遊牧夫婦こぼれ話。

第16回 幻想ではない世界に向けて

2015.09.04更新

 新学期が始まるのを前に鎌倉市立図書館の職員の方がつぶやいた言葉が大きな反響を呼びました。
「学校が始まるのが死ぬほどつらい子は、学校を休んで図書館へいらっしゃい」

 実際、夏休みが終わるこの時期に自ら命を絶つ子どもが多いということは聞いていましたが、改めて最近のニュースでそのことを実感しました。ウェブのニュースで<中2男子飛び降り自殺か 東京>という記事を読んでいると、その下の「関連ニュース」に
 <中2女子が飛び込み自殺か 神奈川>
 <高1女子が高層マンションから転落死 新潟>
 <電車にはねられ中学生?死亡 群馬>
 と並んでいたのです(2015年8月30日 産経ニュースより)。そのいずれもが始業式前後の出来事。さらにその下には、8月前半に、やはり自殺と思われる形で亡くなった2人の高校1年生についての記事もありました。その数の多さには、愕然とせざるを得ませんでした。

 ぼく自身、身近な人を自殺で亡くした経験が少なくありません。その一人ひとりに、言葉では語りつくせないその人ならではの人生があったことを思い出します。そしてぼくはその一人ひとりに少なからぬ影響を受けてきましたし、影響という言葉がまったく適さないほど身近だった人もいます。彼らが死を選んだときのことを思い出すと、衝動的であったにしろ、長らく思いつめていたにしろ、それを実行するエネルギーは凄まじく、そこに至るまでの苦悩はどれほどだったかと思います。

 『新潮45』で連載している吃音をテーマとしたルポルタージュでも、先月発売の9月号に書いたのは、34歳で自ら命を絶った一人の新人看護師の話でした。ぼくは生前のご本人にお会いしたことはないものの、家族や友人、知人らから話を聞きながら、彼の苦悩の深さを想像しました。そして、なぜ彼はそこまで追い詰められてしまったのかを何度も何度も考えました。
 そこに明確な答えはありませんし、この問題への簡単な解決方法もありません。ただ日本で年間3万人近くの方が実際にそのような形で自らの人生に幕を下ろしているという現実、おそらくその何倍もの数の人がそのすれすれのところにいることを思うとき、ぼくには、長旅の途中で出会ったある人の言葉が思い出されます。


 それは、5年半にわたった旅をまさに終えようとしていた2008年9月、アフリカ南部のマラウィという国にいたときのことです。
ぼくたちは、ヴワザ湿地動物保護区という大きな国立公園のようなところを訪れていました。それは誰でも行くことができる場所ですが、アクセスのかなり悪い僻地にあるため、訪れる人はとても少ないようでした。近くに買い物ができる場所もなく、食料もすべて持参し自炊しなければなりません。しかしその分、まさに大自然の中にポンと放り出されたような気持ちになるところでした。このときも自分たち以外には遠くに1,2組の旅行者の姿が見えただけで、人の気配はほとんどない中、竹とわらでできた簡素な小屋に泊まり、すぐそばにいるゾウの群れを眺めたりしながら2日半を過ごしたのでした。

 ただ、いつゾウやカバや水牛に遭遇するかわからず危険なため、公園内を自分たちで歩くことは禁止されていました。勝手に出歩いてゾウに襲われて文字通り死にかけた旅行者もいたらしく、小屋を離れて動物を見たいときは、銃を持ったレンジャーと一緒にウォーキングサファリに出なければならないことになっていました。そこでぼくたちも何度かレンジャーにお願いしてサファリに連れて行ってもらいました。

