遊牧夫婦こぼれ話。

第19回 取り戻せない自転車旅行

2015.12.04更新

 大学4年だった1999年の夏、ちょっとした自転車旅行をしたことがありました。
 大学院の入試の勉強で忙しくなるはずでしたが、たまたま運よく推薦で入学が決まり、急に暇になったため、計画を立てなくともすぐ出発できる自転車の旅に出ることにしたのです。お金はかからなそうなのも魅力でした。一応の目的地は、そのころ兄が住んでいた広島としました。

 自転車は何の変哲もないかご付のママチャリ風のもの。黒いボディに銀色の水除け、ギヤはなし。自転車の知識もなし。それでも、道が続いている限り広島まで行けるはずだと思うと興奮して、思いついた翌日の朝だったかに、何も決めずに出発しました。8月後半のことでした。

 とりあえず南西へと、まずは実家から南に行って246号線をひたすらに走り、途中で1号線に入って海沿いをずっと南下しました。自転車だと一日でどこまで行けるのだろう。静岡県には入れるのではないか。そう思っていましたが、ものすごく暑い快晴の強い日差しの中を走るうちに、それほど簡単ではないことがわかってきました。太陽光に身体は焦がされ、経験したことのない連続走行に足は想像以上に疲労して、早々に夕方になり、その日のゴールが決まってきました。
「小田原までしか行けないのか......」
 小田原といえば、家の最寄駅から電車で1時間ほどで行ける場所です。そんな身近なエリアに一泊しなければならない現実に、思っていた以上に広島が遠いことに気づかされました。

 小田原に着き、若干怪しげな界隈をうろつくと、安そうな宿がありました。いかがわしくて小さな場末のホテル。尋ねると当然のように空室があり、もじゃもじゃ頭のおばちゃんが部屋に案内してくれます。
「この部屋でいいですか」
 薄汚れた壁紙はところどころ剥がれていて、かび臭いにおいが漂います。料金は2000円ぐらいだったから文句は言えないし、日本でこういうところに泊まった経験はなかったので、「こんな汚い宿が日本にもあるのか!」という驚きが、かえって自分はいま未知の旅に出ているんだ、という気持ちにさせてくれたのでした。


 2日目。
 真鶴、湯河原を経て、箱根へ。地図で見ると箱根を超える十国峠を行く道は、やたらとクネクネしていてハードそうなことが想像できます。熱海まで少し南下して緩やかそうな道を回ったほうがいいのだろうか。そう思いましたが、単に地図上の距離の短さだけに目がくらんで、十国峠を越えることにしました。
 しかしその道は、地図での見た目以上に厳しいものでした。ギアなしの準ママチャリで行く道ではない。そう気づいたときにはすでに遅く、引き返すこともできない一方、とても登れず、かなりの距離を自転車を押して歩くことになりました。水はいつも、大きなペットボトルに、マクドナルドなどで「すみません、これに水を入れてもらってもいいですか」と補給してもらっていましたが、店も何もない峠越えの途中で水もなくなってしまいました。

 ああ、これはいよいよ、通りがかりの車に助けを求めないといけなくなるのか。そう思いながら、あと100メートル行こう、あと100メートル進んだら休もう、とがんばっていると、いつしか道は平たんになり、視界が一気に開けました。頭上は青く広い空で覆われ、眼下には緑の山が遠くまで広がっています。頂上まで来たのです。
 疲れは喜びに一変し、高ぶった気持ちで自転車にまたがり、今度は風を切りながら転げ落ちるように駆け下りました。異国に着いたような気分になり、その勢いで三島市を越えて、その日は静岡市まで行ったのでした。


 そして3日目。
 静岡から焼津を経て、国道1号線を一路西へ。平地が続き、気持ちよく距離が稼げます。途中の藤枝バイパスでは、入口に自動車専用を示す標識があるものの、どう見てもこっちのほうが楽そうで速そうだからという言い訳になりえない理由を胸に、標識に気づかなかったことにしてチャリで突入してしまいました。見つかってもある程度まで来てしまえば戻れとは言われないだろう。そう考えて、とりあえず勢いに任せて走ります。途中で車やトラックにクラクションを鳴らされて、迷惑千万だったと反省しつつも、なんとか無事にバイパスを抜け、大いに楽ができてしまったのでした。

