遊牧夫婦

第66回 北朝鮮への橋

2012.02.20更新

 みなさん、こんにちは!
 遊牧夫婦シリーズ第二弾、『中国でお尻を手術。』の発刊から早4カ月がたち、いよいよミシマガ連載を再開することになりました。またぼくらの旅の日々を、一緒に楽しんでいただければうれしいです。よろしくお願い致します!


 2006年10月、まだ上海に住んでいたときのこと――。
 ぼくらは中国の大型連休である国慶節の休みを利用して、中国東北部を訪れた。その地域で、青年海外協力隊の隊員として日本語教師をやっていた友人を訪ね、彼女とともに3人で東北地方の旅をしていたのだ。
 そのときのことである。
 ぼくらは、中国、ロシア、北朝鮮の三国が交わる場所にいた。
三国が見渡せる展望台から東を望むと、左手にはロシア、川を挟んだ右側には北朝鮮の大地が見える。北朝鮮とロシアの間には鉄道用の大きな橋が架かり、展望台の説明版には、1950年に造られたものだと書いてある。そしてその奥には、微かに日本海らしきものも見渡させた。

第66回遊牧夫婦

展望台から三国の国境を望む。立っている場所は中国。正面左側、水面が広がるあたりはロシア、川の右側は北朝鮮。両国をつなぐ橋が見える。遠方の海は、日本海

 極東という言葉がまさにぴったり当てはまりそうなその場所を見終えると、その日宿をとっていた琿春(フンチュン)という町に向かって西に戻った。
「あの川の向こうは北朝鮮なのか・・・」と北朝鮮の内情を想像しながら、左手に広がる北朝鮮の大地を眺めながら小さなバンに揺られていると、途中、北朝鮮と中国を結ぶ橋が目に入った。その横には税関や国境らしき建物がある。それを見て、まさかな、と思いつつも、ぼくらは車を降りて、国境の前の門番に聞いてみた。

 「この国境から北朝鮮に渡ることはできるんですか?」

 すると意外なことにその門番は、「可以(クゥーイー。できるよ)」という。そんなバカな、と思いつつ、「外国人でも?」と聞くと、また「可以」。なんと、ここから北朝鮮に入国することができるのかもしれない・・・。半信半疑ながらも、もし入国できるのであればちょっとだけでも覗いてみたいと思ってしまった。

 「行けるっていうんだから、ちょっと行ってみようか?」

 本格的に入国できるわけはないと思いつつも、東南アジアでいくつもの国境を越えているうちに、国境というのは、通れるも通れないも現場の職員のさじ加減や気分でいかようにもなる場合があることもなんとなくわかるようになっていた。

 しかし行けたとしてもどうなるのだろう・・・。ふらりと北朝鮮に入ったらどんなことが待っているのだろう。ぼくもモトコも、まったく何が起こるかわからないという不安は感じた。ただ、行けるという言葉を聞いて、北朝鮮の空気を吸ってみたいという気持ちは強くなるばかりだった。

 そして一度宿まで戻っていろんな可能性を考えてみた挙句、行くことを決めた。北朝鮮に関する情報は本当に限られたものしかないため、メディアから得たイメージから考えると、あまりに謎でビビッてしまう。しかし、実際に国境を越えて北朝鮮という国の土地を踏んでみることで、そういう情報以外の自分自身の体験によるイメージがもてるのではないかという期待を持った。

 一緒にいた友人は、立場上の問題もあって国境は越えられないとのことだったので、申し訳ないながら彼女はひとり先に次の目的地である延吉に行ってもらい、翌日モトコとふたりで、宿のおじさんに車を走らせてもらって再度その国境に向かった。ちなみに乗せてもらった車のメーカーは「五菱」。ひし形が5つ羽根のよう形に配置されたロゴがついていた。

 琿春の街から40分ほど走って、10時半ごろ車を降りる。「圏河口岸(ジュエン・ハー・コウ・アン)」という文字の書かれた国境の入り口で門番にもう一度聞いてみる。

 「日本人なのだけど、ここから北朝鮮に行くことはできますか?」

 すると、昨日とは別の職員が、
「不可以(ブクゥーイー。いけないよ)」と昨日とは違う答えを返してくる。
やはりそうだよな、と納得し、正直少しほっとする気持ちもあったものの、しかしここまで来て、そうですかとは諦められない。食い下がった。昨日の職員は行けると言っていた、たった30分か1時間ぐらいだけ、向こう側に行ってちょっとだけ様子を見てすぐに帰ってきたいだけだ、と説明すると、門番はトランシーバーでなかの人に問い合わせる。そしてしばらくすると、「観光ってことだね」と確認され、そうです、と答えると、「じゃあ、建物のなかへ」と許可が下りるではないか!

