遊牧夫婦

 モンゴル北部、ロシアとの国境に近い山奥に、ツァータン(Tsaatan)と呼ばれる人々がいる。「ツァータン」とは、「トナカイとともに」といった意味であり、その通り、トナカイとともに遊牧する人たちである。もともとはシベリア南部トゥバの人々であり、何千年も前から、現在のモンゴルとロシアの国境あたりの地域に暮らしてきたといわれる。

 ツァータンはトナカイの乳を飲み、トナカイの皮と毛から衣服をつくる。大きな角から道具をつくり、トナカイに乗って移動したり、クマ、シカ、キツネなどを狩猟したりする。その生活のすべてがトナカイとともにある。

 彼らはモンゴル北部の山の奥深くに暮らし、現在では約300人、数十家族しか存在しない。その彼らに会いたいと思い、ぼくらはモンゴル北部までやってきた。しかし、近くまで来た挙句、ツァータンが暮らす山奥までは、パーミットを持たない自分たちには行けないことがわかった。しかし、
「ツァータンに会える方法はまだある」
と聞いて、ぼくらはハトガルという町から、ホーストレッキングに参加することにした。山奥深くのツァータンにはもう会えない。それでも、彼らの生活の片鱗が見える場所が、ぼくらにも行ける場所に、あるようだった。  

第73回 果てしない草原と丘と遊牧の民たちと

2012.04.03更新

 ホーストレッキングの最初の一日を終えて、テントで眠ろうとしたときのことである。草原の上にポツリと立てた青いナイロン製のテントのなかで、持っている服をすべて着込み、寝袋のなかに身を縮ませ、モトコと寄り添うようにして眼をつぶった。しかし、どうしても眠ることができない。身体の震えが止まらないのだ。

 「ヤバイ、これ、ほんとに寒すぎる・・・。これで朝までってありえないな」
 「私、本当に耐えられへんかも・・・。その上着、かしてくれへん?」
 「いや、おれもこれ脱いだらやばいって。いまでも限界だよ」
 「・・・。いま何時? 何時ごろ明るくなるんやろう・・・?」
 「え、まだ夜中だよ。あと4,5時間はあるんじゃないかなあ・・・。うわあ、マジで寒すぎ!」

テントのなかの気温がどのくらいなのかはわからない。でもその後の経験から考えると0℃前後までは下がっていたのではないだろうか。そんな極寒のなかで寝なければならないとは、予想もしていなかった。とにかく朝まで待つしかない。一日馬の上で過ごしたせいで疲労もすごかったため、急激に眠気がやってきて全身が弛緩していくこともあったけれど、その眠気に身を任せて寝ようとじっとしていると、何かの拍子にまた、寒さが身体の芯を締めつけるように襲ってくる。

 寝れない。でも目をつぶるしかない。声のしない隣のモトコに、起きてる? と小声で聞くと、彼女も全く同じ状況に苦しんでいるようだった。

 「まったく寝れへん・・・」
 
 そんなことを夜中の間、ずっと繰り返していた。
これは8月のことだ。季節は夏とはいえ、モンゴル北部の平原の夜は、季節など関係なく極寒となるようだった。

 それでも必ず朝は来る。疲労と寒さと眠気の間を行ったりきたりしているうちに、少しずつ外が明るくなってくる気配を感じた。青色のナイロン製テントが光を浴びて白く色づき始めたころ、もう我慢できなくなって、ぼくはテントのファスナーを勢いよく開いて外に出た。

 「朝だよ、朝!」

 外に出てみると、雲ひとつない空の下、丘の間から巨大な白い光が少しずつ昇ってこようとしている。静寂に包まれた草原の上には霜が降り、歩くと、サクッサクッと小さな音がする。少し離れたところには、ガイドと通訳のふたりが眠るテントがあり、また別の場所には、岩に結びつけられた馬が、立ったままの状態でじっとしている。

 馬って、あのままで寝てるのかな・・・。この寒さのなか、裸で立ったまま寝るって、ありえねえ・・・などと無用な心配をしてしまう。そしてそれから自分たちのテントをまじまじと見て驚いた。なんと、凍りついているのだ。ナイロンはパリパリに固まり、半分白くなっている。これでは冷蔵庫のなかで寝ていたようなものではないか・・・。

