遊牧夫婦

第74回 トレッキング最後の目的地で

2012.04.04更新

第74回遊牧夫婦

高度が上がり、木々がなくなった広大な丘を馬で進む。

 朝9時に、ぼくらはテントをたたんで出発した。出発前に雨が降り出し、寒さも厳しかった。

 「山を少し下れば、ツァータンのところに着くよ」

 谷間の斜面ギリギリを降りるのはスリリングだった。急なところは馬から下りて歩き、馬を綱で引く。ぼくが乗っていた馬は下りをビビり気味で、斜面を前にひるんでいた。「がんばって降りてくれよ」と声をかけつつ、馬を引っ張って斜面を下るが、馬がゴロリとこちらに倒れこんでくるのではないかと心配にもなる。

 下るに従ってだんだんと木が増えてくる。昨日到達した山の頂上は、2900メートルもの高度だったため、しばらく木という木はほとんど見なくなっていた。しかし今日また森林限界より下に戻ってきたのだ。

 立ち並ぶ木々はカラマツだろうか。いかにも針葉樹という感じの、まっすぐ伸びて枝の細い木々が、タイガらしい森林を作り出していた。
 シベリアにいるんだなあ、と思う。モンゴルであるから、正式な区分としてはシベリアには入らないものの、国境という人為的な境界を無視すれば、植生や気候としては明らかにシベリアの一部といえるはずだ。

 ツァータンは、元来、トゥバという地域の民族である。トゥバは、ロシア連邦のなかのひとつの共和国であり、モンゴルと国境を接するところに位置する。トゥバ語を話すツァータンは、現在の国家区分でいえばロシア側に属していた方がおそらく自然なのだが、彼らは、少し南に遠征しすぎていたようだ。モンゴルとロシアの間に国境ができてしまったことで、彼らはモンゴル側に取り残されてしまったのだ。

 しかし彼らにとっては、そこがモンゴルだろうがロシアだろうが、そんなことは知ったことではないのかもしれない。彼らはただ、トナカイとともに遊牧しながら、ずっと変わらぬ生活を送ってきているだけなのだ。

 ただその生活は厳しい。冬はマイナス50度にもなる。その極寒の季節を、カラマツの木と布でできた「ウルツ」と呼ばれる円錐形移動式住居によって越えねばならない。また、物資を買うための現金収入があるわけではない。トナカイを生かすため、すなわち自分たちが生き延びるために、極寒の山地のなかを年に7、8回移動しながら暮らしているのだ。

 そのツァータンが、いま目の前に現れる。もちろん、ぼくらは彼らが暮らす山のなかまで来られたわけではないので、そのリアルな生活を見ることはできないだろう。それでも、馬に乗って3日もかけてやってきた先に現れるツァータンの姿を想像して、心が躍った。

 「あそこだよ」

 とガイドのストーンが先導してたどりついた場所は、しかし期待していた風景とは異なった。最初に視界に飛び込んできたのは、カラマツの林のなかにある3台の車であり、大勢の西洋人観光客だった。そのなかに、埋もれてしまわない程度にかろうじて、円錐形でカーキ色の布で覆われたウルツがひとつある、というだけだったのだ。

 やはり、そうか、こういうところだったのか。急に興ざめしている自分に気がついた。
 「ここって車でも来られるの?」
 とバスカに聞くと、ぼくらが馬で来たルートの逆側から、車でも来られる場所なのだという。てっきり馬でないと来られないと想像していたのに、まったくそんなことはなかったのだ。

 ツァータンの子どもたちは西洋人ツーリストとともに戯れている。十数頭のトナカイたちは、見せ物としてそばでただうずくまっているだけだった。

 ウルツのなかに入っていくと、ツァータンの家族が観光客相手に順番に話をしながら、木でつくった土産物を売っている。家族の中心的存在に見える中年女性は、紫色の民族衣装を着て、キセルをくゆらしながら談笑する。その隣で、どことなくボクサーのジョージ・フォアマンに似た風貌の夫は、白いブルゾンにジーンズ、長靴にハンチング帽といった、まったく都市的な格好でお茶を飲んでいる。

