遊牧夫婦

第72回 ツァータンに会いに

2012.03.21更新

第72回遊牧夫婦

ウランバートル

 モンゴルの首都ウランバートルは、着いてみると普通の町だった。草原、砂漠、遊牧民といったイメージを想起させるものの、さすがに首都だけあって、アスファルトとコンクリートに満ちていた。街なかにいると、周囲に砂漠が広がっていることなどすっかり忘れてしまうし、この国の道という道の1割もが舗装されていないことも実感できない。(当時調べたところでは、モンゴルには道が49000キロあり、舗装されているのはそのうち1700キロのみとのことだった)

 建物にはキリル文字が書かれ、街並みはロシアを想像させる西洋風な雰囲気に包まれている。淡いピンクや黄色のパステルカラーな建物が印象的で、レイドバック(laid-back)な空気感が漂っていた。楽しげな西洋人旅行者の姿も多数ある。
 西洋人がやっているらしいカフェやレストランが多いことにも驚かされる。ネット屋もたくさんあるし、ゲストハウスも充実。旅行者にとってはダラダラといくらでもいられそうな町に見えた。

 路上のスタンドで売ってる新聞の表紙には朝青龍の姿があった。ちょうどこのころ、朝青龍が、怪我をしたために休場してモンゴルに帰国しながら、中田英寿とサッカーをやっていたとかなんとかでバッシングを受けていた。ネットでそのニュースを見ながら、「怪我してたって、たまたま調子がいい日があったっていいじゃねえか」などと思っていたが、同じニュースが、こっちでも新聞の一面を飾っているのを見て、やはり朝青龍はモンゴルのスターなんだなと実感する。

 ちなみに、新聞の文字が読めるわけではないのに、このニュースのことが書かれているはずとわかったのは、その新聞に、日本の週刊誌の写真が載っていたからだ。週刊誌のタイトルは「朝青龍/いますぐマ」までで切れていたが、おそらくこのタイトルは、「朝青龍/いますぐママに会いたい」ぐらいだろうと予想できた。
 そんな気楽な雰囲気で居心地のいいウランバートルで、ぼくらはふたつのことを片付けるために動き回っていた。ひとつは、モンゴルのさらに奥地へ行く準備、そしてもうひとつは、ロシアへと国境を越えるためのビザの取得だ。

 モンゴルの奥地というのは、北部のホフスグル湖(Khovsgol lake)という大きな湖のそばの山奥のことだ。その辺りに住みトナカイ放牧をする少数民族の人たちのところに行きたいと思っていた。ツァータンと呼ばれるこの民族は、ロシアとの国境のそばをトナカイとともに移動してクマなどの肉を食べて暮らす。モンゴルでも数百人しかいないという彼らの話を聞いて、ぼくもモトコもすぐに惹かれてしまったのだ。

 しかし彼らは、かなりの僻地にいる。なんでも、ウランバートルからはジープで片道3日ほど、それから馬で山奥を2,3日もいかなければならないというのだ。彼らは遊牧民なため、定住地があるわけではない。馬に乗って彼らを探さないといけないのだ。
 そのための専門のツアーに入らないと彼らのところまでは行くことができない、と旅行代理店で言われたが、そのツアーというのがやたらと高く躊躇してしまう。ところがそんなとき、昆明時代の友だちに、以前自力でその辺りまで行ったよという話を聞いた。
 よし、自分たちも自力で行ってみよう。実際に行けるのかどうか確信があったわけではないものの、ウランバートルで情報を集めているだけではわからない。とにかく近くまで行って見るしかない。そう思って、ぼくらは動き出した。

 一方、ロシアのビザ取得はといえば。
 最初直接ロシア大使館に行ってみると、すべての記述がモンゴル語だかロシア語だかで英語が一言も書いてない。しかも、ロシアの大使館が、それほどフレンドリーに教えてくれようはずもない。職員のイメージ通りのロシアン仏頂面を前にたじろぎ、まったくどうしていいかわからず、とりあえずいったん宿に帰るしかなかった。
 ところが、泊まっていた宿のオーナーに聞くと、お金を払えば代わりに手配をしてくれる代行業者がいるという。
 小さなビルのなかにあるその代理店に行ってみると、確かにその通りだった。軽快な女性職員が、英語で親切に対応してくれた。3週間滞在できるビザで100ドルと少し高めだったものの、すでにいろいろと自分たちで動いたあとだったので、1万円ちょっとでやってくれるなら安いものだと、そこに頼むことにすぐに決めた。

 「これでロシアにも行けそうだね」

 ロシアのビザの状況は、ウランバートルに来るまでは不明だった。モンゴルで取れるかどうかもよくわかっていなかったため、ここで取れることがわかって気持ちが晴れた。
ロシアに入ったら、シベリア鉄道で東へ移動してハバロフスクかウラジオストクまで行こう。その後再び南下して中国の黒竜江省へ戻ろう。ロシアから中国への国境も、持っているガイドブックによれば、陸路で越えられるという。

