遊牧夫婦こぼれ話。

第9回 10年という時を経て

2015.02.06更新

 1月半ば、妻と娘2人がオーストラリアへと旅立ちました。向かったのは西オーストラリア州のバンバリー。2003~04年にぼくと妻が半年ほど過ごした「イルカの町」で、ぼくたちにとってとても思い出深い場所です。
 いつか再訪したいと思いながら10年以上が経ち、日本に帰ってからもなかなか具体的に計画を立てることができなかったのですが、今回、いろんな条件が重なって、ついに実現することになりました。
 行くなら1カ月ぐらいは行きたいという妻・モトコの希望通り、1月半ばから2月半ばまで行くことに。ただ、ぼくは仕事の都合でそこまで長くはいけないので後半合流することにして、ひとまず先に旅立った妻と娘2人を見送ることになりました。

 昨年は、何か楽しみなイベントがあるごとに娘のどちらかが体調を崩し、ことごとくキャンセルとなる1年でした。春に友人一家と計画していた沖縄旅行は、前日に次女が発熱した上に痙攣を起こし、沖縄の代わりに病院に。その数週間後にあった友人の結婚式も、2日ほど前に次女が再び熱を出し、ぼくと次女はお留守番。そして10月、長女の運動会のときは、出がけに朝食を食べているとどうも当の長女がおたふくかぜらしいことが発覚して、急遽欠席。そんなことが続いたので、今回も出発の当日までずっと気をもんでいたのでした。

 モトコは『遊牧夫婦』の旅を終えてから海外がかなり縁遠くなっていたので、このバンバリー再訪を4、5カ月前から楽しみにしていました。キャンセルになってしまったらあまりにも不憫です。しかも、キャンセルも変更もできないチケットだったので、行けなくなったら金銭的なダメージも多大です。
 出発5日ほど前に長女が突然発熱し、まさかのインフルエンザかと大きな緊張が走りましたが、それもなんとかクリア。そうして最後まで油断できない日々の末、なんとか無事に出発することができたのです。


 ぼくたちにとって、バンバリーはまさにいろんな意味でのスタート地点です。ライターとしても、夫婦としても、旅としても、すべてがここから始まりました。その場所に、当時はいなかった子どもとともに10年以上ぶりに戻ることを想像すると、これまでの旅とも比べられない特別な感慨がわいてきます。
 バンバリーには、いまも複数の友だちが住んでいます。地元のオーストラリア人はもちろんのこと、当時のボランティア仲間の日本人の一人もその後バンバリーに住むようになりました。また、モトコにとっての当時からの親友も去年オーストラリア人と結婚して、もうすぐバンバリーに移り住むことになっています。

 そうしたいくつもの楽しみな再会が待っていることを思うとき、ぼくはいつも、ひとりのおばあさんのことを思い出します。『遊牧夫婦』の中にも登場するローナです。
 彼女はイルカボランティアの仲間で、いつも陽気で声を上げて笑っているとてもかわいらしい女性でした。ぼくらは彼女がとても好きで、当時の拙い英語ながらもビーチでよくいろんな話をして過ごしました。
 彼女は日本の文化にもとても興味を持ってくれました。たとえば漢字の成り立ちについて、「海」は「水しぶき」と「お母さん」の絵からできているといった話をすると、目に涙を溜めんばかりに感動してくれたりするのです。また、日本人に強い親近感があったのか、ときに日本人のボランティアだけを家に招いて絶品のスコーンを振舞ってくれたりもしました。ローナはまさに、ぼくたちにとってバンバリーでの祖母のような存在だったのです。

 とくに忘れられないのは、彼女との別れです。ぼくらは7万円ほどで購入した緑色のボロボロのバンでバンバリーを出発することになったのですが、その出発の何日か前、バンの側面の窓につるす小さなカーテンを彼女に縫ってもらったのが、ローナとの別れのときとなりました。

 ローナの家で、こぎれいに仕上がった紺色のカーテンを受け取って、ぼくたちは彼女の家の前に停めたバンの横で、ローナとの別れを惜しんだ。思わずぼくもモトコも涙ぐんでしまったのを見て、ローナは、いつもながらの元気な様子で、「そんなに泣きなさんなよ!」とぎゅっと抱きしめてくれた。

 ぼくもモトコも、幼いころから家に祖母がいる環境で育った。ぼくの祖母はすでに他界していたが、モトコの祖母は京都の実家で元気に暮らしている。ぼくたちは二人とも、ローナを自分たちの祖母と重ねていた。ローナにすごい親近感を感じ、一緒に過ごす時間をとても心地よく感じたのは、どこかで、自らの祖母を懐かしんでいたからのように思う。そして自分たちがいつまたバンバリーに戻ってこられるかもわからないことを考えると、ローナとは、もしかするとこれが本当に最後の別れになってしまうかもしれない、というリアルな感触を拭いきれなかったのだ。

 でもそんなことをふと思ってしまったぼくたちを、ローナはこう言って元気に送り出してくれたのだった。
 「今度来るときは、リトルユウキ&モトコを連れてらっしゃいよ!」

                     (『遊牧夫婦』 15 オーストラリアとの別れ)


 まさに今回、「リトルユウキ&モトコ」を連れての再訪が実現することになったのです。
 あのときは、そんな日は来ないかもしれないという気もしていました。その後東ティモールで仲良くなったヘンリーというオーストラリア人が、別れ際、「もう会わないだろうけれど、元気でな」と言いましたが、その言葉の通り、旅先で知り合った人とは多くの場合、きっともう会うことはないと考える方が自然なようにも思っていました。とりわけ、すでに高齢だろうローナとは再会できるチャンスはないかもしれない、と。

 しかし、10年という時を経て、あの言葉は現実になろうとしています。
 ぼくたちにとってもローナにとっても、それぞれ人生は進みました。自分たちの娘の存在はまさにその象徴とも言えます。しかし同時にきっと、バンバリーに戻ったら、いまは忘れてしまっているさまざまな感情や感覚が瞬時に蘇り、当時のままに戻れるような気がします。そのように身体の奥底に染み付いた記憶こそが、旅を通じて出会った大切な人や場所が与えてくれるものなのではないかと思います。

 モトコは懐かしの地に何を感じ、娘たちは初めて見る異国の風景に何を思うのか。そして自分はいったいどんなことを思い出すのか。ぼくはそんなことを想像しながら、ようやく明るくなりだしたばかりの早朝の京都駅で、特急「はるか」に乗って関西国際空港に向かう3人を見送りました。
 この文章が掲載されるころには、ぼくもきっと、ローナとの再会を果たしていると思います。イルカが訪れる暑い真夏のバンバリーで。

ローナ(中央)とボランティアたち。2004年2月


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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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