遊牧夫婦こぼれ話。

第18回 思い出すことが糧になる

2015.11.06更新

『人生最後のご馳走』青山ゆみこ(幻冬舎)

 ライター・編集者の青山ゆみこさんが9月に『人生最後のご馳走』(幻冬舎)という本を出版されました。青山さんは、親しくさせていただいているとても信頼できる書き手で、その青山さんの初めてのご著書ということで拝読するのをとても楽しみにしていました。

 舞台となるのは、大阪にある「淀川キリスト教病院ホスピス・こどもホスピス病院」です。ホスピスとは、がんなどの悪性腫瘍を患った末期の患者さんができるだけ苦痛を軽減された状態で最期のときを過ごせるようにするための場所で、このホスピスも「末期がんで余命が2~3カ月以内と限られている方が主な入院の対象」、15床ある成人病棟の「平均在院日数は約3週間」とあります。
 2012年にオープンしたこのホスピスの特色の一つが、毎週土曜日の「リクエスト食」です。前日に患者さんが好きな料理をオーダーして、専属の調理師の方が心をこめて作ってくださるというものです。それは患者さんが、まさに人生の最後の段階で食べたいと願って注文するメニュー。その料理に患者さんのどんな思いが詰まっているのか。14人の患者さんに尋ね、1つの料理をきっかけに振り返るそれぞれ人生の一コマを丁寧に描き出したのが本書です。 

 大きな反響を呼んでいるのがとても納得できる一冊で、詳細はぜひ実際に読んでいただきたいのですが、多数出ている書評や感想を読んで感じるのは、おそらく読者の一人ひとりが、何かしら自分の経験と重ねてこの本を読んでいるのだろうということです。自分だったら何を最後に注文するのか。あの人は最後に何を食べたのだろうか。ぼくもそうしたことを何度も想像し、読みながら度々胸がいっぱいになりました。
 そしてまた、料理とは離れたところでも読者それぞれが自分の大切な人を思い出すきっかけを与えてくれる本であり、ぼくはとくにその意味でこの本から大きな気づきを得ることになりました。今回はそのことを書きたいと思います。

 ぼくが自分にとっての大切な過去を思い出すことになったのは、あとがきの中で青山さんがご自身のインタビュー自体について振り返っている次の部分を読んだときのことでした。

 正直なところ、皆さんの限られた時間に、「初めまして」とのこのこ乗りこむような行為について、どこか申し訳ないような思いがあった。医師でも看護師でもない、食で患者さんをケアするのでもない。私という人間は、この人の人生にとって何の意味があるのだろう。貴重なお時間を奪うだけではないのか。
 そんなふうに立ち止まったとき、すがるように思い出すことがあった。それは副院長の池永昌之先生から教えてもらった、病院としてこの取材に意味があると判断した理由のひとつである「自分史セラピー」というものだ。
 自伝療法とも呼ばれる自分史セラピーは、ニュージーランドにあるホスピスで始まった療法で、例えば、ボランティアの元新聞記者が、末期がんの患者さんに自伝を書きませんかともちかける。子どもの頃、学生時代、結婚生活など人生を振り返ってもらいながら、嬉しかったことや患者さんにとって大切なことを思い出してもらう。患者さんご自身にまとめる力のない場合は(ほとんどの場合はそう)、取材者が文章にまとめる。文字にしたものは、可能であればご本人に、そして家族にも渡す。

(『人生最後のご馳走』「おわりに」より) 



 この部分を読んだとき、はっと気づかされることがありました。ぼく自身、いつも仕事でインタビューをするときに、多くの場合、見ず知らずの人の人生について限られた時間の中で聞いただけで、その人について多かれ少なかれ分かったようなことを書かなければならないこの仕事の居心地の悪さを感じていて、それがきっと青山さんの言う「申し訳ないような思い」と重なる部分が多いのだろうということがまずありました。
 しかしそれ以上に、先の文章を読んでぼくが胸の痛みを伴いながら思い出したことがありました。それは、17年前に亡くなった自分の祖母のことでした。

 ぼくは生まれたときから、父方の祖母と一緒に暮らしていました。5歳下の妹が生まれてからはずっと、両親、兄、自分、妹と祖母の6人家族でした。
 兄も妹もぼくも、優しかった祖母にとてもなついていて、何かあれば祖母の部屋に行くという、典型的なおばあちゃん子として育ちました。
 いま思えば、そのことで少なからず母親にはつらい思いをさせたのだろうと、自分が親になってみて感じるのですが、とにかく祖母は「第二の母親」と呼べる存在でした。自分が小学生だったとき、祖母が半年ほど家を離れて暮らすことがあったのですが、ぼくは祖母と離れるのがとてもつらくて、自分は半年も祖母と別に暮らせるのだろうかと真剣に悩み、一人でしくしくと泣いたことをよく覚えています。

