遊牧夫婦こぼれ話。

第4回 短い旅だからこそ

2014.09.05更新

 詐欺にあった上海に行ったのと同じ連載の仕事で、8月、ドイツに行きました。世界最大級のハブ空港があるフランクフルトを中心に10日ほど好き勝手見て回る、というのが今回の任務です。
 空港から電車に乗ってフランクフルト中央駅に降り立ち、地下から階段を上って地上に出た瞬間、思わず「あ!」と声がでました。
 すっかり忘れていましたが、考えて見たら、そう、この駅こそが、6年前、ユーラシアを横断したときにドイツに入って初めて降りた駅だったのです。壮麗な石造りの駅舎の中に響く鐘の大きな音を聞きながら、ああ、ヨーロッパに来たんだと思うと同時に、あの当時の自分たちを思い出して思わず胸が熱くなりました。

 そんな風景から始まった今回の旅は、フランクフルトとその近郊で数日過ごしたあと、その南80キロにあるドイツ最古の大学都市ハイデルベルクに行き、そこからフランスへちょっと国境を越えてヴァイセンブルクというフランスの小さな町に一泊してからフランクフルトに戻る、というものでした。
 6年前、中国を出てから9カ月ほどを経た末にフランクフルトに着いたときと比べると、今回は、それはそれは短い旅でした。素晴らしい出会いが多く、感激も多かっただけに、ああ、もっとゆっくり見られたらな、とも思いました。でも、同時に思ったのです。この感動は、日数が限られた短い旅ならではのものかもしれないな、と。年単位の長旅で感じたのとは違った感覚に、ぼくは包まれていたのです。とくにそう感じたのは、旅も終盤となり、ドイツからフランスへ国境を越え、ヴァイセンブルクという町へ行ったときのことでした。

ドイツからフランスへ向かう電車から


 電車に乗ってドイツからフランスに国境を越えても、国境を越えたことはすぐにはわかりません。パスポートのチェックがあるわけではないし、風景が急に変わるわけでもないからです。教えてくれたのはスマホがフランスでの通話料などについて知らせるために送ってくれるショートメッセージ。見渡すかぎりの草原とトウモロコシ畑の中を延々と走っていることとこの現代的な道具の対比をなんとも不思議に感じながら、注意深く外を見ると、家の屋根の形が変わり、通りの表記がフランス語になっていることに気がつきました。

 ヴァイセンブルクの駅は、屋外のシンプルなホームの横に小さな駅舎が置いてあるだけ。その駅舎に入って、とりあえず宿探しをするために町の中心部の方向を尋ね、歩き始めることにしました。駅でもまったく英語が通じないところからフランスを実感し(ドイツでは多くの人がまったく違和感なく流暢な英語を話す印象でした)、心を浮き立たせながら駅を出ました。
 この町について知っていることは、その名前だけでした。"Wissembourg"と地図にあり、電車で来られるという情報だけ。"Wissembourg"をどう読むのかもこのときは知らず、なんとなく「ヴィッセンブルグ」と勝手に読んでいましたが、じつは「ヴァイセンブルク」らしいということがわかったのも日本に帰ってからのことでした(ただしこれはドイツ語読みで、フランス語読みは違うとか)。
 まったく知らない町の中で、言葉も通じず、文字も読めず、今日どこに泊まるかも決まってない状態で一人歩いていることに、ぼくはこのときすごい解放感と心地よさを感じていました。普段日本で生活していてこういうことはまずないことを思うと、これがいかに貴重な時間かを実感しました。
 これからどんな風景が出てくるのだろう、どんな人と出会うのだろう。そう思いながら、街の中心部に近づいていくと、とんでもなく古そうな建物が次々に見えてきました。そして後から、それらの建物がすべて15世紀とか16世紀とかに建てられそのままいまも使われていることを知って、ただただ圧倒されました。まるで中世に舞い込んだかのような気持ちになったのです。

 木々に溢れた公園に行ってみると、絵を描いている人がいました。見ると彼とその連れの男性は、ドイツからの電車のすぐそばに乗っていた人であることに気がつきました。話しかけると、絵描きはウクライナ人で、その連れの、アシスタントらしい男性はロシア人とのことでした。
「Wissembourgでアーティストの集まりがあるって聞いて来たんだけれど、なかったみたいで、だからちょっと絵を描いたらまたドイツに戻るよ」
 ドイツに住んでいるとのことでしたが、ウクライナ人とロシア人だったので、ユーラシア横断中にキルギスで習ったロシア語をちょっと話してみたりしました。
「ヤ・ハチュー・チョルネイ・コフェ」
 唯一自信を持って言えるこのフレーズを口にすると、ロシア人の男性が、「あはは」と笑ってくれました。――ブラックコーヒーをください。そんなことしか言えなくなっていることが少し残念だったり、でも、キルギスの日々といまがつながっていることを思って感慨深くもなりました。