 夜は豊橋市に泊まって、翌4日目、午前中、岡崎で岡崎城を見学し、その後、桶狭間の戦いの跡地らしい小さな公園に寄ったりしていると、もう名古屋が目の前でした。そして昼ごろ、大量の車が走る大都市の幹線道路を、ぼくも走っていたのでした。

 そのとき身体は激しく消耗していました。日焼け止めを持っていなかったため、全身が熱を持ち、顔や首は火傷ばりの痛さです。お尻の皮がむけて、まともにサドルに座れなくなり、クッション替わりにサドルにタオルを巻いてみても、車道と歩道のちょっとした段差すらも怖くて座ったままでは走れない状態になっていました。なるほど、この自転車は、連日、8時間とか10時間とかを快適にこげるようにはできていない。当然のことを痛感しました。
 しかしそんな辛さも、名古屋まで来たという喜びが相殺してくれました。そしてこの日は少しだけこぎれいなビジネスホテルにチェックインし、早い時間からシャワーをあびて、清潔そうなベッドの上に寝そべって、さて、と地図を見て、ぼくは驚いてしまったのでした。
 「広島まで、まだ半分も来てないじゃないか!」
 当時、東京の外をほとんど知らなかった自分は、関西以西をとてもデフォルメして捉えていました。京都あたりまで行ったら広島はもうすぐだろう。そんな感覚でいたのでした。
 しかしよく地図を見てみると、京都―広島は、東京―名古屋ぐらいの距離がありそうだし、名古屋から京都までもなんだか険しそうな山を越えなければならなそうです。

 ぼくはこのとき初めて、日本の国土の大きさが肌でわかったような気がしました。そして一つの基準ができました。東京から名古屋までの道のりを基準として、日本の実際の大きさをある程度想像できるようになったのです。

 考えた結果、広島行きは断念し、この辺りで旅を終えることを決めました。ただ、愛知県だとまだあまり遠くに来た気がしないので、より西っぽい三重県まで行こうと、名古屋で一泊した翌日、西に50キロほどの三重県四日市市に向かいました。そして四日市市のペリカン便の荷物集積所まで自転車をこぎ、その場で梱包してもらって東京の実家に送ってもらうことにしたのでした。
 自転車を預けたあと、ぼくは、電車と新幹線でその日一気に東京まで戻りました。心地よい疲労感と、ある種の達成感を感じながらも、4日間かけて走った道のりが新幹線の窓の向こうで一瞬にして後方へと消えていく様子は、懸命に築いてきたものが瞬時に崩れ落ちる景色のように見えました。

*          *

 先日、取材のために新幹線で京都から浜松に向かい、新幹線が豊橋の駅で止まったとき、急に上の記憶が蘇りました。その記憶をたどっていくと、あのときの疲労感までがふと身体に戻ってくるように感じました。
 あれから16年。思えばいまでも、あのときに身体で感じた東京―名古屋の距離感を基準にぼくは、日本の大きさを、さらには世界の広さを把握しようとしていることに気づかされます。たった4日間の短い自転車旅行でしたが、自分にとっては、確かに新たな世界を切り開いてくれた大切な旅だったことを感じます。そしてあの日々を思い出すほどに、寂しさがこみ上げてきたのでした。

 最近ちょっときっかけがあって、人がなぜ旅をするのか、なぜ紀行文を読むのか、ということを改めて考えていました。突き詰めるとそれは結局、「人生が有限である」ということに行き着くような気がします。
 私たちは二度と「あの」時間を取り戻せない。その時に見た風景も自分自身も、もう二度とかえってこない。それは普段の日常ももちろん同じですが、あえて非日常の空間で一定期間を過ごす旅という行為において、特に強く感じられるはずです。

 豊橋の駅でこみあげてきた寂しさは、あの小さな経験がもう戻ってこないことを知っているからであるとともに、それが自分にとって本当にかけがえのないものだったことを表しているのだと思います。寂しさの中には、いつまでも消えない幸福感が満ちているのです。それこそが、私たちが旅から得られる一番大切なものなのかもしれません。
 いま自分は、10年後に振り返ってそのように感じられる日々や場所をどれだけ得ることができているだろうか。頻繁に乗るようになった新幹線の外の流れゆく景色を眺めながら、そうした場所が多くないことに、ふと気づかされたのでした

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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