遊牧夫婦こぼれ話。

第14回 話を聞いてわかること

2015.07.03更新

 6月中旬、4日ほど北海道を訪れました。
 今回は、ある人物の人生を辿ることが目的で、その方のご家族、友人、同僚、先生など、身近な方に時間の許す限りお会いしてきました。
 その方は2年前、34歳の若さで亡くなられました。吃音という問題を抱え、仕事をする段階でさまざまな苦難を経ながらも、それを乗り越えて看護師として病院に勤務を始めてからわずか4カ月弱のこと。彼は、事前に誰にもその思いを知らせることなく、自らの人生に幕を下ろしたのでした。

 この男性のことを知ったのは、彼が亡くなられた後のことです。そのためぼくは、直接はご本人を知りません。
 最初はニュースとして知って、その後昨年、ある集まりの場でそのお姉さんのお話を伺いました。それをきっかけにその2週間後に、北海道でご両親とお姉さん、友人の一人にお会いしました。そんな具合に少しずつ、この男性が生きた世界を垣間見させていただく機会を得てきました。
 そして今回、4日間という限られた時間ではあるものの、男性と様々な時期に親しかった人たちにそれぞれお話を伺うことができたのでした。


 日本を出て、文章を書いてなにがしかの報酬が得られるようになってからすでに10年以上が経ちますが、人物について書くことは、自分にとって最も心を惹かれる仕事であると同時に、毎回、どうやって描いたらいいのだろう、これでいいのだろうか、と何度も途方に暮れ、その難しさに悩まされる分野でもあります。
 文章としてとりあえず形にするという意味では、人物を描くことが必ずしもそこまで難しいわけではないかもしれません。ただ、原稿として仕上げることができたとしても、これでいいのだろうかと最後まで悩み、そして実際に形になったあとも、本当にこれでよかったのだろうかと考え続け、ふと何かの拍子に思い出してはっとするということが多いのです。
 複数の人に話を聞いてそれらをつなぎ合わせると、一見それらしいストーリーを作ることは可能です。しかし、人の話を聞くことでわかることは、その人についてのほんの一部のそのまたほんの一部でしかありません。

 それは本人に話を聞いた場合でも同じです。ある事柄について、本人に直接聞いても、その人が必ずしも本心を語ってくれるとは限らないし、その時その時の気分によって答えが変わることも多々あります。また何よりも、その人にとってもっとも核となる部分は、本人でも言葉にできないぼんやりとした感覚的なものであるということが往々にしてあるのです。いや、むしろそういうことがほとんどなのかもしれません。
 そこをどうやってクリアし、可能な限りその対象に近づき文章にしていけるかは、インタビューする側の気持ち、人間性、経験、相手との関係性、そして技術など、さまざまな要素が関わってきます。そこに決まった「正しいやり方」はなく、毎回毎回どうするべきかは変わってきますし、そもそも、どうするべきかというのがあるのかどうかもわかりません。

《人が何を考えているか、どんなことで悩んでいるのか、その本当のところは知り得ない》
 それは、自分が文章を書く上での一番大切なベースとして、いつも意識していることです。自分自身について人が知り得ていることを想像してもそう思いますし、自分にとってもっとも身近な人について自分が知っていることを思っても、そうなんだろうと感じられます。
 だから、ましてやインタビューなどという形で会って話を聞いたぐらいで、いったいその人の何がわかるのだろうということは、常に意識しなければと思うのです。決してわかった気になってはいけない、と。

 しかしそれでも、文章にするにあたっては、どうしてもそこからなんらかの形を浮かび上がらせないといけないし、広い意味で、一つの物語を紡ぎあげる必要があります。
 そこに、人を取材して書くことの難しさの一つがあると感じます。

 その点に関して書き手にとって大切なのは、まずはその問題をギリギリまで悩み、そこを乗り越えるために最大限の努力をすること。そして同時に、文章で表現することには限界があるということを自覚することなのだと思います。その表現方法の限界を知ることは、その可能性を理解することと同義だからです。
 書き手が、書いて伝えられることの限界を意識しつつ最高のものを目指し、かつ、自分の知っていることはわずかでしかないという謙虚さを持つと、それは必ず文章の端々ににじみ出ます。
 自分にとっては、そうしてかすかにでもにじみ出る書き手の人間性こそ、文章の命であると感じます。そこにこそ読み手は惹かれたり、何かを感じるのではないかと思い、だから自分も、そういう点に強い意識を向けたいといつも思い続けています。


 この文章を書きながら、北海道の美しい風景を思い出しています。着いた日の快晴の空と、果てしなく広がる緑の大地。高速道路の両側にどこまでも連なる青々とした田畑と、ロシアへと続く静かな海。
 そうした風景を眺めながら、レンタカーで借りた黒い軽自動車で町から町へと移動しては、男性と親しかった人に会い、彼のゆかりの場所を訪れました。

 北海道を出る前一番最後に寄ったのが、彼が最後に暮らしたマンションでした。
 亡くなる日の朝、男性は一度外に出て、最後に必要としていたものを購入して再び部屋に戻っていったことが分かっています。そして、その部屋で最後の時を迎えました。
 ぼくは階段を上がり、4階のその部屋の前に立って、その場所から見える外の風景を眺めました。そして彼が、何を思いながら最後にこの階段を上がり、ドアを開け、部屋に入っていったのだろうかと想像しました。

 たった4日間ではあれ、ご家族をはじめ身近な方々が、それぞれに思い出を語りながら笑い、ときに言葉に詰まりながら話して下さる場に一緒にいさせてもらうことができました。
 その中で、男性の声がふと聞こえてくるように思える瞬間が何度もあり、また彼と昔からの友だちだったような気持ちにもさせてもらいました。
 そうした気持ちで胸がいっぱいになりながら、ぼくは彼の部屋の前で一人何度も思いました。
 どのような思いで、最後にこの部屋の中へと入っていったのだろう、と。


 自分にわかることは、本当に、本当に、限られています。
 そのことをよく自覚しながらも、なんとかこの滞在で自分の中に詰め込んだものを、自分なりに形にして、多くの方に読んでもらいたい。
 そして、この男性がどう生き、なぜ亡くならなければならなかったのかについて、少しでも多くの人に知ってもらいたい。そう強く思いながら、どう書くべきかを、いま考えています。


今回の取材の話は、『新潮45』(新潮社)で連載中の「吃音を生きる」(不定期掲載)にて書きます。
この取材の前段階となる内容が今月発売の8月号、そしてこの北海道の取材の内容については、来月発売の9月号に掲載される予定です。


お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

バックナンバー