を書いているのかさっぱりわからないうえ、役立つポイントがあまり書かれていない。
「あめのひろっかい」(雨の日は六階からの連絡通路をご案内するという意味)
「〇〇デパートのポイント、つかぬ」
などと、やたら平仮名であったり、へんな語尾の文が、強い筆圧で書いてあったりするばかりなのである。

同期の子は本屋経験者のしっかり者であったので、知識量が違ってどんどん仕事を覚えていく。
一方、アルバイトさえパン屋で三カ月しか経験したことがなく、もともと物覚えの相当わるいわたしは、ありとあらゆる重要事項をこぼし叱られながら、ひた走る毎日だった。
後れをとって周りに迷惑をかけたくなくて、同期とロッカールームで着替えながら、今日覚えたことを一緒に確認してもらって(やさしい同期であった)、行きや帰りの電車で必死で業務のマニュアルを覚えたり、敬語の使い方を練習した。
けれどもお店に立てばマニュアルなどほぼ吹っ飛んでしまい、どうにもならなくなって、まっすぐお客さまと向き合うと、時間はかかったが、何を求められ、どうすればいいのかが自然とわかるようになっていった。
しかしもう朝から晩まで緊張の連続、帰りの電車はよく立ったまま寝た。

そんなふうに三カ月すぎたある日、一つの棚を任されることになった。
わたしの最初の担当は、外国文学であった。
よりによって、まったく興味のない分野の棚だ。
また覚えることが増えた。
同期は男性文学だ。

朝、Sさんに呼ばれる。
「朝と夜、棚に30分ずつ行っていいから、棚構成を紙に書いて覚えながら把握しよう。
どの国にはどの作家の本があるとか、気がついたことを、この白い紙に書き込んでくること」
もちろん同じ指令が同期にも出ていた。

帰宅前のミーティングで、同期と二人してSさんとFさんに宿題の紙を提出した。
ちらりと同期の紙を見ると、しっかりとした説明や、わかりやすい文字と図の棚が書かれており、Fさんにほめられている。
一方わたしの紙をじっとみていたSさんの表情はどんどん無になってくる。
わたしは、アメリカ文学の棚にはポール・オースターの似顔絵を描き、フランス文学の棚にはヴォリス・ビアンの似顔絵を描き、イタリア文学にはアントニオ・タブッキの似顔絵を描き、積んである作品の装丁すべてを紙にフリーハンドで書き写し、色を塗るという、子どものらくがきのようなものを本気で提出していた。

ちら見の時点であまりの同期との仕上がりのちがいに絶対怒られるだろうと思って、下を向いて半泣きで言葉を待っていると、
「へえ。・・・桃子って。」
とSさんは言った。
「本を心から好きになる素質っていうのを持ってるね。
今知らないことを怖がることはない。
これから覚えていけばいいんだよ」
今考えてみても、どうしようもないものを提出したと思う。
けれどもSさんは、とにかくこの子、本が好きなんだろうというところをまず汲んでくれ、その後も厳しいながらも、わたしの愛情が本に、売り場に、お客さまへと向くように、少しずつ少しずつ手をひいてくれた。
楽しいのはこっちですよと。
そして、売り場に訪れるお客さまと本の話が初めてできた日、ケーキを買ってきてくれた。
仕事は楽しい、本屋さんは楽しい! と、心から思えるのがうれしくて、ますます色々なことが知りたくなって、たくさんの本を読み、周りの人に教わる日々だった。

いつだったか休憩のときに、
「Sさんはダイヤモンドみたいにどこから見てもきらきらしていて、羨ましいなぁ」
とわたしが言ったら、Sさんは、
「ダイヤモンドなんていらない。
他人から見たそれはダイヤモンドかもしれないけど、そんなの欲しけりゃくれてやる! ちっともダイヤモンドじゃないかもよ(二ヤリ)
でももしダイヤモンドみたいに見えるのだとしたら、それはわたしが前に頑張って手にいれたもののあらわれなんだろうから、桃子も持てるようになるんじゃない。
ま、10年後だけどねー」
とSさんは笑った。
いつも、冷たいような言葉で、その時はぜんぜんわからない言葉で、けれどもきっと大事なんだと直感でわかる言い方でSさんは仕事の楽しみを教えてくれた尊敬する先輩だった。

あれから12年の日が流れて、先週末はSさんの結婚式だった。
当時、仕入れで、売り場で、仕事の楽しみをわたしに教えてくれた人たちが集まっていた。
いつも、わたしだけでなく、ここに集まったみんなを影でそっと、しかし強く支えていたSさんが、一杯のお祝いの言葉と、春の光の中を新郎と歩いてくる。
その姿は眩しくて、幸せに光り輝き、それこそまるでダイヤモンドそのもののようだ。
この十年もきっと、たくさん人に尽くして、たくさん愛情を注いで、そしてきっとたくさん愛されてきたであろう姿であった。
Sさんだけでなく、そこに集まった人たちみんながそうであったのだろうと思える顔をしていたのがとてもうれしかった。
そして、わたしはこの日の幸せなSさんの姿を見るために、真のダイヤモンドとはなにかを知るために、20代頑張っていたのかもしれないなぁと、本当に突然に思った。

短い生涯
とてもとても短い生涯
六十年か七十年の
・・・
世界に別れを告げる日に
ひとは一生をふりかえって
じぶんが本当に生きた日が
あまりにすくなかったことに驚くだろう

指折り数えるほどしかない
その日々の中の一つには
恋人の最初の一瞥の
するどい閃光などもまじっているだろう

<本当に生きた日>は人によって
たしかに違う
ぎらりと光るダイヤのような日は
銃殺の朝であったり
アトリエの夜であったり
果樹園のまひるであったり
未明のスクラムであったりするのだ

(茨木のり子『見えない配達夫』より「ぎらりと光るダイヤのような日」童話屋)

またいつか、10年後でいい、ふと何か強烈に大切な何かに気がつける日が訪れるように、今変わり映えしないと思うこの日々を、じっくり、しっかり笑って生きて行くんだと強く思う。
そして楽しいのはこっちだよと、だれかに伝えられるような人に、そろそろわたしもなりたいものだ。

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

木村桃子(きむら・ももこ)

ある時は着付けの先生、ある時は書店員、ある時は川原でぼおっとしているひとりの主婦。

KYOTO的で、多くの女性から支持された「読む女」。ひきつづき本誌で連載。

読む女

バックナンバー