遊牧夫婦こぼれ話。

第23回 お金がないっ!

2016.04.08更新

 突然ですが、ここ数カ月、収入が大幅に減ってしまって参っています。ちょうどいろんなことが重なってしまい、現在、経済的に急激な低空飛行に入っています。
 理由を考えるとそれなりに見当はつくものの、最近4年ほどそこそこ安定してきたものがこれほど急に崩れていきそうなことにかなり動揺しています。その上、長女が今月から小学生になり、交通費もかかり始めるし、よく食べる。いや、まあそれは些細なことであり、喜ばしいことでもあるのですが、とにかく諸々で侮れなくお金がかかり、もともと脆弱な我が家の貯金がみるみる減っていく様子に、ときどき真っ青に なっています。娘たちがガチャガチャがしたいからと行きたがるファミレスのガ ストに行って、価格が安いからという理由で単品のミートソーススパゲティに触 手が伸びる有様です。フリーで生計を立てることの心もとなさをこんなに感じた ことはありません。

 この連載は、その時々で自分が一番よく感じ考えていること、切実なことを率直に書こうというのが自分なりのテーマであるため、今回は最近真面目に切実になっている経済事情について書くことにしました。
 小さなプライドもあってひとこと加えると、決して仕事がなくなったということではありません。むしろ、貧乏暇なしを体現するかのごとく仕事から抜け出すことができずにいます。ただ、ここ最近、自分が本当に書きたいと感じるテーマに取り組むことにできるだけこだわって、仕事のやり方を少しずつシフトしてきたという経緯があります。そうして自分なりの大海に飛び出ようとしたら、いきなり激しい台風に遭遇し、荒波に飲まれそうになっているという状況だと言えます。

 正面からノンフィクションなるものを書こうと思うと、猛烈に手間も時間もお金もかかる。それを言い訳にせずに、やりたいならなんとか方法を考えてやるべきだと、この連載に以前書いたし、いまもそう思っています。
 しかし実際にそれで生計を立てようとすると、いきなりその入り口でどうしようなく生活が成り立たたなくなりそうな現実にぶつかって、途方に暮れてしまっているというのがいまの自分の現状です。ノンフィクションで食べている人は本当にすごいといまつくづく感じるとともに、自分の圧倒的な力不足を痛感します。

 その焦りがあるからか、原稿もなかなかうまく書けずにいます。もともとの遅筆がさらにいっそう遅くなり、一つの仕事にものすごく時間がかかる。他の仕事が後ろにずれ込み、さらに収入が得られる時期が遅くなってますます焦るという悪循環に陥っています。この原稿も、どう書いていいものかすごく悩み、何日も格闘し何度となく構成を変えています。この問題を軽快に描くのも違和感があるし、シリアスに書いて心配されたりするのもいやだなあ、などと思いつつ。


 シンプルに言うと、いまの自分の状況は上のようになります。より大きな枠組みで考えれば、「食べていくこととやりたいことをいかに両立するか」という永遠のテーマに集約されるように思います。まだ若いから、という時期をとうに過ぎて、人生が中盤から後半に向かおうとするいま、この問いがとても重くのしかかってきているのです。

 『遊牧夫婦』の旅をしていたときは、我ながらこの問題をうまくやりくりしていたなあと改めて感じます。日本と他国の物価の差を利用してというのは、決して自慢できることではないと個人的には思いつつも、計500万円ほどで5年間以上も好き勝手に暮らし、移動して、さまざまな経験ができたのは本当にいま思うと奇跡のようです。
 あのころは、お金の面の心配ももちろんそれなりにあったのですが、それ以上に仕事に関する心配や不安の方が大きかったように思います。文章を書いて生きていくなんていうことが自分にそもそもできるのか、こんなことを異国で細々とやっていてこの先大丈夫なのだろうか。そう自問する日々が続きました。物書きをやっていく上で決定的に何かが足りないのではないかともよく思いました。特に不安が大きかった中国時代の自身の気持ちについて、本の中では次のように書いています。

 東南アジアでは少しずつ仕事が増えていく感覚があったものの、昆明に来てからはすっかりペースが落ちていた。週刊誌や月刊誌に企画を出したり原稿を送ったり、公募の賞に応募したりということを地道に続けてはいたのだが、どうもうまくいかなかった。たまに雑誌にルポや記事を掲載してもらえることはあったけれど、本当にそれは数えるほどでしかなかった。そして応募した賞にはすべて落選した。
 書いて稼げた金は本当に微々たる額だったが、昆明の物価だとそれでもそれなりに優雅な生活ができてしまうのもまたよくなかったのかもしれない。だが上海に行けば、このままでは生活できないのは明らかだった。
「ああ、おれはだめなんじゃないか」と落ち込んだことは一度や二度ではない。自分にはやはり物書きなんて向いてないんじゃないかと思ったことも何度もあった。
 他に何か自分にもっと合った仕事があるのではないか。そう思い、自分に何ができるか、自分は何をしたいのかと考えることも少なくなかった。しかし考えてみた挙句、いつも他に何も浮かばなかった。自分はやはり、物を書いていきたい。なんとかその道を続けていきたい。そんな気持ちと現実の間を行ったり来たりしていた。

(『中国でお尻を手術。』 16 滞在1年。中国での職探し より)


 日本を出て2年半ほどが経っていた、29歳のときのことです。ああ、懐かしの年収30万円時代......。
 それでも結果として5年間、右往左往しながらもやっていくことができたことは一つの自信になりました。「やりつづければ、なんとか道は開けるものなんだな」という確固たる気持ちを自分は得ることができたのでした。
 その気持ちはいまも変わらずあります。しかし、苦しいときはどうしてもそう思えなくなってしまいます。自分の中の何かが揺らぎ、不安が大きくなってくると、周囲の人がみなうまくやっているように見えたりするし、自分はこの道のままでやっていけるのだろうか、という気持ちが再び沸き上ったりもします。

 でも一方で、誰でも多かれ少なかれ問題を抱え、前進したり後退したりを繰り返して悩みながら生きているということも頭ではわかっています。そしてそういうときはきっと、問題を真正面から受け止めて、苦悩し、考えて、自分が信じることをやっていくしかないのだろうと思います。
 前向きに解釈すれば、いま直面している経済的な問題が、さまざまなことを振り返り、見つめ直すきっかけを与えてくれているとも言えます。うまく書けなくなっているのも、自分の葛藤の現れであり、一歩大きな前進をするために必要な行程なのではないかとも思います。そう思いたい。
 悩んだ先には必ず何らかの出口があるし、それまで見えなかった世界も見えてくるはず。だからこそ、いまは存分に悩み抜かなければと自分自身に言い聞かせています。文章にはきっと、苦悩し、行き詰まることでしか、書けないものがあるのだから。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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