遊牧夫婦

前回のあらすじ:中国からモンゴルへ国境を渡ったものの、国境の町ザミンウドを抜け出す交通手段がなく、足止めを食らう。仕方なくザミンウドに一泊して翌朝電車のチケットを買ってウランバートルまで行こう、ということになった。しかし翌日、早朝からチケットを買いにいったものの、駅に行くとすごい行列が。そしてなんと、順番が回ってくる前にチケットは売切れてしまったのだ。その日もまた国境から出られなくなりそうだった・・・。)

第71回 静止した世界のなかで

2012.03.19更新

第71回遊牧夫婦

早朝のチケット購入組の行列。前日よりもすごい!

 今日も一日、この町を出られないようだった。どうしてこんなことになってしまったんだ・・・。この国境から列車に乗るのが大変などという情報はまったく聞いてなかったのに。

 これは後に聞いたことだけれど、この疑問をブルネ(=チケット取りを手伝ってくれているモンゴル人)にぶつけてみると、彼はこんなことを教えてくれた。彼は、ウランバートルの会社で日用品の輸入業務を担当していた。たとえばライオンの歯磨き粉などを輸入しているという。その彼が、ここザミンウドに来ている訳は、ぼくらが陥っている状況と無関係ではないようだったのだ。

 「中国から商品を輸入しても、こんな調子で鉄道やコンテナの数が少ないために、どうもみな国境でストップしてしまって、ウランバートルまで届かないんだよ。その状況を調べるために、ぼくはここにザミンウドまで来てるんだ」

 ブルネは続ける。人間の移動が不自由なのも、商品の問題と同様な原因なのだろう、と。さらに、この8月半ばは、9月の新学期に向けて学生たちがみなウランバートルへ戻るために特に列車が混むこと、またホテルがどこもいっぱいだったのは、この時期に文房具などの学用品を売って一儲けしようとする人たちが、中国へ買いつけに行くからだろうという。中国で物を買ってモンゴルで売るというのは、90年にモンゴルが自由化されて以来、稼ぐための一般的な手段となっているらしいのだ。

 ぼくらはこのとき、まさにそんなモンゴルの現状の真っ只中にいたのだ。あとからそんなことを聞けば、なるほど貴重なリアルモンゴル体験だったなと思えるが、現場では、そんなことはまったくわからない状況で、とにかく早く脱出したい気持ちばかりに満ちていた。

 この日もチケットが取れないことがわかったあと、一応バスがあるかをブルネに再度確認してもらう。バスターミナルはあそこだと言われた場所に行ってみると、そこはほとんどただの砂地だった。

 「ここのことか・・・。やっぱりバスなんてないんだな」

 バスは完全に断念せざるを得なかった。
 これで今日出発できないことは確実になる。ブルネももう、仕事に行かなければならないというので、礼を言って彼とも別れた。

 まだ午前中ながらやることもなくなった。

 「頭かゆいし、ちょっと髪を洗ってくるね」

 ぼくはモトコにそう言って、駅のトイレへと向かった。昨日モンゴルに入って以来すごい汗と砂埃をかぶりながらもキャンプではシャワーを浴びることができなかったため、駅のトイレの手洗い場に頭を突っ込んで髪を洗った。もともと水が少ないこの場所では、蛇口から出せる水もわずかでしかない。それを適当に頭につけて、服などで適当に拭くしかない。「これはきわどいスタイルだな・・・」と思ったが、まあ、いいやと、洗い切った。

 すっきりしたのかしてないのかわからない洗髪を終えると、モトコとともに、「どうしようか・・・」と途方にくれつつ、駅の日陰に腰を下ろして出発する列車を眺めていた。
 すると突然、西洋人の若い女性3人が、顔を強張らせてぼくらのところにやってきた。「お願い! なんとか助けてほしいの」。深刻そうな様子だった。

 聞くと、彼女たちは中国に向かっていて、ウランバートルから列車に乗ってここまできた。中国へと国境を越える前にこの駅でちょっと列車を下りてトイレに行って戻ろうとしたら、なぜか乗車を拒否された。そしてなんと、そのまま列車が発車してしまったというのだ。列車のなかには他の友達が乗っている。

 そう話すと、ひとりが「3時間後に中国側の町から北京行きのバスに乗ることになっているのに、どうすればいいの?」と言って泣き出してしまった。
 逆の進行方向にも大変な人がいるのかと、なんだかかわいそうになり、中国語を使ってぼくらができることがあるかもしれないと考えた。

 まずは一緒に必要な情報を聞き出した。そして、彼女たちを中国側まで乗せてくれる車を探しに行く。これから中国に行くという中国語を解する運転手が運良く見つかった。運転手と交渉して、その内容を彼女たちに説明する。

 「これで大丈夫だと思うよ、きっと友だちのところに連れていってくれるはず」

 そう言って、中国へ向かう彼女たちを見送った。ただ正直なところを言えば、大変そうな彼女たちを見ることで、自分たちの境遇はまだ気楽なものなのかもなと、重い気持ちを和らげていたというのも否めない。
 そうこうしているうちに、また一日が過ぎつつあった。

 「ああ、こんなことなら、二連浩特のあの快適宿にもうちょっと泊まってればよかったな」。そう思ったけれど、そうしても、この苦境が数日後ろにずれただけであろう。ただ、この干からびた砂だらけの国境にいると、数キロ向こうの活気ある中国の町が妙に懐かしくて仕方がなかった。

