遊牧夫婦こぼれ話。

第2回 上海の落とし穴 その3

2014.07.06更新

*<その1><その2>もあわせてどうぞ

 男を斜め前に歩かせて、そのすぐ後ろをついていった。
 河南中路と南京東路の大きな交差点を、車のクラクションの音とヘッドライトをかきわけるようにして、斜めに渡り、河南中路を北に歩いた。

「おい、警察官を一緒に連れて行くからな。いいか」
 そう言ってみたが、「いいよ」とまったく動じる気配はない。
 そもそもぼくが金を巻き上げられたという証拠は何もない。
 その上、警察を連れて行っても、場合によっては言葉が通じない中、
 むしろウソをでっち上げられ警察に金をにぎらせられたりして、
 ぼくが窮地に陥れられる可能性も十分に考えられる。
 異国にいることを否応なく実感させられた。
 
 くそ、どうすればいいんだ。
 どうすればこの男に一番のダメージを当たられるのか。
 どうすれば悔しい思いをさせられるのか――。

 妙案は浮かばなかった。

 そして、それならばとぼくは思った。
 とにかくはったりでもビビらせよう、と。
 静かにポケットからiPhoneを取り出して、カメラアプリを立ち上げた。
 写真を撮って、これを雑誌などに載せるぞと言ったらビビるのではないか――。
 古典的だがそう考え、横を歩きながら、突然彼の前にiPhoneを無言でかざした。
 そして、有無を言わさずシャッターを数回押した。

「おい、なんだよ! なんで、撮るんだ! やめろよ!」

 男はびっくりした顔でこちらを向いた。
 苛立たしそうに僕のiPhoneを手で遮った。

 ぼくは言った。
「この写真を、雑誌とかに載せてやる。撮ったからな!」

 すると男は、手でぼくを遮りながら
「やめろよ!」
 ともう一度言った。

 そしてその次の瞬間、
 彼はその手をパッとどけて、体勢を変えた。

 と思ったら、一気に走り出したのである。
 東西に走る小さい道を河南中路から西に向かってダッシュで逃げた。

 あ――、と思ったとき
 彼はもう手の届かないところにいた。

 男の後ろ姿を見たとき、もう追う気はしなかった。
 ぼくはその場で、一目散に駆けていく男の後ろ姿をじっと見つめた。

 何か最後の捨て台詞でも吐きたかった。
 しかし、いい言葉が浮かばない。
 そうしているうちに彼は、河南中路よりも暗く細い東西の通りを、
 ダッダッダッダッという足音だけを響かせて、
 暗がりの中に消えていった。

 

男をスマホで撮った写真。この直後にダッシュ逃げされた。


 ああ、行ってしまった・・・。
 ただ脱力感に襲われて、その場にじっと立ち尽くした。

 ただ、やり場のなかった怒りは、
 男と対面して言いたいことを言ったことで若干発散された。
 しかしその一方、
 男がいまごろほくそ笑んでいるのだろうかと想像するとまた頭に来た。

 でもこれ以上はどうしようもなかった。

 そのまま男が歩いた道を西に歩いた。
 一応、見つけられただけでもよしとしないといけないのだろう。
 そう思いつつ歩きながら、彼との慣れない
 やりとりによって自分が猛烈に疲労していることに気が付いた。

 このまま地下鉄に乗って宿に帰ろう・・・。
 再び南京東路へと戻り、けばけばしく光り輝く
 ネオンの中をさらに西に歩いた。
 通りの輝きがすべてが胡散臭く見えてくる。

 息をつく間もなくまた、怪しげな男たちから次々に声がかかる。

「ち○ち○マッサージ?」
「セックス?」
「どう? 安いよ。カワイイ子いるよ」
「ドコカラキタ?」
「ニホンジン?」

 無視して通り過ぎても、5秒もするとまた別の男から声がかかる。
 そして、真っ先に、言われるのだ。
 ち○ち○マッサージ?――。

 ふざけんなよ、こいつら・・・。
 ち○ち○ち○ち○、小学生みたいにうるせえなあ。
 聞いているうちに再び怒りが込み上げてくる。
 そして、あの男へのいら立ちが蘇るように、
 途中で本当にカチンときた。

