遊牧夫婦こぼれ話。

第7回 ものを書いて生きていく 後編

2014.12.06更新

 石井さんの『遺体』が刊行になったのは、そんなことをだんだんと強く感じるようになっていたときのことでした。
 まだ震災から半年ほどしか経っていない10月のことです。まず、その刊行時期の驚くべき早さに驚かされました。そして実際に読んでみて、作品の凄まじい熱量、さらには、石井さんのした仕事の意義の大きさに、ぼくはただただ圧倒されました。

 石井さんはきっと、書き手である自分は書くことによって一番力になれるということを当然のことと考えていたと思います。そしてその強い思いを、猛烈なエネルギーと決意によって行動に移し、そのときできうる最高の形で世に出しました。一方自分は、まがりなりにもノンフィクションを書こうと志しているのに、その根本である、人に話を聞くという時点で躊躇して踏み出せずにいたのです。

 当事者に話を聞くことが時に容易ではないのは当然のことです。取材することの大変さ、難しさは、取材する人間であれば誰もが多かれ少なかれ経験することであり、書くことを生業とするのであればそれは当然乗り越えなければならないことです。であれば、話を聞かせてもらうべき相手がいるとき、その大変さは、いかに乗り越えていくかという問題であって、やるかやらないかを悩むべき問題ではないはずです。
 『遺体』を読み進める中で、石井さんの、おそらく並々ならぬ苦労が随所から感じられ、また1行1行に込められた情熱を感じながら、なんとなく言い訳をつけて話を聞かずに終わってしまった自分を、心から情けなく思いました。

 少し話は遡りますが、石井さんと自分とはじつは同じ学年の同郷で、共通の友人も多くいることがこの前年2010年にわかりました。
 そうした縁によってその年、東京で一緒にトークイベントをやらせてもらう機会を得ました。ぼくはちょうど『遊牧夫婦』を出して間もなく、石井さんは『地を這う祈り』を出した直後のことでした(イベントの詳細はこちら)。

 そのときぼくが、石井さんと自分が一番対極的だと感じたのは、仕事へのスタンスでした。石井さんは、「全生活が仕事、自分にとって書くことがすべてである」と言い切りました。その一方自分は、「自分にとって書くことはまったくすべてではない、あくまでも日々の生活があった上での仕事」といったことを言いました。

 ぼくは、自分のスタンスを大切にしたいと思ってはいたものの、「仕事に関係ないことは一切断つ」と言い切れる石井さんの並々ならぬ決意に気圧されていました。そしてイベント終了後、出口のところで石井さんがお客さん一人ひとりへ、サインを書いた紙を用意して挨拶をしながら配っているところを見て、石井さんの、仕事をする人間としての高い「プロ意識」を感じたのです。そんなことは一切考えてもいなかった自分との意識の違いをまざまざと見せられたような気がしました。

 そしてその1年後、『遺体』を読んだとき、このイベントで感じた石井さんと自分との意識の違いをはっきりと思い出したのでした。
 自分にとって書くとはどういうことなのか。真剣に考えるようになったのは、それからのことです。文筆業で生きていくのであれば、書くことにもっと明確なプロ意識を持たなくてはいけない。ようやくそういう自覚が芽生えてきたのでした。

 そのときから3年が経ちました。いろんな人に助けられながら自分もなんとか、書くことを生業としていまに至ることができています。
 この原稿を書きながらあのころを思い出すと、いまの意識は当時とは随分違うように感じます。プロ意識と呼べるようなものを持ったことで、仕事への向き合い方、覚悟、さらには書くものそれ自体も少なからず変わりました。そしてこの気持ちが自分の中で明確になったことでようやく、書き手としてスタートラインに立つことができたのではないかという気もしています。石井さんは同世代の書き手としてすでにまったく次元の違うところに行かれていますが、あのときの自分との意識の差を思うとそれも当然のことなのだと納得できます。

 いまさらこんなことを書くのは正直恥ずかしさがあります。ただ、人前で話をさせてもらうことは、こうした記憶を呼び戻すきっかけも与えてくれるのだなとうれしくも感じています。

 いまの自分の意識が、3年後、5年後、どうなっていくのか。自分がどういう書き手になっているのか。そんな想像をすると気持ちがすっと引き締まります。そして、もう一度、と思えるのです。この原稿も、もう一度推敲しなければ、と。


  

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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