遊牧夫婦こぼれ話。

第12回 吃音と生きる

2015.05.02更新

 2年ほど前から、「吃音」をテーマにしたノンフィクションを書いています。
 吃音とは、どもって言葉がうまく話せないことです。周囲からは一見それほど深刻な問題に見えずとも、本人にとってはときに人生を左右するほどの悩みとなります。
 たとえば、マリリン・モンローはずっと吃音で悩み続けた人で、彼女のセクシーな話し方は吃音がきっかけで生まれたとも言われています。同じく吃音に悩まされたブルース・ウィルスは、演技をするときだけどもらないことに気が付いて俳優を目指したのだとインタビューで答えています。アナウンサーの小倉智昭さんも吃音があることで知られていますが、彼は、自分の吃音をからかった人たちを見返してやりたいという気持ちから、うまく話せるようになりたいと思い、いまの仕事に至ったそうです。

 吃音を持つ人は100人に1人の割合でいると言われますが、原因はわからず、これといった治療法もありません。そのことが苦しさを大きくし、吃音の苦悩をきっかけに命を絶つ人も少なくないというのが実情です。
 ぼく自身、高校時代から長い間吃音に悩まされてきました。旅をしながらフリーでライターをやっていこうと考えたのも、吃音が大きなきっかけの一つでした。電話がうまくできない、名前が言えないといった問題があったため、会社などには勤められないような気がしたのです。それがすべての発端でした。吃音で苦しむことがなければ、きっと自分は、就職をせずに年単位の旅に出るという大胆な選択をすることはなく、ライターにもなっていなかったと思います。

 2003年に日本を出てからも、吃音はずっと大きな悩みであり続けました。しかし、中国に住んでいた2005年に、大きな変化が訪れました。いまも理由はわからないのですが、急に話しやすくなり、そのまま吃音が軽減していったのです。その後浮き沈みを繰り返しながらも問題は確実に減っていき、日本に帰国してから数年の後には、ほぼ完全に消え去っていました。
 いまでこそ言葉が詰まって悩むということはなくなったものの、吃音は自分にとって高校時代からもっとも切実に悩んできた問題でした。そして、もっとも身近で重要なテーマであり続けています。

 ライターを志すようになって最初に取り組んだテーマも吃音でした。吃音についてであれば、自分ならではのものが書けると思ったからです。そしてそのころから、いつか吃音についてのしっかりとしたノンフィクションを書きたいと思い続け、ようやく2年前からその機会を得ることができたのでした。

 取材を通じて吃音を抱える方たちに会い、その苦悩を聞かせてもらいながら、ぼくは自分が吃音で苦しんでいたころの気持ちをよく思い出すようになりました。その一方で、話を聞かせてもらう吃音者たちの悩みが深いほど、すでにある意味吃音を過去のこととして振り返ることができてしまう自分が、わかったような顔をしていていいのだろうかという気持ちも湧き出てきました。
 いま苦悩されている方たちの気持ちは、すでに自分にはわからないのかもしれない。そのようにも思うからです。

 しかし先月、ふとしたことをきっかけに軽い吃音症状が戻りました。朝、娘を保育園に送った際にある人と話したときに突然どもりそうになり、その後、不安定な気持ちのまま美容室に予約の電話を入れると、名前を言うときに詰まりそうになったのでした。聞いていた相手からすれば、おそらく、全く気付きようのないような瞬間的な"間"でしかありません。しかし、吃音の感覚を知っている身からすると、それは何にも増して恐ろしく感じる出来事でした。そして、それをきっかけに思わぬ感覚が蘇ってきたのです。

 喉の辺りが硬直してうまく動きそうにない。もしいま誰かに名前を聞かれたとしたら、きっと自分の名前を言うことができないだろう。とても心細く不安な気持ちにふと心が満たされました。次どもったら、もしかするとすべて元通りになってしまうのではないか。吃音が治ったと思ったのは、やはり儚い夢だったのではないか。15年以上にわたって悩まされた感覚が突然生々しく自分の元へと戻ってきたのです。

 吃音さえなくなれば、という思いは高校時代からずっとあった。吃音から自由になることさえできれば、きっと自分はもっといろんなことができるはずだと思っていた。
 昆明にいたこのときは、吃音さえなければ、もっと前向きに積極的に人に会い、さまざまな取材をすることもできるはずだ、吃音さえなければ、きっと自分はもっといろんなことが書けるはずだ、吃音さえなければ、自分はきっと新たな境地に踏み出せるはずだ......、と思っていたのだ。
 ただ実際にそんなことはありえないことはわかっていた。吃音がなくなったらすべてが好転するなどということはまったくの幻想でしかないだろう。すべてを吃音のせいにして自分は逃げているだけなのではないか――。そう思いつつも、やはりぼくは心のどこかで、吃音さえなければ、とずっとそう信じ続けてもいたのだ。

             (『中国でお尻を手術。』 17 突然治った吃音 より)

 中国雲南省の昆明で突然の変化が訪れるまで、ぼくはいつもそんなことを思っていました。あの感情はすでに消えていったはずだと考えていましたが、それがいまも自分の中にはっきりと残されていて、簡単に外に出てくるらしいことに気づかされました。
 幸い、それから吃音症状が増すことはなく、何日かするとまた気にならなくなりました。ほっとしましたが、気持ちは予想以上に揺れ動きました。吃音は決して過去のことになったわけではない。ぼくはそう再確認させられることになったのです。

 10年前、突然変化が起きたように、もしかするとある日すべてが元に戻ってしまうかもしれない。そのとき自分はどうするだろうか。
 もしかするとそのときが、次のステージの始まり、新たな旅の始まりとなるのかもしれません。中国での変化の前と後で、自分の人生が大きく変わっていったように、そうした変化がまたいつか訪れるのかもしれません。

 それは考えてもわかりません。ただ、この小さな体験によって、少しだけ取材相手の気持ちに近づけたような気がしました。書き手としてこの感覚を大切にしたい。いまはそう思っています。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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終わりなき旅の終わり

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