 第一の関門を越えて、少し興奮気味に出国審査と税関の建物へ入っていく。建物のなかには数人の中国人観光客のような姿はあったが、それ以外には職員とぼくらしかいなく、静かだった。

 そしてここでも、何人かの職員に「北朝鮮に何しにいくんだ?」と聞かれたものの、門番に言ったのと同じことを言うと、「じゃあ、一時間で帰ってくるってこと?」と、なぜか笑ってハンコを押してくれたのである。

 「本当に出国できちゃったよ・・・」

 この不可解な展開に若干の不安を覚えつつも、北朝鮮の大地に前に、気持ちの高ぶりの方が強くなった。

 「あの橋の向こうが北朝鮮なのか」

 建物を出て少し歩くと、大きな橋が目の前に見えた。昨日は車から遠くに見えるだけで、自分が渡ることなど一生ありえないと思っていた橋がいますぐそこにあることがなんとも不思議だった。

 緊張と興奮が高まりつつも、職員が誰もいないのを見計らってさっとカメラを出して隠し撮りをする。そして歩いて橋に向かっていくと、今度はまた別の職員に止められる。

 「11時で国境は閉まったよ。午後1時半まで待たないと渡れないよ」

 時計を見ると、11時5分すぎ。確かに時間は過ぎているが、ぼくらは出国のスタンプはもらえているのだ。いいじゃないですか、と頼みこむが、午後まで待ての一点張り。
午後、ぼくらは友人が先に向かった延吉まで移動する予定だったので、1時半までは待てない。無理な交渉をしながらも、自分の都合は変えないつもりでいるほどぼくらはこの北朝鮮行きを軽く考えていたのかもしれない。

 そこでまた、「じゃあ、とりあえず橋の前まで行っていい? 景色を見たいだけなんです」とさらに粘ると、「それならいいよ」というではないか。怖いほどに、適当な交渉が次々に実を結んでいった。

 でも国境が閉められちゃったらさすがに無理かな・・・と半ば諦めつつ橋の目の前までいくと、橋の付け根にもう一人のやたらと若い少年のような番人がいる。
 また「何しにきた?」と聞かれたので事情を説明する。そして、ダメ元で彼に再び橋を渡らせてくれないか、と頼んでみる。もちろん「だめ」。午後まで国境は開かないと先の職員と同じ返答。しかし目の前の橋はまだ開いてるし、しかもトラックが一台向こうから通ってくるではないか。あれ、まだ行けるのでは? と思ってさらに適当な理由を考えた。
 
 付け入る隙を思いついた。中国と北朝鮮とでは1時間の時差があるせいもあって、それぞれの側で国境を閉める時間が異なるらしいことだ。国境は閉まったと言われてもまだ橋は普通に渡れる状態にあるようだったので、ぼくはこう言ってみた。

 「ちょっと自分で北朝鮮側までいって、向こうの国境が閉まっているか聞いてくるよ。それで開いてたら向こうに行くし、閉まってたら戻ってくる。いい?」

 むちゃくちゃだ。自分でもさすがに何言ってんだおれは、という気持ちだったけれど、驚いたことに少年は少し考えてから、こう言うのである。

 「その場合、中国に戻れるのは午後になってからだよ。それでもいいか?」

 なんと適当な国境なんだろう、ここは、と逆にびっくりした。午後になってしまうのはまずかったけれど、でもとりあえず通してくれるのであればもう行くしかない。

 「わかった。じゃあ、向こう側に行けたら戻ってくるのは午後でいいから、とりあえず橋を渡って聞いてくるね」とぼくは言った。

 しかも、もう一度、中国側は何時に閉まるんだっけ? と聞くと、なぜか「12時」と変わっている・・・。いずれにしても、それならあと45分あったので、向こうまで行って12時まで戻ってこれるだろう、と踏んだ。
まったく理屈にもなっていない交渉がなぜ成功したのか、その理由はまったくもってわからない。ただとにかく、こうしてぼくらは北朝鮮へとつながる橋へと足を踏み出すことができてしまったのである。

 ぼくらはこのとき、国境というものがどんな意味を持つ場所なのか、わかっていなかったのだ。
 しかしそれは、ぼくらの前に現れる若い職員たちにとっても同じなのかもしれなかった。彼らにとっても、国境を守っているという意識は希薄だったのかもしれない。
 再びカメラを取り出してさっと数枚写真を撮った。
橋は普通車が2台通れるぐらいの幅で、北朝鮮側の岸までおそらく数百メートル、まっすぐに延びている。雲ひとつない青空の下、流れの穏やかな川を上に架かるその橋の上を、ぼくらは歩き始めた。

