遊牧夫婦こぼれ話。

第25回 あたたかな後ろ姿

2016.06.03更新

 歩いていたり自転車に乗っていたりするときに、突然、長旅中の感覚を思い出すことがこのごろ増えています。思い浮かぶのはその時々の空気感やにおい。そうした記憶が蘇るのがなぜかいつも晴れた朝であることに、最近気づかされました。

 5月半ばのある朝、京都市内を東西に延びる細い路地を自転車に乗って西から東へ向かっていたときのこと。
 正面から照りつける太陽の光が周囲一帯を白みがからせ、もやがかかったような景色になると、一瞬、中国・昆明の早朝の景色の中にいるような錯覚がしたのでした。湯気が立ち上る饅頭屋。信号が変わると一斉に走りだす無数の自転車。ふと、中国の自転車やバイクの音が鳴り響き、自分もその中に舞い戻ったような気持ちになっていました。

 また別の朝、起きて部屋の窓を開け放ったときは、強い日差しとともに、オーストラリア西部・バンバリーの軽やかな空気の匂いが吹き込んできたように感じました。窓の外に見える青空の向こうに、日の光を反射してきらきらと光る水面がある。そんな想像が自然にわいてきたのでした。
 そしてこれはまだ寒さが残る初春のある朝のこと。取材場所に向かうために京都駅のそばの道を歩いているとき、突然、ドイツかイタリアの町中を、朝食を食べる場所を探して歩いているような気持ちになりました。旅中、晴れた朝に宿を出て近くの小さな店にパンやコーヒーを買いに行く時間は、ぼくにとって至福を感じられるときだったことを、そのとき思い出しました。

 この他にも何度か、同じように記憶が蘇る経験をしたように思います。一瞬で消え去っていくものもあり、しみじみと旅の時間を思い出すようなときもありました。
 ただ共通するのは、そんな記憶が蘇るのが、いつも天気がよくて日差しが強い朝であること。周囲の風景が、少しオーバー気味で撮った写真のように白みがかって明るいこと。そしていま思えば、おそらくいつも、何かしら気持ちが小さな幸福感で満たされているときであったように思います。


 あれやこれやと容易じゃないことに直面する機会が以前より多くなってきたように感じています。しかしそうした日々の中でも、ふと心地よく晴れ晴れするような気持ちになれる瞬間がある。思えばそうした瞬間に旅の記憶がふと蘇り、頭を、そして身体を、そよ風のように通り過ぎていくようなのです。
 旅のことを本に書いたとき、そして書き終えたとき、それまで無限に広がっていた旅の記憶が、本の中に書いたことだけに限定されてしまったように感じました。途切れなく連続的に過ぎていく時間、その中で無限に細分化できるはずの出来事の中から、ほんのいくつかのことだけを抽出して文章にする。するといつしか、書かれなかった記憶は消え去ってしまい、書いたことだけが日に日に鮮明さを増しながらかつデフォルメされながら、自分の記憶として定着していくのを感じました。そうして、思い出せるはずの風景も出来事も、本当は無数にあったはずなのに、いまやほとんど限られた同じものだけになっていることに気づかされました。
 あの旅は、気づけばいつしか、わずかな断片的記憶によって再構築されていったのでした。
 しかし、晴れた朝に思い出すいくつかの光景、そして空気感やにおいといった感覚は、必ずしも記憶に鮮明に残っている場面ではありません。旅をする中で少しずつ身体に染みつき、自分の中をぼんやりと漂っているような感覚が、瞬間的にふと目の前に現れ、身体の中をすーっと通り抜けていくのです。

 そのとき、ぼくはとても幸福な気分になっています。それは自分にとって旅をしているときの朝の時間が、何かしら心地よさと幸せを感じる時間だったということなのだろうと思います。そしてまた、いま、思い通りにいかない日々の中、あるいはそうした記憶がどこかで自分を支えてくれているのかもしれないとも感じます。
 旅が自分の体内に、ふとしたときに呼び起こせる、厚みと広がりのある幸せな記憶の層を作り上げてくれたように思うのです。


 その場所にいたときに、自分が何を考え、何を感じていたのか。ふとそのときの自分に聞いてみたい衝動に駆られるときがあります。いま記憶に蘇る美しい時間のように、やはりそのときの自分は、旅をする日々をただただ楽しんでいたのであろうか。それともいまと同じく、無数の不安や心配を抱えていたのだろうか。

 ときどきものすごく、あのころの自分に問いかけてみたくなるのです。
 いったいその朝の美しい光の中に立って、おれは何を考え、何を吸収していたのか、と。しかしそこに見えるのはいつも、暖かな日差しの中にいる自分の後ろ姿だけなのです。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

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