遊牧夫婦こぼれ話。

第17回 仕事のペース、自分のペース

2015.10.03更新

 ここしばらく、家の事情によって、大幅に仕事量を減らさざるを得ない状況にあります。ちょうどいろいろな仕事がひと段落したところだったので、比較的すんなりとスローダウンすることができたのですが、いくつかの仕事は締切りを延ばしてもらったり、ペンディングにしていただいたりと、ご迷惑をおかけしています。
 と、いきなり業務報告みたいな書き出しになっていますが、このことを機に最近、自分の仕事についてちょっと振り返ることができました。今回はそのことを書こうと思います。
 
 この状況はもうしばらく続きそうなのですが、こうして仕事を減らさなければいけないときに、自分である程度調整して時間を作れるのはやはりフリーであることの利点だと感じます。
 しかしその一方、仕事量を減らすとその分だけはっきりと収入が減るために、急激に金銭的に厳しくなるのもまたフリーの宿命です。大抵、仕事をしてからお金をいただくまでには、1~3カ月ほどのタイムラグがあるため、来月からすぐに収入がなくなるということはないのですが、数カ月後に厳しくなりそうなことが予想され、それがいま、精神的に若干のプレッシャーとなっています。

 今年2歳になった次女が生まれる直前から妻は仕事をいったんやめているため、ここ3年ほどは、自分が書くことだけでなんとか生計を立ててきました。仕事として文章を書くようになってすでに10年以上が経ちますが、不安定ながらも一応そうしてやっていけるようになったことは自分にとってひとつの喜びではあります。
 ただ、たまたまここ数年は大丈夫だったというだけかもしれないし、いまは日々、書くことが生きることと表裏一体になっていることを感じていて、それゆえ、喜びとともに、ある種の緊張感をいつも抱くようなっています。
 その緊張感は、いまみたいなときには大きな重圧になりますが、それは自分にとって書き続けるための大きな原動力にもなっています。とにかく書かないと生活できないという状況は、書くという仕事の基盤のようなものを強固にしてくれていることを感じます。
 
 いまやっている仕事は、自ら提案して雑誌などでやらせてもらう自分のプロジェクト的仕事と、依頼があって引き受けてやる仕事に大きく分けることができます。
 そのバランスについて、理想的には、自分のプロジェクト的仕事だけで生活ができればそれに越したことはないでしょう。しかし実際生活がかかってくると、多くの人はそうはできないし、当然のように自分もそれは同じです。

 以前は、そうした状況を不自由に感じ、なんとか自分の好きな仕事だけをやって食べていける状態になりたいと願っていました。それこそが自分が目指すべきところなんだ、と。しかし、ここ数年、書いて得る収入で生活を成り立たせることが絶対条件となり、あまり気の進まない仕事、自信の持てない仕事も頻繁に引き受けるようになってからは、その考えは変わりました。
 積極的に引き受けたくはないけれどやるしかない。最初は正直そういう気持ちだった仕事が、結果として、自分に新たな道を開いてくれるという経験を数多くしてきたからです。思わぬ新たな出会いを与えてくれたり、無縁だった分野に目を開かせてくれたり、新しい技術を身につけさせてくれたりと、未知な仕事は、時に未知な領域の開拓者となってくれました。

 また、そうした仕事を重ねるうちに、未経験の分野でも、ちょっと慣れない仕事でも、やってやれないことはないという自信を持てるようにもなりました。その積み重ねが、書く上での基礎体力のようなものを上げ、自分のプロジェクト的仕事においても大きな力となっているのを感じます。
 そうした経験から、一見自分の興味とは異なる仕事も、否定的に捉えることはなくなりました。むしろ未知の自分を開拓してくれるために必要不可欠なものだと思えるようになりました。もちろん、そうした仕事だけになってしまえば本末転倒になるのですが。


 長旅を終えて日本に帰ってきてからすでに7年が経とうとしていますが、この思いは、帰国後の7年で得ることができた大切な実感の一つです。旅をしていたころは、金銭面でのプレッシャーが少なかった半面(もちろんいまより収入は少なかったし、プレッシャーもあるにはありましたが、随分やんわりとしたものでした。旅に必要なお金は想像以上に少ないですし、いろんな意味で身軽だったことも大きいです)、書き手としての自分の力を押し上げるための切迫感もまた小さかったように感じます。
 
 しかし一方、いま、いったん仕事のペースを緩めると、金銭的なことを抜きにしても、早く仕事をしなければ、という漠然とした不安に駆られている自分に気づかされます。きっと自分は、いまもし金銭面で一切不安がなかったとしても、やはり同じように焦っていたように思います。
 旅中のことを思い出すと、そんな自分が不思議になります。旅していたときは、仕事は、旅の合間のあいた時間に目の前にある環境でできることしかできなかったのに、そのような、単に仕事をしていないからという理由による漠然とした不安はなかったように思うからです。ユーラシア横断の日々でいえば、おそらく毎日の時間の9割以上は旅をすることに費やされていました。仕事をしていたのは残りのわずかな時間だけです。それでもとりあえず自分の旅代ぐらいはなんとか賄うことができていたからか、なんとなく、結構働いているという感覚を持てていたような気がします。

 日本の同世代の人たちと比べたら、当時の自分の仕事量は圧倒的に少なくて、いまの感覚だったらきっと、もっと仕事しないと置いていかれる、というある種の強迫観念のようなものに襲われたように思います。
 けれども、あのころはおそらく、そういう感覚はほとんどありませんでした。たぶん、日本にいる人たちがどれだけ仕事をしているかということが頭になかったからであり、さらには、日本のことが全く遠い世界の出来事に思えていたからでしょう。自分は自分のペースで、旅をしながら、お金が枯渇しない範囲で仕事をしている。遅々とだけれど、少しずつライターとしての力もついてきている(気がする)。それでいいじゃないか。そう思えていたのです。そして、実際にそれでよかったことがいま振り返ってみると感じられます。

 いま、漠然とした不安に襲われている自分の気持ちに向き合いながら、自分が常に、周囲と比較しながら生きていることに気づかされます。
 どちらかといえばやりたいようにやってきた身でありながら、いまはなぜか、自分のペースでいいじゃないかと思えない。日本にいるためなのか、自分の性格やいまの状況のためなのかはよくわかりません。
 しかしいずれにしても、比べるというのは、ときに本当に不幸なことだなと感じます。そして、そうわかっていても、比較することからはそう簡単に逃れられないのがまた厄介です。


 旅をしていたころは、書き手としての技術の向上は遅かったかもしれない。しかし、とても幸せな日々だったんだなと改めて感じます。
 海外にいて自分のもともとの居場所と距離ができると、否が応にも、それまで周囲に無数にあった比較対象から離れられます。日本を離れ、新しい環境に身をおくことは、だからぼくにとって、自らの心地よいペースを保つことにつながったように思います。

 それを言い換えると、あるいは「現実逃避」ということになるのかもしれません。しかし、そうしたほうが生きやすいのであれば、そしてそれを望むのであれば、どうして逃避してはいけないことがあるでしょうか。生きたいように生きること、心地よいように生きること。それは誰にとっても何よりも大切なことのはずです。
 いま、自分にとって、心地よく生きるとはどういうことか。改めてそんなことを考えながら、一日一日を過ごしています。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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