遊牧夫婦こぼれ話。

第10回 はじまりの場所へもう一度

2015.03.06更新

 前回書いた通り、2月、ぼくは、11年ぶりにオーストラリア西部のバンバリーを訪れました。すでに1月半ばから行っていた妻・モトコと娘2人とはまずパース(西オーストラリア州の州都で、外国への玄関口)で合流し、パースに住む友達の車を借り、家族4人で180キロほど南のバンバリーへ向かいました。『遊牧夫婦』の旅のスタート地点である「イルカの町」に、ついに戻れることになったのです。

「おお、『バンバリー』出てきたよ!」
 まだパース近郊にいながら、"Bunbury"という表記が出てくるだけで気持ちが高ぶりました。すでにすっかり遠い存在になっていた町。しかし自分たちにとって特別な町。どう変わっているのだろうか、いないのだろうか。自分は何を思い出すのだろうか――。
 パースからバンバリーへのフリーウェイ(高速道路)の両側の風景は、当時のイメージ通りでした。強靭そうな灌木が生える赤土の大地が延々と続いたり、黒や茶色の牛たちが静かに草を食べる牧場がどこまでも広がったり。そんな風景を眺めながら、ボロボロの緑のバンで大陸を縦断した2004年のことを肌の感覚として思い出しました。ただ、あの頃は、モトコが助手席、ぼくが運転席に座ってただけだったのに、いまは、後部座席にモトコとともに、2人の娘が座っている。そういえば、あのバン「ハーキー」は、いまごろどうしているだろうか......。

大陸縦断の旅のあと、ダーウィンにて、新たなオーナーとなったイギリス人カップルとともに旅立つハーキーを見送る。ぼくたちが見た最後の姿


 パースから約2時間。いよいよバンバリーに着きました。
 フリーウェイを降り、大きなラウンドアバウト(円形交差点)を半周してまっすぐ進むと、すぐに懐かしい風景が見えてきました。道路の脇の緑の芝生。幹がつるりとしたユーカリの木々。そして大きなショッピングモール。その先には、当時から目印だったモグラが上を向いたような形のバンバリータワーが、おそらくいまも一番高い建物として存在していました。ああ、全然変わってないなあ。思っていた以上に感傷的になっている自分に気がつきました。
 懐かしい風景をすぐにもっと見たくなり、そのまま自分たちの生活圏だったエリアまで一気に行くと、思わず何度もブレーキを踏んで周囲を見回したくなるほど、いろんな記憶が鮮明に蘇ってきたのでした。

――最初にバンバリーに着いたとき、この辺でバスを降りて、宿までの道を尋ねたんだった
――ビーチでのボランティアを終えたらいつもこの道を歩いてショッピングセンターまで買い物にきてたんだった
――クリスマスのときにはこのビーチでみなで集まってパーティーをしたんだった
――緑のバンでバンバリーを出発する前、このホームセンターで必要な道具を揃えたんだった
――あ、バンの点検をしてもらったのは、確かこのあたりの自動車工場だったはずだ
――あの人の家はこの辺では

 10年以上おそらくずっと記憶の奥底に眠りっぱなしだったいくつもの出来事が、それら場所を見た瞬間に急に目覚め出したのです。
 とくに、ぼくたちが半年間働きながら住み込ませてもらったWander Inn Backpackersのそばの交差点にあるHenry's というカフェを見たとき、バンバリーで暮らしていたときの感情が全身を満たすように湧き上がってきたのでした。
 それは、ボランティアをしていない日によく1人で行って、自分なりにライターらしきことをしようとあれこれ考えていたカフェでした。文章を書くことがまだほとんど仕事になっていなかったあの当時、カプチーノを頼んで、自分でも何をすればいいのかわからないまま、あれこれ考え、調べ、書いたりしていた場所だったのです。Henry'sという名前すら忘れていましたが、まったく変わらないその外観の奥には、その当時の自分の姿が見えてくるような気がしました。

 この旅はこれからどうなっていくのだろう。果たして自分は文章を書いて生計を立てることなんてできるのだろうか。自由で開放的な毎日の中、このカフェでふとそんなことを考えていたときの気持ちが、ココアパウダーをかぶって表面がこげ茶色になったカプチーノの香りとともにふと思い出され、思わず声を上げてしまいました。
 たしかに、自分の青春の一コマが確実にこの町にあったんだ。ぼくはこのカフェを眺めながら、強くそう実感したのでした。

 そしてその翌日、毎日通ってボランティアをしたビーチに行きました。ビーチ周辺の芝生は随分きれいに整備されていたものの、砂浜に降りると、景色はほとんど何も変わりません。そして海を見ながら白い砂を踏みしめて歩くと、当時からボランティアの居場所となっていた古いコンテナの小屋が見えました。
「ユウキ! モトコ!」
 当時からいる地元のボランティアのリンダとヘレンが、ぼくらが来ることを知っていて、小走りで駆けてきてくれました。2人も自分たちも、10年分だけ年を取ったことは間違いありません。しかし、違和感は何もありませんでした。ひとつ大きな違いと言えば、当時まだあまり思うように英語が話せず、また吃音の影響もあって、大した話ができなかったものの、今回再会して10分ほどで当時の何倍もの内容の会話ができているように感じたことです。あのころが旅の始まりだったこと、そしてバンバリーを出てから4年以上続いた旅の間で自分に起きた少なからぬ変化を思いました。

