遊牧夫婦

第67回 あなたは何物?

2012.02.21更新

 橋を渡り、ついに北朝鮮の大地を踏んだ。
 中国側のゲートが閉まる12時までの30分間で帰ろうと思っていたので、ぼくらは早足で中央に向かって歩いて行った。

 すぐに建物があった。あまりひと気のしない、そのなかを入り口から覗いてみると、薄汚れた窓の向こうにうっすらと見える金正日、金日成ふたりの笑顔の肖像画。「いよいよ来たな」と、気分も高揚する。

 横の扉からなかに入る。入国審査の窓口があり、その後ろにも金正日が笑っているものの、職員はゼロ。いるのは入国を待つ中国人が数人。彼らに、どういった状況かを聞くと、「昼休みだから、あと2時間待てって」とのことだった。

 審査の場所には誰もいない。しかも、向こう側まで開けっ放し。勝手に行っても誰も気にしないのではないかという雰囲気に思わずちょっと先まで覗いてしまう。
すると、中年の職員がひとり登場した。彼も、自分が持っていた北朝鮮へのハードコア&融通の利かないイメージを裏切る穏やかそうな人物だった。中国語は通じないものの、とにかく中国語+ジェスチャーで、「ちょっと観光に来たんだけど、向こう側に通してもらえませんか」といったニュアンスを伝える。するとやはり、

 「不行(ブ・シン)。だめだ」

 しかし、彼は親切にも「隣の部屋で待ちなさい」とソファのある部屋で待ってるようにぼくらを他の部屋に案内してくれた。そしてたどり着いたのが、さっき外から覗いた、大きな肖像画の部屋だった。そこのソファにぼくらを座らせて、中年職員は出て行った。

 誰もいないようなので、

 「写真撮っても大丈夫かな?」

 とさっとカメラを出して金親子の肖像画や部屋の様子を撮影した。すぐカバンにカメラを戻せる態勢で何枚か撮っていると、足音がしたのでヤバイ! とすぐにカメラをしまった。しかし、誰も現れなかった。

第67回遊牧夫婦

 状況のわからなさと自分のビビり具合に、もう帰った方がいいような気がしてくる。モトコも同じような気持ちだった。そしてもうここまでだろうとどちらからともなく納得した。

 「もう無理だな、帰ろう。さすがに2時間も待てないし。ゲートもそろそろ閉まっちゃうし」

 そのとき11時45分。まだ閉まるまで15分ある。来られるところまで来たのでとりあえず諦めがついた。2時間待てば新たな展開があるかもしれなかったものの、町からこの国境まで連れて来てくれた運転手を、1時間で戻るといって中国側に待たせてあったので、2時間待つという選択肢はもともとなかった。その上、どう考えてもこの状態で正式に入国できるとは思えなかったので、これ以上待っても意味はないと思った。

 ぼくらは建物を出て、周囲に拡がる牧歌的な風景を眺めたり、地面に落ちている石を拾ってみたりしながら、中国に戻るべく、橋の付け根まで戻っていった。そこにはやはり先の少年兵が立っている。再び、何事もなかったかのように彼が中国側へと通してくれるとぼくはすっかり信じきっていた。

 しかし――。
 橋に近づいて、茶と緑の風景から目を離し、正面の橋を見ると、なんと北朝鮮側のゲートが閉まっている。うわっ、やばい、と焦った。

 中国側が閉まるのであれば当然こちら側も閉まるに決まっているのだけれど、なぜだかそのことをぼくもモトコもまったく考えていなかった。
 しかし、融通の利く例のさわやかな少年兵がまた笑顔で通してくれるはずだと、不安を押し消し、小さな期待を膨らませて彼に近づいていくと、彼が打って変わって笑顔のない顔でこういうではないか。

 「不行(ブ・シン)、だめだ」

 え? と思いつつ、急いでさらに彼に近づいて、「やはり入国できなかった、中国に戻るから橋渡らせてくれ」と伝えると、彼はあの融通の利かせっぷりを完全に忘れたかのように、

 「不行」 

 と連発した。だめだ、だめだ、だめだ―――と。そしてぼくが、彼の立つ、ちょっとだけ周囲より高くなっているコンクリートで舗装されている部分に気づかずに立っていると、彼はマジ顔でこう言ったのだ。

 「そこから降りろ」

 さっきまでのさわやかな雰囲気は姿を隠し、彼はまったく笑顔を見せずにぼくらに繰り返した。

 「向こうに戻って待ってなさい」

 と。初めて、もう交渉は無理だと感じた。

 「どうしよう・・・」

 ただ昼休みで扉が閉まってるだけなのかもしれなかったが、これはもしかするとかなりまずい展開なんじゃないかという気もした。ふたりとも血の気が引いた。そうしてまた、金正日の待つ入国審査の建物に向かって戻っていった。

 そのとき急に、すべての風景がグレーがかって見えた。そして、中国側で待っている運転手の顔や、先に別の町に向かった友人の顔が頭に浮かんだ。

 ふたりともがっくりと肩を落とし、ああ、どうなるんだろう・・・と、とぼとぼと建物に近づいたところで、突然意外な声が聞こえてきた。

 「あなたたち、日本人? なんでこんなところにいるの?!」

それは、ネイティブの日本語の声だった。見ると声の主は、中年の、いや、初老のといった感じのおじさんだった。その姿を見て、やはりぼくもすぐに思った。あなたは誰なのか、と――。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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