第66回遊牧夫婦

これから橋を渡る。正面の大地が北朝鮮

 北朝鮮へと続く橋――。
 数百メートル程度の長さのこの橋を歩きながら、いきなり撃たれたりしないだろうか、などと妙な妄想が浮かびまくった。風の音と自分たちの足音しか聞こえない静寂がなんだか不気味にすら思えた。

 後ろを振り向くと、数人の中国人が橋の付け根で、橋を渡るぼくらを見ながら橋の若い番人に何か文句を言っている。彼らは、ぼくらとともに出国審査の建物を出た後、「昼休みで国境閉まっちゃったから、1時半まで待ちなさい」と言われ、がっかりしていた旅行者風の中国人たち。

 彼らも必死に交渉しているに違いないことを考えると、なんでぼくらだけを渡らせてくれたのか、ますますわからなくなる。言葉が十分に通じなかったのが幸いしたのかもしれない。
 北朝鮮側の陸地の緑と、太陽の光で薄められた空の青が、平和そのものの風景をつくり上げていた。しかしこの橋の向こうは決してそんな単純な場所ではないのである。あの緑の向こうはどうなってるのだろう・・・、と思っていると、橋の中間を示す赤いラインが現れた。

 「止歩」

 と、大きく書かれている。この先からは橋も北朝鮮側なんだなということが想像できる。写真を撮りたかったものの、さすがに北朝鮮側に入ったとなると、緊張感も増す。しかも橋の向こう側の付け根には、北朝鮮側の番人の姿が小さく見えるような気がする。さすがにカメラを撮りだす気にはならなかった。

 さらに歩いていくと、いよいよ橋も終わりに近づき、北朝鮮側の小さなゲートと、ポールの上に掲げられた国旗が見えてくる。その横の詰め所にはやはり少年のような国境の番人が待っていた。あなたたちは何者ですか? というちょっと不思議そうな顔をして。

 彼はなかなかのさわやか青年風だった。自分が漠然と持っていた北朝鮮の兵士のイメージとは全然違う人のよさそうな本当に少年だった。

 「ちょっとだけ観光しに来ました」

 と、中国語で当然のように言ってみる。彼は中国語を解さないようだったものの、ゆっくりと何度も繰り返すととりあえずわかってくれたようだった。そして彼は、辛うじてしゃべれる中国語の単語でで返してくる。

 「不行(ブ・シン)、だめだ」

 と。「悪いけどだめだよ」といった感じの、ちょっと申し訳なさそうな笑顔を浮かべながら。
 しかしここまで来たら粘るしかない。ジェスチャーと笑顔の嵐で攻め、パスポートにちゃんと中国出国のハンコをもらっていることを見せる。すると途中で彼も折れ始めた。
「上司に聞いてみるからちょっと待ってて」という風なジェスチャーで、詰め所のなかへ電話をかけに行ってくれた。おお、これは行ったか!? と思い、気をよくして待っていると、しばらくして彼が戻ってきた。そして、寂しげな笑顔で手を横に振りながら「不行」と何度か繰り返す。「だめ?だめなの?」と聞きなおすと、「うん、だめだって」と彼。そこに彼自身の意志はまったく働いていないようで、ぼくも、いくら彼に言ってみても何も変化はないような気はしてきた。

 しかし、数メートル先に北朝鮮の土地を見てこのまま戻るわけにはいかない。あとはとにかく、笑顔&お願い! で攻めるしかない。そして、その場を動かない。すると、しばらくして突然少年は自らの意志を発現させた。

 「わかった、行きなよ」

第66回遊牧夫婦

中国東北部。琿春(フンチュン)を拠点に、その少し東の三国の国境へ

 と、いきなり許可してくれたのだ。それは完全に彼の決断だったように見えた。理由はわからないものの、突然彼が自分の意志で通してくれたという感じだった。少年兵に感謝しつつも、なんだか恐ろしいほど理由がわからないまますべてがぼくらを北朝鮮へと導き入れているような展開なのだ。

 いよいよ橋を渡り切った。
 時計を見ると、11時30分。12時に中国側の国境が閉まるので、まだまだ時間はある。それまでに見て、さっと戻ってこよう――。そう思って、ぼくとモトコは、北朝鮮の大地へ第一歩を踏み入れた。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


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