 でも、このまま明日を迎えたら、また同じ展開になりかねない。そうすれば無限ループに入りそうな気がする。まだ時間がある。なんとか明日確実にチケットを手に入れられるよう手を打ちたかった。なにか方法はないだろうか・・・。モトコと頭を悩ましていると、そこに突然、流暢な日本語を話すモンゴル人夫婦が現れた。まさに地獄に仏だ。彼らに状況を話すと、「そうでしたか。では明日のチケットが確実にもらえるように、駅長さんに頼んでみましょうよ」と言ってくれ、駅長さんへ直接届くように手紙を書いてくれた。そして、明日は絶対にチケットが取れるように取り計らってもらえるよう、ぼくらに代わって駅職員にお願いしてくれたのだ。これで明日は、今日よりも前進した状態で朝を迎えられそうだ。本当に人の親切に助けられる。ありがたく思い、少しほっとして、その日も夜はツーリストキャンプへと戻っていった。疲労が凄まじく、またシャワーも有料なので断念して、9時ごろにはすでに寝た。明日こそ、チケットが取れることを願いながら。

 しかし――。
「ごめん、起きてくれる・・・? すごいお腹が痛い・・・」
 夜中3時ごろ。モトコが腹痛と寒気を訴えて目を覚ました。かなり具合が悪そうだった。一緒にゲルを出て、真っ暗ななか、草原の離れた場所にあるトイレまで歩いていく。モトコが用を足すのをそばで待っていると、しばらくしてモトコが、「少しましになった・・・」といいながら、浮かない顔で戻ってきた。でも、もし明日になってこのまま回復しなかったら、チケットが取れたとしてもとても動けそうにない。

 「そしたらもうモンゴルはあきらめて中国へ戻ってゆっくり休もうか」

 本気でそんな気になっていた。これでモトコが動けなくなったら、もうモンゴルには縁がなかったと思おうと。そう思ったら、なんだか気楽になった。

 「星空、すごいな・・・」

 モトコが少し落ち着いたあと、改めて空をじっくり眺めると、まさに満天の星という光景だった。天の川がきれいに見える。北斗七星とオリオン座がとても低い位置にじっとしている。無数の星。すべてが止まっているような錯覚に陥ると、静寂さが音となって聞こえてくるような気がした。

 静止しているように見える世界のなか、流れ星が次々と闇のなかを駆け抜ける。5分足らずの間に5つほど見え、そのうちひとつは「シューッ」と音が聞こえそうなほど、太くて長い残像を残して消えていった。この星空を見ただけでも、モンゴルに来た価値はあったかもしれない。そう思おうともした。

 ザミンウド三日目の朝――。
 モトコは体調を回復させるべく宿で寝ていることにして、この日はぼくがひとりで、6時半に宿を出て、車で送ってもらって駅へ向かった。前日の直接交渉で「8時にくればいい」といわれたものの、それを真に受けては危ないなと早めに駅へ行ったのだ。

 駅の状況は昨日と同じで、また並んだ。そしてなんとか昨日ぼくらの交渉の仲介をしてくれた女性職員のもとへたどり着くと、パスポートとお金を受け取ってくれた。

 「下で待ってなさい」

 国境から一緒で、同じ状況に見舞われていたもうひとりの日本人(彼はゲルではなく、民家に泊めてもらっていた)とともに、心配しながらも言われたとおりに下で待った。大丈夫かなと思いつつも2時間ほど待ったあげく、ついに呼ばれた。そして今度こそ、チケットが手に入ったのだ!
感激した。手元にあったクッキーで祝った。キャンプに戻るとモトコも体調をだいぶ回復させていた。

 「うん、大丈夫。行けると思う」

 12時半ごろにキャンプを出て、駅のレストランでご飯を食べ、薬を買いに行って17時すぎに列車に乗る。やっと――。本当に、やっと、という気持ちだった。

第71回遊牧夫婦

ついに乗れることになった列車。青字で書かれているのは「ザミンウド―ウランバートル―エルデネット」ザミンウドからウランバートルを経て、エルデネットへ行く電車。「yb」と見える表記が「ウランバートル」。

 しかし乗ってみると、最後にもうひとつ、小さくショックなことがあった。この日の日中に中国から国境を越えてきて、チケットどうしようかと言っていた4人の西洋人が、なんとちゃんとぼくらと同じ列車のチケットを入手して乗っているのである。なんで乗れてんだこの人たち・・・? 

 おれたちはいったい何をやっていたんだろう。そのときに、自分たちがただやたらと不運だっただけなのかもしれないと気づかされた。思えば、国境を一緒に越えたブルース・ウィルスたちも、ザミンウドに午後に着いて、チケットを手に入れていたのだ・・・。

 発車してみると、列車もまたハードだった。2段ベッドが正面に向かい合いひとつのコンパートメントになっていたが、窓が壊れてしまらない。寒いだけならまだなんとかなった。しかし列車は途中、砂嵐のようなものに襲われ、その砂がすべて車内に入ってきたのだ。肌も髪もざらざらになり、口のなかにも砂が入る。落ち着いて寝てもいられない。

 そうして砂まみれになりながら、16時間。それをかろうじて耐え抜いて、ぼくらはなんとかウランバートルに着いたのだった。

第71回遊牧夫婦

列車の窓から見えるのは果てしない草原。時折、ゲルや動物の姿が。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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