遊牧夫婦こぼれ話。

第37回 新たな光

2017.06.02更新

 同世代の尊敬する作家の方に、先日、6年ぶりに会う機会がありました。

 同郷で同じ年といった縁があって勝手に身近に感じているのですが、彼は書き手としては遠く先を行っている方です。毎年何冊も本を出し、しかもそのどれもが骨太で、社会に一石を投じるような意義深い仕事であるという、ものすごい仕事の質と量とにいつも圧倒されています。
 そんな彼の仕事や存在に、ここ6、7年、少なからぬ刺激や影響を受け続けてきました。彼と自分の仕事ぶりのあまりの違いに愕然とすることもしばしばですが、身近にそのように思える存在がいることはとても幸運でありがたいことだとよく感じています。


 最近ぼくは、これまで以上に、書いたものを書籍という形にまとめたいという気持ちが強くなっています。しかし、一冊の本にするだけの分量を書くのが容易ではなく、思うように進んでいません。この6年ほどの間、いろんなテーマの取材をしてきましたが、結局書籍として形になっているのは過去の旅の話だけであり、ノンフィクションというジャンルを志しているものの、なかなかそれらしい本を仕上げることができずにいます。

 その一方、この方を始め、自分がすごいと思う書き手の中には、まるで自分が雑誌のルポを一つ書くようなペースで本を仕上げていっているように感じられる方がいて、何か自分と彼らとの間には、ものすごく大きな断絶があるような気持ちに時になってしまいます。いったい何が違うのだろうか。それが何なのかが分からずに、ずっと考え続けてきました。

 しかしそうして右往左往しながらも、3年ほど不定期で月刊誌に連載してきた思い入れの深いノンフィクションの仕事がようやく最近、書籍にまとめられそうな状況にまで近づいてきました。その最後の段階をなんとか実りあるものにして、人々に必要とされる書籍にしたいという思いが強まる中、どうしてもその方に話を聞きたいと思い、時間をとってもらったのでした。


 駅の喫茶店での2時間ほどの時間の中、ぼくは、彼がどうやってあれだけ良質で価値のある仕事を次々に形にできるのか、その感触のようなものを実感したくお話を伺いました。仕事への向き合い方、テーマの決め方、文章についての技術的なこと、生活のリズム、そして家族のことやその他あれこれ......。聞きたいことはいくつもありました。

 目の前でじっくりとお話を伺うほどに、やはりすごい人だなと思わずにはいられませんでした。仕事への意識、確立してきた方法論の堅牢さ、集中する力、自分自身についての客観的な分析、書き手として生きていく上でのいい意味での戦略、そして、書くこと、表現することへの強い思い。
 自分も同じだなと感じることもあれば、そうか、そこはまったく自分とは異なると思うことも当然ながらありました。真似たいと思う点と、自分にはとてもできないと思う点と、ただただ圧倒される点。

 彼の話を存分に聞き、また再会できればと思いながら別れたあと、ぼくは自分自身がどうするべきかを改めて考えました。そして強く感じたのは、彼と会ったことで刺激を受け、自分もそうしたい、と思ったことが多々あったものの、結局は、自分は自分のやり方でいくしかないのだろうということでした。すなわち、仕事の仕方というのはその人の人生そのものなんだろうということを感じたのです。


 文章をどうやって書いていくのか。書いてどうやって生きていくのか。
 その方法は、書き手一人ひとりによって違います。決してマニュアル化できないし、それぞれが試行錯誤しながら自分に合った方法を探し、見つけていくしかないものだと思います。いい悪いを単純に判断できない、表現に関わる仕事については、仕事の仕方は本当に属人的なものであり、極端に言えば、その人の人生抜きにはその人の仕事の仕方については語れません。

 それは当然といえば当然ながら、この作家の方と話す中で、そのことを改めて実感したのでした。それだけ彼の仕事の仕方がものすごかったということであり、またそれは、彼が全人生的に作り上げてきたものだということをはっきりと感じたということでもあります。そしてそう納得できたことで、自分は自分なりの方法でやっていこうと、とても素直に思うことができたのです。

 彼の生み出すものが、彼のこれまでの人生や現在の生き方を反映しているように、自分が生み出すものもまた、間違いなく自分の過去や現在が強く反映されています。そのことを肯定的に捉え、他の人と比較するのではなく、自分自身の生き方や思考をいい意味で込められてこそ、出来上がるものもまた、自分にとって納得のいくものに近づけるのではないかという気がしたのでした。


 そしてここまで書いて、いま、ふと思いました。
 これは文章を書く上だけでの話ではないのではないか。おそらく人がするあらゆる仕事は、そのもっとも大切な部分は属人的なものであり、その人の人生そのものが反映されているのではないか、と。

 メール一つ打つのでも、人に何かをちょっと言葉で伝えるのでも、きっと一人ひとりそのやり方は違います。たとえマニュアルがある作業であっても、人がそこに介するかぎりなんらかの違いが生まれるはずです。その違いにこそ、その人のそれまでの経験や生き方があらわれるし、それこそが、人が仕事をする意味なのではないかと。
 いろんな人の仕事の仕方や生き方に刺激を受けつつも、自分自身のこれまでの日々に改めて耳を傾けたい。

 もしかしたら自分は至極当然なことを書いているのかもしれません。そう思いながらもいま、何か新たな光が見えたような気がしています。

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近藤雄生こんどう・ゆうき

東京大学工学部卒業、同大学院修了後、旅をしながら文章を書いていこうと決意 して、2003年、結婚直後に妻とともに日本をたつ。オーストラリアでのイルカボ ランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の 勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを 横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。旅と定住を年単位で繰り返しなが ら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌に発表。2008年秋に帰国 し、現在は京都市に在住。著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』『終わり なき旅の終わり』(以上『遊牧夫婦』シリーズ、ミシマ社刊)、『旅に出よう』 (岩波ジュニア新書)。ノンフィクション、サイエンス、エッセイ、紀行文な ど、さまざまな分野の文章を執筆中。京都造形芸術大学・大谷大学 非常勤講師。

http://www.yukikondo.jp/

遊牧夫婦

中国でお尻を手術。

終わりなき旅の終わり

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