 ただでさえ寒いのに、何も風よけのない場所にテントを立て、吹きさらしになっていたのがまずかったのだろう。

第73回遊牧夫婦

凍ってしまったテント。

 とにかく火をおこして温まろう。そう思って、昨夜夕食をつくったときの焚き火の跡に、近くにあった木の枝を集めて置いてみた。そしてまさかと思いながらも、火種があった場所にゆっくりと息を吹きかけ空気を送った。なんとなく、そこがまだ少し暖かいような気がしたので、丹念にふー、ふー、と息を吹きかけ続ける・・・。すると驚いたことに、ゆっくりと煙が出てきたのである。竜がゆっくりと天に舞い上がるかのような細長く、ゆらゆらと蛇行する煙が出始めた。さらに吹き続けると、なかに赤い微かな光が灯り始めた。それがある瞬間に、ボッ! と音を立てて小さな炎に変わったのだ。火種は、あんな寒さのなかも生き続けるのだ。そのことを初めて知り、ぼくはひどく感動してしまった。

 この日泊まった場所のそばには、岩場があり、そこにはほんのわずかだが湧き水が出ている。湧き水といっても、岩の間のほんの小さな水溜りといった程度のものだ。

 食事のためにここに水を汲みに行くと、そこにはひとりの女性がいた。見ていると彼女は、汚れた上澄みを上手に脇によけながらきれいなところだけを掬っている。

 近くには白いゲルがふたつと木の小屋が見える。彼女はそこに家族とともに暮らす遊牧民だった。わずかでも水があれば、人間は生きていける。だから、わずかでも水があれば、近くには人がいる。そんなことに気づかされた。

 彼女に招かれその小屋のなかに入れてもらうと、そこには自らさばいたらしいヒツジの肉が、真っ赤な状態で壁から吊り下げられていた。
 そして、「これ、食べなさい」と、手渡されたボウルの中身は手作りのヨーグルトだった。一口ずつみなで回して食べる。

 「わあ、おいしいなあ・・・」

 モトコが感嘆する。見た目はいかにも手作りな荒さのあるそのヨーグルトは、ヒツジや草原のにおいがたちこめる本当においしいものだった。
 しかし驚かされたのは、その一方で、かなり近代的なオーディオのようなものがあったことだ。その横には発電機があり、太陽熱によって動くのだという。

 「日本政府とモンゴル政府の両方の援助によってもらえてるらしいよ」

 通訳のバスカがそう教えてくれた。何千年も変わっていなさそうな生活のなかに、突如アンバランスな近代的設備が導入されるのがなんとも現代っぽいのだ。
 いま自分たちはモンゴルにいるのだ――。
 彼らが暮らす様子を見て、そして、その小屋の周りで、モンゴル相撲を取る若者たちの姿を見て、ぼくは、改めてそう強く感じた。

 そんなモンゴルの現在を垣間見ながら、二日目のトレッキングが始まった。
ガイドのストーン、通訳のバスカとともに4人でのトレッキングツアーだった。馬は各自の一頭に加え、荷物を運ぶのが一頭。計5頭でゆっくりと進む。バスカは、高らかに草原をめでるような声で、ゆったりとした歌を、遠吠えでもするかのように口ずさみながら進んでいった。

 果てしない草原と丘が延々と続いている。そしてときにヤクまたはヒツジといった動物の姿が見えると、その付近にはたいてい、白いゲルがぽつりと建っている。遊牧民たちは、しばらくその場所に暮らす。そして動物たちが付近の草を食べきってしまうと、次の場所へと移動していくのだろう・・・。

第73回遊牧夫婦

ときおりこのようにポツリとゲルがヤクやヒツジが見えてくる。

 自分が街での暮らしを当たり前のように生きているなかで、同時代に、こういう時間のなかを生きている人がいることを実感することが、旅の醍醐味のひとつである。彼らは日々、どのようなことを考えて生きているのかを想像してみる。その日何を食べようか、天候はどうか、動物たちは食べてるか。水はまだあるか、薪はあるか、子どもたちは元気か、家族はみな楽しく暮らしているか・・・。