 「夏の2、3カ月だけ山を下りてきて、こうして観光客からお金を得ているんだ」

 トナカイの土産物を売り、お金をとって写真に納まる。

 「そのお金で食料や衣服、タバコなどを買って冬に備えるんだ。現金収入がなければ何もできない。11年前にぼくらはこの生活を始めたんだ」

 中年女性は、どことなく成金っぽい陽気な面白いおばちゃんで、ぼくが手首にしているシルバーのバングルを見てこう聞いてくる。「それ、どこの国で買ったんだい?」。そして手に持っているキセルをこちらに見せながら「このキセルはねえ、ここに来た観光客が私にくれたんだよ」と笑った。

 「そのバングル、私にくれないか」という意味に解釈できた。

 まったく、欲の皮が張ったおばちゃんだ・・・。待ちに待って出会ったツァータンが彼らであることにぼくは軽い失望感を覚えていた。

 「ああ、やはり、山のなかにいる人たちとは全然違うんだろうな・・・」

 そう思いつつ、この場所をあとにした。
 そしてぼくもモトコも、どこか気が抜けたようになりながら、このトレッキングの最後の目的地となる湖を目指して進んでいった。

 ほどなく、湖に着いた。湖のそばで、また火をおこして昼食を食べたあと、湖沿いに歩いていくと、湖のすぐ隣でヤクを飼って暮らしている家族の姿が見えてきた。広い水面の前につくられた柵のなかに、10頭ほどのヤクが囲われている光景は、美しく、穏やかで、どこか不思議でもあった。

 家族のゲルに入れてもらい、一緒にヤクの乳搾りをさせてもらったり、手作りのヨーグルトを食べたりした。さらに、これらもすべてヤクの乳からできたミルクティ、パンにつけるヤクのクリームをもらう。すべてがおいしかった。

 そして夜は、旅行者を泊めるためにあるらしいゲルに、お金を払って泊めてもらう。
極寒のテントの夜が3日続いたため、夜、寒さを感じずに寝られるのが本当にうれしかった。

第74回遊牧夫婦

フブスグル湖畔でヤクを飼う家族。

 明日でこのトレッキングも終わりとなる。
 ゲルのなかでモンゴル式の、ソファー兼用のベッドに横になりながら、ぼくは、昼間に出会ったツァータンのことを思い出していた。そして、自分がなんとなく感じた居心地の悪さは、結局は自分に向けられるべきものだということに気づかされた。

 ツァータンが、思っていた以上にツーリスティな雰囲気だったことにぼくはそのときがっかりしたが、しかしこうして金を払って外国から旅行に来ている自分たちに何が言えた立場だろうか。

 彼らが、厳しい自然と変わりゆく時代に向き合いながら、自らの生活を変えたのは、生き延びるための大きな決断だったに違いない。生きるために、観光によって金を得ることはもっとも現実的で確実な手段だったのだろう。いまも山に暮らし、昔ながらの生活を守っているツァータンが、山を降りてきているツァータンについて批判することは可能だろう。しかし、自分たち観光客には、彼らの生活に対してああだこうだと意見を述べる資格はまったくないということだけは自覚しなければならないと思った。

 ぼくは最初、彼らの生活が、「リアル」なものではないというように思ったけれど、いや、これこそが、ツァータンたちの生きるリアルな生活に違いないのだ。
 複雑な思いを抱きながら、彼らが山奥で送ってきた生活を想像した。そして、その生活を堅持する奥地のツァータンたちには、自分たちのような旅行者が簡単に会いに行くことができない方がいいのかもしれない、と思いなおした。

 そしてその翌日、ぼくらのトレッキングは終わりとなった。

第74回遊牧夫婦

右側にあるのがツァータンのウルツ。左手前にはトナカイがのんびりと日差しを楽しむ。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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