 それくらい身近で大切だった祖母は、特に病気をすることもなくずっと元気で年を重ねていったのですが、70代になって1、2年が経った頃だったかと思います、徐々にふさぎこむようになっていきました。いろいろと原因はあったものの、病院にいくと「老人性うつ病」と診断されたようでした。

 祖母はしかし、自分がそのような病気であるということが認められなかったようです。いまでこそうつ病は、治療すれば改善する病気であり、誰もがかかりうるとても身近な病気だと認識していますが、時代の問題なのか世代の問題なのか、それとも祖母個人の問題なのか、とにかく祖母は、うつ病というものに対して強い負のイメージを持っていたようでした。自分がそんな病気になるはずはない、自分が精神的に病むなんて考えられない、と。
 とても聡明で、何事においてもきちっとしていて、かつ毎日のように習い事などに出かける活発な人だっただけに、元気を失っていく姿を見るのはつらいものがありました。自分もそのころすでに大学生となり、幼少期とはまた感じ方は違いましたが、「おばあちゃんはどうやったらよくなるのだろう、何か方法はないものだろうか」とよく考えました。
 そしてそのとき母親から聞いていたのが、次のようなことでした。
「よくなるためには、おばあちゃんが自分自身の70年間の人生を思い出して振り返って、自分の内面を見つめ直すことが必要なんだって」

 祖母が、医師にそう言われたということでした。
 それを聞いて、ぼくは思いました。そんなこと無理なのではないか。それはつまり、治らないということなのだろう、と。ぼくはそのとき、どうやったら祖母がそんなことができるのか、全く思い至らなかったのです。
 そして1998年、ふさぎこみだしてから3年ほどしたのち、祖母はそのままよくなることなく、75歳でその一生を終えることになりました。
 自分が大学3年生のときのことでした。ちょうど免許合宿に行っていて、仮免許の試験を終えて発表を待っているときに、叔父からの電話で祖母が大変な状況になっていることを知り、急遽帰って祖母のいる病院へと行きました。そのとき祖母はすでに呼吸器を取り付けられた状態で意識なく横たわっていました。そしてそのまま意識を戻すことなく、その3日後に亡くなりました。

 祖母の死は、自分にも家族にもとても大きな影響を与えました。祖母はよく、「ゆうきちゃんは性格が私によく似ているから気持ちがわかる」と言っていて、ぼくも同じように感じていました。それゆえとても近い存在だったのと同時に、祖母の様子を見ながら自分もいつか祖母のような状態になるのかもしれないと、ある種の恐怖感が芽生えてもいました。当時は吃音による悩みがもっとも大きかった時期で気持ちが不安定だっただけに、そんな思いが特に強くありました。
 そして、うまく書くのは難しいのですが、祖母の死は、その後自分が長期の旅に出ることを決断するきっかけの一つにもなりました。思うところがあって拙著『遊牧夫婦』などの中でそのことは一切触れていないのですが、本当は触れなければならなかったといまも思っているほど、祖母の死は自分にとって大きな出来事だったのでした。

 ぼくはその後もずっと、祖母がよくなることは難しかっただろう、70年間の人生を振り返り見つめ直すなどということは容易にできることではないのだから、と思い続けていました。
 しかし今回、青山さんの本を読み、自らの死と向き合いながら過去を思い出して安らかな気持ちになられているだろう患者さんの姿を思い浮かべ、さらに、「自分史セラピー」という考え方があることを知って、初めて気づかされたのでした。祖母が、彼女の70年間を思い出すことは決して不可能ではなかったのかもしれない、と。
 そしてもし当時、自分がすでにいまのような仕事をしていたとしたら、自分が聞き役になることができていたかもしれないな、と。
 そうしたらぼくは祖母に何を聞いていただろうか。祖母は何を思い出し、どんな表情をみせてくれたのだろうか。

 もちろん、話を聞いていれば祖母が回復していただろうなどという甘い幻想は抱いていませんし、すべてがもはや意味を持たない仮定の話でしかありません。
 ただ、そんな想像をすることで、自分自身がこの仕事を続けていくことの意味を改めて気づかせてもらえたような気がします。そしてさらに、祖母がいまなお自分に新たな気づきを与えてくれるように、誰にとっても、大切な人の人生は各人の中でいろいろな形で生き続けているのだろうということを強く感じたのでした。

 青山さんが寄り添って聞き役を果たしたからこそ最期に思い出すことができたのかもしれない、それぞれの方の人生の大切な一瞬がこの『人生最後のご馳走』には詰まっています。
ますます多くの方に読んでいただけますよう。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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