遊牧夫婦こぼれ話。

第30回 人生の交錯が生み出す世界

2016.11.04更新

 先月、島根県・隠岐諸島の海士(あま)町を4カ月ぶりに再訪しました。6月に初めて訪れたとき、たまたま出会い少しだけ話す機会のあったある方を、雑誌連載の主人公として書きたいと思い、改めて取材をお願いし、訪れることにしたのでした。
 海士町は、隠岐諸島の島の一つである中ノ島の全体をなす町で、本土からは北に60キロほど離れています。端から端まで車で20分も走れば着いてしまう小さな島で、人々は海と背中合わせの環境の中で毎日を暮らしています。
 今回話を聞いたのは、そんなこの島で10年以上も漁業を生業として生きてきた一人の外国人男性です。2泊3日の短い滞在でしたが、彼が漁を取り仕切る漁船に乗せてもらって一緒に海に出たり、話を聞いたりする中で、彼がいま、生まれ育った国から遠く離れたこの島で根を張り生きていることのすごさ、そして自分が、その彼と偶然人生を交錯させ、わずかながら一緒に時間を過ごしている不思議さと喜びを感じていました。

 人は、何かを考える上でも、何らかの表現をするときも、基本的に自分を中心としてしか世界を見ることができません。文章を書くときにそれを痛感します。いくら他の人や世の中の出来事について書いたとしても、決して自分というフィルターから逃れることはできないからです。そして、できるだけそのことに自覚的になり、「決して客観的になどなりえない」ということを意識しなければ、文章は力を失ってしまうと感じます。
 一方で、それゆえに、他の人から話を聞くということは、異なる位置に中心を持つ世界を見るということに他なりません。特に、初めて会った人などに話を聞くと、自分がこれまで知ることのなかった世界の中心の存在に気づかされたように気持ちになります。
 この人にもまた、何年、何十年という、生きてきた物語があり、この人を中心とした網の目のような人間関係とその網目の間にいくつもの物語がある。それを自分はまったく知らずに生きてきたものの、いま、ふとその人の人生と自分とが交錯することに何とも不思議な気持ちになり、強く心を動かされるのです。そのような、他の人の紡ぎ上げてきた物語、その人が中心にあるもう一つの世界を知ることに喜びや驚きを感じるから、自分はいまこの仕事をしているのだとも思います。

 街を歩いていてもよく同じようなことを感じます。隣をすれ違う人の人生については何も知らない。自分が何十年かけて構築してきた世界には全く登場しなかった人物であり、自分にとっては「存在しなかった」人物である。しかしそれと同じように、その人が構築してきた世界は自分にとってまったく知らない世界であり、その人にとって自分は「存在しなかった」。そう考えてはっとして周りを見回すと、周囲にいる無数の人がそれぞれ築き上げてきた世界の膨大さを感じ、ときどき気が遠くなるような心地がするのです。
 海士町に住むこの男性には、自分と同じくらいの長さを歩んできた彼のこれまでの人生について聞き、またともに船に乗って海に出て、彼が仕事をする様子を見せてもらうことができました。そしてたとえそれが、人生のほんの一瞬の交錯に過ぎなかったとはいえ、短い時間に自分が強い刺激や感動を受けていることに気づきました。
 その連載の取材では毎回のように同様な経験をしていて、そういうとき、この仕事の醍醐味を感じるし、また、いまの自分自身はそのような経験の積み重ねでできているのだということを実感します。

 自分にとって書くことの意味を考えてみるとすれば、そうして自分が他の人から得た刺激や感動を源泉として、自分なりの方法で、小さくとも新たな世界を構築し、世に送り出すことだと思っています。
 自分が作る世界はとても小さなものに過ぎません。いまや星の数以上に存在するかもしれない無数の物語の中で、ほとんどの人に気づかれないまま、ただ静かに在るだけかもしれません。しかし、その前を偶然に通りがかり、ふと目を向けてくださる方が必ずいる。その誰かにとって、自分が紡ぎ上げた小さな世界が何らかの喜びや驚きや感動を与えるものであり、そこに新たな世界が生まれるようなものであってほしいと願いながら日々文章を書いています。人と人が何らかの関係でたまたま出会い、人生を交錯させることで新たな世界を構築していくかのように。

 世の中は、そうした無数の世界がふとした瞬間に互いに重なりを持ち、そこからぽっと新しく小さな世界が生まれ出ることの連続によってできていくのだと思います。
 そして、野原にふっと咲いた花のような、一つの新しい小さな世界が大切にされれば、きっと世の中はまた少し、いまよりもいい場所になるような気がします。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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