遊牧夫婦こぼれ話。

第3回 赤面モノ、思い出の手紙

2014.08.01更新

 最近ふと思い出して、自分の部屋の、旅関連のものをしまってある大きな引きだしを開けてみました。
 すると、懐かしいちょっと厚手の紙袋が奥の方に見えました。あ、と思ってその中をのぞくと、手紙の束がぎっしりと詰まっています。白地に赤と青の縞が入った見覚えのある封筒が何十通も。それは17年前、まだ出会って間もない頃に、現在の妻・モトコが書いた手紙でした。

 詳細は『遊牧夫婦』に一章を割いて書きましたが、ぼくは20歳のとき、初めての一人旅でオーストラリアに行き、首都キャンベラで交換留学生だったモトコに出会いました。数日の出会いの後、なんとか関係を保っていきたいと思い、東京-キャンベラ間で、手紙、電話、メール、ファックスを使って連絡を取り続けていきました。

 ぼくのあまりの執拗な連絡に、何カ月かするとモトコは距離を取り始めました。
 そしてはっきりと拒絶の意思を示されると、ぼくは説得するためにオーストラリアまで行って追い返され、また行ったりといったことを繰り返します。その過程は、半ばストーカー的とも言えるものでもありましたが(最近は深刻な事件が多すぎて、「ストーカー」という言葉は軽々しく使えない状況になってしまいましたが)、結局なんとかうまくいき、その後いまに至るまでの関係が続いています。

 本の中ではぼくが一方的に追いかけ回していたようになっています。いや、途中からはまったくその通りだったのですが、いま引き出しから出てきた手紙の束を見るかぎり、最初のころはそうではない時期もあったことを思い出しました。モトコも思っていた以上に大量の手紙を送ってくれていたのです。

 それらは、21歳だったころの彼女の、いまでは思いもつかないような言葉がしたためられた甘酸っぱく懐かしいものでした。紙の種類や手触り、日によって違う文字の形などから、当時のいろんな感情が思い出され、手紙って貴重だなあと改めて感じさせられます。
 デジタルデータからはすべて流れ落ちてしまう細かな感情のひだや記憶が、紙にはさまざまな形で染みついています。SNSやメール全盛のいまは、圧倒的に多量の情報のやり取りが瞬時にできるものの、それだからこそ逆に、言葉にならないままモノや身体に染み付いたそのときそのときの時間や感情を繋ぎ止めることはできないことを実感します。

 と、そんなことを感じながら一通一通読んでいくと、ひとつ、あ! と驚いた部分がありました。それはモトコが、1年弱のオーストラリア生活がだんだんと終わりに向かうなか、その後の自分の生き方について考え、書いたくだりです。

 留学生活が残り5カ月強となったころ、モトコは、「日本に帰って、就職活動して卒論書いて卒業して働いて」というコースが視界に入り始めたことを綴っています。そしてそのことに対する不安を匂わせています。
 はたして自分はうまくその流れに乗れるのだろうか、いや、そもそも自分はそうやって生きていきたいのだろうか......。
 行間から感じとれるそんな気持ちを絞り出すように、こんなことも書いていました。

「日本から離れて自分の進んできた道を思い返してみると、本当にレールの上を歩いてきたってのが見える」

 21歳で初めて家を離れ、長期間海外で暮らすことによって見えてきた彼女なりの迷いや葛藤、どうすればいいのかはわからないけれどなんとか自分なりの新たな道を進みたいと考えている気持ちが透けて見えます。
 そして、そんな文脈の中、彼女はこう書いていたのです。

 「二人で外国でずっと色んな事をして過ごせたら本当に幸せなのになって思う。でも、そんな事は今は実現不可能っていうのはわかってる」
 と。
 大学を卒業後に長期の旅に出るなどという生き方を、このころのぼくは頭の片隅にすら考えたことはありませんでした。理系の道を進んで、エンジニアになるのか、研究者になるのか、はたまた叶うなら宇宙飛行士に――、という夢のようなことも考えていた時代です。モトコのこんな言葉を読んでも、きっとぼくは何も現実とは結びつけていなかったはずです。

 だから、当時から彼女にわずかでもこんな気持ちがあったなんて記憶はなく、いま読み直してみてとても驚きました。モトコに言うと、彼女も笑って言いました。「私そんなこと思ってたのか......」と。

 その一方、モトコの文面から推測するに、ぼくはその後の生き方についてむしろかなり保守的なことを考えていたようでした。なんと、奥さんは専業主婦がいい的なことを言っていたようで、それに対してモトコが遠慮がちに反論していたのです。
 内容も文面もあまりにも初々しく赤面モノで、17年という時間がいかなるものかをこの文章が如実に示している気がしました。


 この手紙からちょうど6年後、まさかこのモトコの言葉を実現するような長い旅が始まるとは、このときは二人とも想像すらしていませんでした。
 『終わりなき旅の終わり』のあとがきに、この旅はモトコが引っぱっていったようなものだと書きましたが、出会ったころからすでにそうだったのかと、なるほど、と納得させられました。
 彼女はそういう意味で、このころから今までずっと首尾一貫し、一方で自分は、大きく考え方を変えたらしいことを、今回初めて気づかされました。

 人は変わる。180度だって変わることがある。
 先行きも全くわかりません。だから人生は面白い。
 いつまでも、先行きの見えない人生のままでいたいといまも強く思っています。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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