 そしてそのうちに、ウクライナの問題のことを思い出し、この組み合わせだと、2人はあの問題についてどういう会話をするのだろうか、と思ったりしました。聞いてみたいな、という気持ちもあったものの、いきなりそんなセンシティブな話をするのは失礼な気もして、ぐっとこらえ、ただ、彼が雲にいろんな色をなでつけていく様子を眺めていました。
 こうしてすれ違う一人ひとりに自分と同じだけの長い人生があるということが、当然のこととはいえ、ときどきすごい不思議に感じることがあります。そして、全く別な人生を過ごしてきた人と、偶然に交わり、人生のある一瞬を共有できることが奇跡のようにも思えるのです。
 いま、目の前にいる彼らはどうしてドイツに住んでいるのだろう。どういう人生を送ってきたのだろうか。そんなことを想像するだけで、世界がぐっと広がることを実感し、ぼくは改めて、ただこうして人とすれ違うだけで、旅というのはする価値があるんだと感じたりしていました。

ヴァイセンブルクを象徴する教会(左後方)は1300年代のもの


 ヴァイセンブルクでは、このように一つひとつの景色に心が動かされ続けていました。何も調べずにここに来たのがよかったのかもしれません。中身を知らずに開けるプレゼントがうれしいのと同様に。また旅が終盤に入っていたからということもあるのだろうなと思いました。
 でも、一番の原因は、もしかすると旅が短いからなのではないだろうか――。
 ぼくはこの町に来てそう思うようになりました。
 10日という限られた期間だと、毎日のように一期一会の出会いが訪れ、後ろ髪を惹かれながら町を発つということが繰り返されます。もちろんそのぶん、その町のことはほとんどよくわからないままで終ってしまうのですが、しかし、いい出会いがあったときや、その町にぐっと惹かれたときなどは、時間が短いからこそ、いまこの瞬間が貴重に思え、明日出ないといけないからこそ夕焼けが心にしみるんだろうと思います。この感慨は、「遊牧夫婦」の旅の中で感じたのとはきっと別種のものでした。それが今回とっても新鮮でした。

 夜8時ころ、まだ日が落ちてない中、何百年も前の建物に囲まれながら、賑わっている店の外の席に座って夕食を食べました。メニューがフランス語で一切読めないので、みなが頼んでいるピザ様のものと500mlのビールを一杯だけ頼みました。
 夕日の赤い空の中、影がかかっていく周囲の建物を眺めながら、これらの建物を作った人がみな死んでこの世にいないということがなんだが不思議に思えてきました。そして、この建物一つひとつに染み込んでいる無数の人生の重みを感じ、いま自分が、この何世紀にわたってこの町で生きてきたすべての人々に見守られているような気持ちにもなりました。

 こうして、街が500年くらい変わらないままであるというのは、この町の人々が、経済性などよりも明らかに大切にすべきことがあるということを知っているからなのではないだろうか。効率的に生きることがどうしてそれほど大切なことがあろうか。そんなことより、いま目の前にいる大切な人と素敵な時間を過ごすことの方が大切に決まっているじゃないか。誰でも生きられる時間は限られている。だから、一日一日を楽しみながら、大切に生きなさい――。
 そんな声が聞こえてくるようでした。そして、この町の人々が何を考えて生きてきたのかを想像し、自分も、この有限な時間をどう生きていくべきなんだろう、いや、そもそも、何のために生きているんだろう、などと、いろいろな思いが次々に頭の中を去来しました。

 人生は有限だからいいということを最近よく感じます。とすれば、この旅も短いからこそいいのかもしれない。短いからこそ、いま自分は、あらゆる風景からいろんなことを感じ考えることができているのかもしれない。そんなことを思いながら、ぼくはギャルソンの「ボナペティ」という言葉をありがたく受け取って、一日の終わりを惜しみつつ過ごす老夫婦や中年の男女とともに、ゆっくりと夕食を楽しみました。

 これまで、旅は長いに越したことはないと思う気持ちがどこかにありました。でも、必ずしもそうではないと、いま強く感じています。長い旅には長い旅でしか得られない深い感動がたしかにある。でも、それと同じように、短い旅には短いからこその鮮烈な感動があるのだ、と。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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