 そこから中国を東から西へと横断して、中国の新疆ウイグル自治区から中央アジアに入っていく。コースが具体的になってきた。
 そしてぼくらはビザができるのを待つ間に、トナカイ遊牧の民族、ツァータンのところまで行くべく動き出したのだった。


 目的のホフスグル湖はモンゴル北部にある。ウランバートルから北西にかなりの距離いかなければならない。道なき道を車で走る距離は最小限にとどめたいので、とりあえず、列車でいけるところは列車で行く。その限界となるエルデネット(Erdenet)という町まで、夜行列車で行くことにした。

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発車前の夜行列車。ウランバートルからエルデネットへ

 列車は夜9時ごろ、ウランバートルを出発する。今回は、ウランバートルまでのときとは違って窓もしっかり閉まる快適なコンパートメント。しかもコンパートメントには、ぼくとモトコふたりだけで、4人分を自由に使える。そのまま草原をずっと走りぬけ、ぼくらはすっかり深い眠りにつくことができた。
 朝になると広大な草地のなかに白いゲルが見えたりする。ああ、モンゴルにいるんだなあ、と実感しつつ、しかし一方で、2段ベッドの横の小さなテーブルに液晶テレビがついているのに驚かされる。そんななかで窓の外を眺めながら、コーヒーとパンと水の朝食を摂ると、朝8時ごろ、エルデネットに到着した。

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列車の車窓から。草原のなかに時折白いゲルが見える。

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列車のコンパートメント。上両側の板を下ろすと、2段ベッドがふたつとなる。

 降りると駅前には遠くまで延々と草原と丘が続いている。建物といえば、装飾のまったくないこれまたパステルカラーの団地的集合住宅がいくつか建つだけだ。
 そしてここから先、ぼくらが目指すホフスグル湖方面にはもう列車もない。エルデネットからホフスグル湖まではおそらく、地図を見る限り直線距離でも、300~400キロはありそうであるが、車を見つけていくしかなさそうだった。

 「さて、車があるのかな・・・」

 と思っていると、駅前の駐車場で、あっさり車は見つかった。しかも、シンガポール人、アイルランド人の旅行者もいて、あとはぼくらと現地のモンゴル人、計12人で、1台のバンをシェアして行くことになった。

 グレー一色でひどく機械的なバンは、ロシア製の「フルゴン」というやつだ。モンゴルに入って以来えらくよく見る、無骨な車である。発車まで1,2時間待って、朝10時前ごろには出発した。

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並んでいるのが、モンゴル中を駆け回るロシア製のフルゴン。ストイックさが滲み出る風体。後に体験することになるが、このまま水中も走ってしまう。

 フルゴンは、草原のなかに開けた未舗装の道を延々と走った。快適さを追求するのは堕落の証だ、とでも言っているかのように、人にやさしい装備は一切ない。サスペンションもないようで、ガタガタ道の振動はまったく吸収されることなく、身体に届く。
 そんなハードな車に12時間。夜9時半ごろ、ムルン(Moron)という町に着いた。

 「ホトガルまではあと3時間ぐらいだ」

 ホトガルは、目的地のホフスグル湖畔の町。そこがぼくらのとりあえずの目的地なのだが、あまりの疲労にもうそのままバンに乗っていることはできそうになかった。ムルンで一泊することにした。
 暗いなか、こじんまりとしたゲストハウスを見つけた。そのなかも暗いので、

 「おーい、あいてますか?」

 と声を上げて入り口を叩くと、入れてもらえた。そのドミトリーに泊まることになる。夕食には、宿の隣の建物の、場末のラウンジのようなバーレストラン的な店に入ると、「もう何もないよ」と言われる。しかし無理やり頼み込んだら、なんとかチャーハンをつくってくれたので、それをかきこんだ。

 夜中、同室のイスラエル人マイケルのいびきがやたらとうるさくて眠れなかったが、それでも朝はやって来る。しかしこの日、トナカイ遊牧民・ツァータンに会いに行く詳しい方法を聞くと、致命的なことが発覚してしまった。

 「ツァータンのところへ行くパーミット(許可証)は、ここムルンでもホトガルでも取ることはできないよ。ウランバートルで事前に取っておかないといけないんだ」

 マジかよ・・・と思ったが、もうどうしようもないらしかった。リサーチ不足がたたった。とりあえずあきらめて、その日ぼくらは再び3時間ほど、ロシア製のフルゴンに揺られてホトガルまで行った。
 しかしホトガルに着くと、ツァータンに会えるかもしれないもうひとつの方法があることを知った。旅行者用のホーストレッキングである。ホトガルから馬に乗って山を数日行くと出会える可能性があるというのだ。とはいえそれは、許可証がいる地域で出会えるツァータンとはやはり異なる。山を下り、ツーリストが来られる場所まで出てきている観光用ツァータンだという・・・。
 とにかく、ぼくらはこのトレッキングに行くことを決めた。
 そして、ホトガルに着いて2日後、ぼくらはガイドと通訳と4人で、馬に乗って山に向かったのだ。それは、予想していた以上のモンゴル体験となっていった――。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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