 そんなにシンプルではないかもしれない。しかし、周囲に誰も人がいなく、新聞もテレビもネットも電話もなく、何も情報が入ってこないなかで生きていれば、必然的にわずらわしい考えごとが減っていくことは確かだろう。もしかすると、いま、ウランバートルでは何が起こっているのだろうか・・・と考えることはあるかもしれない。それでも、日本で何が起こっているかを考えることはきっとほとんどないのではないかと思う。それに対して自分たちは、日本で俳優が新しいCMに出たのはもちろんのこと、アメリカでハリウッドスターが浮気したこと、イラクでまた誤爆があったこと、北朝鮮と中国がなにやら話し合いをもったこと、今日食べた食品に栄養素がどれだけあったかということ。そのすべてを毎日知らされる。新たな出来事を必死に頭に詰め込み、理解しなければならないと焦り、それら世界中の情報に追われるだけで、毎日が過ぎていく。

 しかしそのなかで、自分が本当に知らなければならないことなど、どれだけあるのだろうか。逆に自分たちは、それら遠い果ての情報を必死にインプットしているうちに、本当は自分にとって一番大切であるはずの、目の前のリアルな生きる実感を、欠落させているのではないか。

 空気の冷たさ、暖かさ、軽さ、重さ、そして、におい。自分たちが何を食べ、何を飲み、それがどうつくられているのか。家族が、友だちが、恋人が、何に喜び、何に悩んでいるのか。そして自分がいま、何を求め、何を喜びに感じながら生きているのか。つまりは、風景、人、ものすべてが持つ表情の多くを、きっと日々見逃しながら生きているのではないか。

 それは言い尽くされた言葉には違いない。しかしぼくは、モンゴルの草原で、遊牧民たちの生活を目の前にすることで、それを実感として感じることができた。知識としてではなく、身体が、自分に欠落しているだろう何かを感じさせてくれたのだ。

 「あそこに水がある」

 川が流れているわけではなく、音は聞こえない。ただ、水溜りのように水が溜まっているだけの場所を、通りすがりに見つけるだけだ。そういう場所に出くわすと、ストーンとバスカは、何も言わずにちょっと笑顔を見せて、馬を降りる。荷をほどき、枯れ木を集め、火をおこして、食事の準備を始める。水汲みなど、できることをぼくらが手伝う。

 古い鉄鍋のなかにスパイスや麺などをどんどん投げ込み、横になって歌を歌いながら、煮えるのを待つ。そしてそれをぼくらに分けてくれる。

 「おいしいだろう?」

 そう言って、ただ笑い合う。食べ終わるとふたりとも、しばらく横になって静かに寝息を立てるのだった。
 馬がそれぞれ、自由時間を謳歌するように草を食べ、静かにたたずむ。周囲には風の音以外に何も聞こえない。

第73回遊牧夫婦

頂上を目指して山を登る。この少し前に落馬して遅れたモトコが上がってくる。

 日中は暑く、夜は寒かった。テントを張る場所も少しずつ工夫した。斜面の横や木のそばにすることで、寒さはぐっとやわらいだ。
 馬もブヒブヒと悲鳴を上げる山を登りきり、2900メートルだという山頂まで上がった。やっと着いた・・・。いくつもの山が連なるのが見え、下には大きなフブスグル湖が広がる。これだけ広がった空間なのに、視界のなかにいる人間は自分たち4人だけなのだ。そう思いい、ぼくは大きく息を吸った。

 「向こうは雨が降っているね」

 バスカが指す方向を見ると、遠くの一帯だけ雲のなかから霧吹きのような雨が湧き出しているのが見て取れた。雨が降るという現象をいま、ぼくらは外から眺めているのだ。

第73回遊牧夫婦

2900メートルの頂上へ。目の前に見えるのが、モンゴル最大の湖、フブスグル湖。この湖がすでに海抜1600m以上の高さ。

 それから山を少しずつ下りていくと、いよいよこのトレッキングも後半という気分になった。もうこの日ですでに3泊目なのだ。そんなことを考えていたとき、バスカが、ガイドのストーンの言葉を訳してくれた。

 「ツァータンがこのそばにいるかもしれない」

 ちょっと見てくるから待ってて、といって、ストーンは雨のなか、馬を蹴りながら斜面を下っていった。それから2時間ほどしたのちに、ストーンが戻ってきた。

 「かなり遠くにいるから、今日はここに泊まって、明日、ツァータンのところに行こう」

 期待が高まる。ぼくらはいよいよ、トナカイ遊牧民に会えるらしいことになったのだ。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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