 そのうち、ビーチにイルカがやってきました。
「来たわね」
 海を見て、リンダが言いました。
「あれはエクリプスよ。あなたたちがいたときによく来ていた、レヴィー、覚えている?あの子どもなのよ」
 赤シャツを着たボランティア、続いて20人ほどの観光客が海に入っていきます。そしてみなで一列になって、静かにイルカを眺めます。


 モトコは次女を抱っこして海に入り、ぼくは一度海に入ったものの、怖がって入りたがらない長女に呼ばれて、その後は一緒に砂浜からイルカの様子を眺めていました。笑顔で眺める人々の目の前をエクリプスは静かに行ったり来たりしています。その様子を見ながら、2003年初めてこのビーチに来た日のことを思い出しました。

 強い風にかき混ぜられてザッパンザッパンと荒れた海。水中で砂が舞い上がり濁ったその海面に、ぼくには何も見えなかった。だが、しばらく見ていると、波の合間にときどき姿を現すグレーの三角形の物体があるのがわかった。水面を動き回るその物体がイルカの背びれだということを理解するまでには、それほど長い時間はいらなかった。
 背びれは、姿を見せたり隠したりしながらも、海の荒れなど全くかまわない様子で、ゆっくりと砂浜のそばまでやってくる。その下に隠れているはずの体の全貌は見えない。しかし、一頭の野生のイルカがたしかにそこにいるのがわかった。

 それはぼくにとって全く新しい風景だった。イルカが海にいるのは当たり前かもしれない。だが、イルカといえば、〝C-C-B〟のインカムマイクだった自分にとって、目の前に野生のイルカがいるというのは驚くべきことだった。
 ボランティアのおじいさんたちは、腰まである大きな長靴のようなものをはいて海の中に入っていく。何をするわけでもない。ただうれしそうにイルカを見ている。そしてたまにイルカに話しかけたりしながら、そのイルカが「誰」なのかを見分けるのだ。こんな寒い中、朝早くからじっと海に立つ彼らの背中は、イルカが本当に好きな人たちであることを物語っていた。

 イルカは座礁しそうなほど浅瀬までやってくる。何をするでもなく、ただそこにいる。それが欠くことのできない習慣であるかのように、波に揉まれながらおじいさんたちが立つそばをウロウロしているのだ。そんなイルカと砂浜を、波はザパッザパッと打っては引いていった。
 この一頭のイルカの動きを見ているだけでも、バンバリーのこのビーチがイルカにとって特別な場所であることが感じられた。そして同時に、イルカ好きの人間にとってここが夢のような空間であることも。

 モトコは、波間に見える背びれを、声も出さずにじっと食い入るように眺めていた。そしてぼくは、おそらく彼女以上にその光景に息をのんでいた――。
 そこにいるのは、おじいさん三人、ぼくたち二人とその他数人、そして一頭のイルカのみ。そんな贅沢な瞬間から、ぼくたちの半年間に及ぶボランティアの日々が始まった。
                   (『遊牧夫婦』 3イルカの来る町)



2003年7月。初めての日


 ここがすべての始まりの場所だった――。
 水面から出たり入ったりを繰り返すエクリプスの背びれを見ながら、改めてぼくはそう感じました。

 バンバリー滞在中はずっと、当時のボランティア仲間の日本人で、その後こっちで暮らすようになったちえちゃん一家の家に泊めてもらいながら、いろんな場所に通い、できる限りの人に会っていきました。
 もちろんローナ(前回参照)とも再会を果たしました。カフェでお茶をしながら、ぼくは聞きました。
「バンバリーでお別れをしたときのこと覚えてる?『リトルユウキ&モトコを連れていらっしゃい!』って言ってもらって、モトコもぼくも泣いてしまって。今回それが実現して本当にうれしいよ」
 そう言うと、
「あら、そうだったかしら......」
 と、目を輝かせて、変わらぬかわいらしい笑顔を見せてくれました。
 一週間の滞在の後、ぼくらが出発する日にも、ローナは時間を作って会いに来てくれました。86歳になったいまもテニスをしているとのこと。次に来るときもきっとまた変
わらず元気に違いない。そう思いながら、今度は笑って別れることができました。

 10年経っても思っていた以上に何も変わっていませんでした。すべての風景が懐かしく、あの日々が自然と自分の中に戻ってきました。
 ただ、同時にこう感じることもありました。
 昔に戻ったような気がしたとしても、やはりあのころには戻れないんだ、と。いろんな思い出がこびりついた場所だからこそ、こうしてここに来ると、時間がたってしまったという事実、自分が年をとったという事実をはっきりと突きつけられる。そしてふと寂しくもなったのです。
 しかし、昔に戻れないことはみなわかっている。いくら望んでも寂しがっても。
 だから、こういう土地を持っていることをただ幸せに思うべきだと、思い直しました。そしていつかまた戻ってくる。そのときを楽しみにしよう。変化を受け入れ、時間の経過を楽しみながら。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

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終わりなき旅の終わり

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