 そしてぼくは勢い余って、ずっとついてくる若い男を思わず威嚇してしまった。
「おい!」
 と言って、急に振り返り、男に向かって攻めるようなポーズをとった。

 ビビって退散するだろう。そう思ったが、よく見ると男も血の気が多そうだった。
 一瞬ビクッとしながらも顔に怒りを露わにした。
 そして、こっちを指さしながら、逆上して声を荒げた。

「HEY! FUCK OFF!!」

 予想しなかった反撃にむしろこっちがビビッてしまった。
 慣れないことをするからだ。

 見かけ倒しでビビりの自分は、
 パパイヤにボディを褒められたとはいえ
(「何気に結構喜んでるんじゃないか?」という推測ははずれです、念のため)、
 ケンカして勝てる自信などまったくないし、
 そもそもこんなところで暴力沙汰を起こせば、それこそ大変なことになるだろう。

 そして、若干目が覚めた。
 冷静になれ、落ち着け、落ち着け・・・。
 こんなところでわけのわからないトラブルを自ら作り出したら本当の馬鹿だぞ。
 気持ちを静めるのに必死だった。

 それからは寄ってくる男たちをすべて無視しながら歩いて行った。
 そして、しばらく歩いたあと、猛烈に疲れを感じ、
 デパートの横のベンチ的なところに腰かけた。

 すると間髪入れずに今度は女性が寄ってくる。
 髪が長く、すらっとして、
 顔つきも整った比較的きれいな20半ばぐらいの子だった。
 彼女は中国語でこう言った。
「すみません、道がわからないんだけれど・・・」

 ああ、またこれか。
 そうか、これは定番の手口だったのかと、
 そのときようやく気がついた。

 脱力感に襲われて、「もういいから」、
 と追い払うように手を振った。すると彼女は言ってくる。
「あれ、中国人じゃないの?どこの人?」

 しばらく黙って無視した挙句、根負けして、ぼくは言った。

「中国語わからないから、聞かないで」

 すると、彼女はマニュアル通りなのだろう、
 昨日の男と同じようなことを次々に言ってくる・・・。

「もう、目的はわかってるから。
 どっかいってくれよ。昨日同じやつに会ったから」

「え、どういうこと、どういうこと?
 私の目的って何?ただ道を聞いただけなのに」

 途中から、英語と中国語が混じりあった会話になった。
 彼女はなかなか英語がうまかった。
 なかなか立ち去ろうとしない彼女を見ながら、ぼくは思った。
 そうか、それならば、
 逆に彼女にこの手口の内実を聞いてみようじゃないか、と。
 ぼくは、昨日騙されて金をとられたこと、
 その上今日も同じような連中が次々に来ることに
 いまむしょうに腹が立ってることを彼女に告げた。

 彼女は「え?いくらとられたの?」などと言って驚いたふりをしながらも、
 ぼくが、「もういいから、いいから」と言い続けると、
 いよいよ自分もまた、同じようにぼくをKTVに
 誘おうとしていることを話し始めた。

「男の人はみんな女の子が好きでしょ?
 女の子としたいんでしょ?
 私は、ただ男の人にお店を紹介するだけよ。
 行くか行かないかは本人の勝手。
 選べるんだから、別に騙してるわけじゃない」

 そんなことを言い、
 結局あなたもお店に行ったんだから、
 やりたかったんでしょ・・・などと言われる始末。

 いやいや、ちがうんだ・・・、などと言いながら、
 細かく説明する気もしなくて、とにかく、まあ、いいから、と、
 彼女がどんな生活をしているのかを聞いてみた。

「昼間は英語を習いに行って、夜はこの仕事をしてるの。
 好きでこの仕事をやってるわけじゃないよ。
 他の仕事を探してるけれど、見つからなくて。
 だからしょうがいないのよ、みな生活のために働くんでしょ」

 そして、言った。

"That's life, right?"