 歩きながら動物を見るのであれば、おそらく動物のとても近くまでいけるのだろう。そんな想像をしていたのですが、実際はそうではありませんでした。逆に徒歩だと危なくて全然動物には近づけないのです。たとえばゾウがいるとします。すると、レンジャーが言うのです。
 「まずいよ、気づかれないように逃げよう。音を立てないように急いで隠れよう」
 ゾウの群れの動きを見ながらソロソロと逃げ、いかにゾウに気づかれずに移動するかを学びます。また、カバも追いかけてくることがあるので、逃げ方を知らなければなりません。追われたらダッシュしてまっすぐ逃げろ、そして途中で直角に曲がれ。するとカバはそのまままっすぐに行ってしまうから。そう教わりました。一方、安全なインパラやサルは、近づくとすぐに逃げてしまいます。
 そんなわけで、結局どの動物も近くで見ることができないことがわかったのですが、しかし本当の自然というのはこういうところなんだと、このときとてもよく実感することができたのでした。

 滞在2日目の早朝、2度目のウォーキングサファリに行ったときは、動物があまり現れず、ほとんどただ、まばらに生える木々の間を歩くだけという感じになりました。サファリとしては不発でしたが、そのうち次第にレンジャーの男性といろんな話をするようになりました。そしてそのときの会話をいまでも思い出すのです。
 彼は10代後半から20代前半くらいに見える若い方でした。マラウィを出たことはないらしく、ぼくらが日本から来たというと、日本はどんな国なんだ、お金持ちの国なんだよね、きっと全く違う生活をしているんだろうなあと、興味津々な様子で聞いてきました。
 そしてこう言いました。
 「ぼくたちの国は貧しい。日本は豊かでいいなあ」

 確かにマラウィが経済的には貧しい国であるということは聞いていました。持っていたアフリカのガイドブックを見ても、世界最貧国の一つであり、AIDSの罹患率も高くそのために平均寿命は40歳前後である、とありました。多くの援助が必要であり、人々の生活が決して楽ではなさそうなことは、この国に1週間も滞在すると感じられました。
 支援活動をしている日本人とも出会い、街中では「○○保育園」「○○老人ホーム」「クロネコヤマト」といった日本語の文字が書かれた車が数多く走っていることに気づかされ、マラウィの人にはきっと、日本は自分たちを支援してくれる豊かな国として認識されているのだろうと想像できました。だからきっとみな幸せに暮らしているにちがいない、と。

 ぼくは彼に言いました。
 「日本は確かに経済的には豊かな国だよ。でもそれが必ずしも幸せなことなのかはわからない。ぼくらの国では、1年に3万人もの人が自分で命を絶ってしまうんだ。1日に100人近くの人が死ななくてならないほど、苦しんでいる人が多いんだよ」
 そういうと彼は、とても不思議そうな顔をしました。そして、意味がわからないというように聞き返しました。「自分で死ぬって、いったいどういうことなの?」。
 「その言葉のままだよ。生きているのが苦しくて、死にたくなって自分で死んでしまうんだよ。マラウィでは、ないの?」
 そう聞くと、彼は信じられない、という顔をして言いました。
 「そんなことがあるの? ぼくは聞いたことがないよ。自分で死ぬなんて、どうして......」
 ぼくは彼の言葉を聞きながらとても驚かされました。そうか、この国はいくら人々の生活が苦しくとも、自殺がないのかもしれないのか、と。それはぼくにとって、日本に自殺者が大勢いることを知った彼の驚きと同じぐらいの驚きだったかもしれません。そしてそのとき、自分はこれから、自殺がないらしい国から自殺者3万人の国に帰るんだ、と強く思ったのでした。
 それは、旅という一時的な期間を終え、これから現実の生活に戻るんだと感じさせてくれる経験でもありました。これから自分は、こうした点も含め、日本という自分の国に向き合って暮らしていくことになるのだ。そんな思いを確かにしたのです。
 そしてこの日の午後、ぼくたちは川を横切るゾウの群れを眺めながら、帰国することをはっきりと決めたのでした。


 あれから、7年。マラウィでの出来事は遠いものになりつつあります。しかし、冒頭のような痛ましいニュースを見ると、このときのことを思い出します。そして、ふと思うのです。レンジャーの彼は、いまもまだ自殺とは何かを知らずに暮らしていられているだろうか、と。
 そうあることを願います。そしてそういう世界があることを自分もずっと心に留めておきたいと思います。自殺のない世界は決して幻想ではないということを信じ続けることができるように。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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