 彼女のその言葉を聞いたとき、
 ぼくは少し笑って
「うん、そうだよな」
 頷いた。

 そして、思った。
 あの男にも、それなりの事情があったのかもしれないと。
 無駄な怒りをぶつけるのではなくて、
 むしろ、金はいいから、その代わりに
 どんな生活をしているのかを教えてくれ、
 と言うべきだったと思い至った。
 それが自分の仕事のはずだった。

 やられたことはむかつくけれど、
 たしかにあの男も、こうでもしないと生きていけないのかもしれなかった。
 怒りとは別に、それを聞きだすことこそ、
 書き手として、自分がやるべきことではなかったのか。
 いや、しかし、あんなに日本語がうまいなら、
 いくらでもまともな仕事を見つけることだってできるはずだ・・・。

 そんなことを思っているうちに、彼女が言った。

「ねえ、飲みに行かなくてもいいから。
 あそこのハーゲンダッツでアイスを
 買ってくれるぐらいいいでしょ」

 それに対して、ぼくは冷たく言い放った。

「何言ってんだ。なんでおれが奢るんだよ。
 おれと話してても時間の無駄だよ。
 他の男を探しにいけよ」

「ちょっとぐらいお金をちょうだいよ」

「ふざけんな、やらねえーよ」

 彼女は顔に怒りを表した。
 そして、「チッ」と舌打ちをして足早に立ち去った。

 彼女が立ち去ると、
 待っていたかのように、今度は2人組の大学生ぐらいの
 女の子が話しかけてくる。
 彼女らを遮って、歩き始め、
 地下鉄の人民広場駅の入口に入ろうとすると、
 次は派手な女の子が、露骨にぼくの腕をつかんできた。

「ねえ、どこにいくの・・・」

――上海ってこんなだっただろうか。
 住んでいたころは、あまり南京東路などには来なかったから
 気づかなかっただけだろうか。
 それとも今回はあまりにも自分が観光客然
 として映っているのだろうか――。

 異国にいるということをこんなにも
 実感したのは久々のことだった。

 地下鉄の駅に入りながら、ぼくはあの男のことを考えた。
 いったい今、あいつはどんな顔をしているのだろう。

 馬鹿な日本人だったな、と笑っているのだろうか。
 そして次の獲物と一緒に南京東路をすでに歩き出しているのだろうか――。
 あの男にも事情が・・・なんていう気持ちは消え去った。
 そしてまた猛烈に怒りが襲ってきた。

 クソッ!

 何度もそう呟きながら、
 そしてその一方、さっき"FUCK OFF!"と言った男の
 仲間なんかがまさか追いかけてきたりしてないだろうな、
 などと若干気弱なことを思いながら、
 ぼくは終電間際の地下鉄に乗り込んだ。

南京東路の歩行者天国の東端から西を望む。この道を、男とともに談笑しながら歩いてしまった。

                 *

 というわけでした。
 われながら、久々にヒートアップしてしまいました(笑)。

 この出来事があったせいか、久々の上海、とても刺激的に感じました。
 万博などを境に中国は変わった、というのはもしかするとこういうことだったりして?

 でも、これ以外は何もおかしなことはありません。これを読んで上海は怖いところだな、とは思わないでくださいね。上海はとっても平和で安全な町です。って、ぜんぜん説得力ないかもしれませんが。
 ただ、上海はおそらく、世界でも数少ない外国人女性が夜一人で歩いても大丈夫な大都市のひとつだと思います。ぼくの妻をはじめ、上海に住んだことのある日本人女性はみな異口同音にそういいます。なのでどうぞご安心ください。
 
 詐欺師も、手口を知っていれば何も怖くないので大丈夫です(女性の場合、チョー感じいい子が現れて、仲良くなって一緒にお茶屋行こうって誘われて、法外な額のお茶を買わされるってパターンも頻発しているらしいので要注意です!)。

 と、こんな話だけで終わってしまいましたが、上海では本当にいい出会いがたくさんありました。やっぱり中国人って温かいなあ、自由だなあ、寛大だなあと思い、後ろ髪を引かれながら帰ってきたのです。
 その中国の魅力については、また別の機会に書きたいです。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

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