遊牧夫婦

第76回 旅が生産するもの(番外編)

2012.05.08更新

 最近、この先をどう書こうかと悩んでいます。
 ロシアに入り、これからシベリア鉄道に乗って、バイカル湖のほとりを通って極東のハバロフスクまで駆け抜けるところなのですが、うまく書けずにいるのです。
 そこで今回は、ちょっとロシアの旅から離れて、別のことを書かせていただこうと思います。


 「『旅は非生産的だ』って近藤さんは言っていましたが、それどういうことなのでしょうか」
 『遊牧夫婦』の旅を終えて日本に帰ってきた直後、2008年の暮れに、ぼくはひとりの友人からそんな意味のメールをもらった。
 友人とは、その前年の2007年に中央アジア・キルギスの首都ビシュケクで知り合った20代の女性だ。ぼくらが中央アジアを東から西へと移動しているときで、彼女は確か1週間ぐらいの日程でキルギスを訪れていた。

 それから一年ほどのち、ぼくらが5年間の旅を終えて日本に帰って少ししたころ、彼女と東京で再会する機会があった。そのときぼくは、自分たちが帰ってきた理由について、彼女に確かこんなことを言ったのだ。

 「5年間、ずっと旅のなかにいたら、ふと、『おれ、何やってるんだろう』って思うときが出てきたんだよね。ただ移動を繰り返してるだけの日々に嫌気がさしてきたっていうか。旅って、なんていうか、非生産的だし、だからもっと、仕事をしたりして生産的な生活がしたいな、って思うようになった。それも日本に帰ろうって思った大きな理由のひとつだったんだ」

 その場では彼女は特に何も言わなかったものの、ぼくのその言葉が引っかかっていたらしい。そのすぐあとにメールで、ぼくが「旅が非生産的」と言った意味を問うてきたのだ。

 そのころぼくは、日本に帰ってまだ2、3カ月しかたっていなく、まだライターとしてやっていくかどうかもはっきり決めてない段階だった。京都に住むことは決まったものの、いきなりフリーのライターとして食べていける自信はまったくなかった。とりあえず理系の仕事にでもつきながら細々と書いていくしかないかなとも思い、派遣の登録にも行った。しかし、就職経験がなく、5年間ふらふらと旅をしていた30代男にそう簡単に仕事が見つかるはずもない。こちらが興味を持った会社は、どこも会ってもくれなかった。

 もう覚悟を決めてフリーライターでいけ、ってことかな・・・。彼女に会ったのは、そんなことを思っていたころのことだった。

 まだ旅気分を残し、日本でのリアルな生活の行方を想像できないまま右往左往していたが、それでもそのころ自分は、旅に倦んでいた。倦んでいたというのが言い過ぎだとしても、旅することに疲れ切っていて、これからはじっくりと腰を据えた生活がしたいと思っていた。自分は日本でちゃんと仕事をして、日本で普通に生活できるようにはならなければならない。もう32なんだぞ・・・と。

 その気持ちのなかには、自分は32歳にもなりながら、社会に対してほとんど何も生み出せていない、積極的にコミットできていない、といったことに対する焦りがあった。まずは日本でしっかりと稼いで食べていくということを最低限実現しなければ、何も始まらない。そのためには自分が何かを生み出さなければならないのだ、と。しかも自分にとってそれが決して容易ではなさそうなことをこのころ実感するようになっていたのだ。

 そう思うのと表裏一体な気持ちとして、良くも悪くも雑誌の原稿料などのわずかな収入で細々と食いつないでこられてしまった旅中の自分が、やたらと非生産的であったように感じるようになった。もっと何かを社会に対して生み出したい、社会にコミットした生活がしたい。そう思った。
「旅が非生産的」と言ったのは、もっと社会との関係性を強くもったなかで暮らしたいという自分の気持ちの裏返しだったのだ。

 そう思っていたころから3年以上がたった。
 いまは一応、文章を書いて最低限食べていけるようになっている。生産的でありたいという思いは、それなりに満たされるようになった。

 その一方、毎日、仕事や子育てに追われ、時間の過ぎ去るスピードの速さに驚愕しながら日々を過ごして、旅らしい旅などまったくできなくなっている。そして、過去の旅を思い出しながら紀行文を書いたり、旅についての講義をしたりしているうちに、再び、強烈に旅をしたい、と思うようになっていることに気づかされた。

 また、自分自身紀行文を書きながらも、正直なところこれまで、紀行文の面白さ、魅力というものを、ぼくはさほど感じたことがなかった。だから自分はもともと紀行文を書くつもりはなかったのだけれど、いろんな経緯から『遊牧夫婦』などを書くことになり、そして昨年から大学で紀行文についての講義を担当しているうちに、紀行文の面白さを徐々に感じるようになってきた。まだ一言でまとめることはできないけれど、それはおそらく、旅というものが人間にとっていかに普遍的で必然的な行為であるかを実感できるようになったということなのだと思う。

 紀行文というジャンルがなぜこれだけ人に読まれてきたかがなんとなくわかるようになってきた。そして、それは同時に、旅の素晴らしさ、魅力を実感することでもあった。
 旅をするということは、なんと豊かなことなのだろうか、と。

 最近そう思い至ったのだ。その時ふと、自分が3年半前に言った、「旅は非生産的だ」という言葉を思い出した。
 友人がぼくに対して、「なぜそんなことを思うのか」と、おそらく少し反感も含んだ気持ちでそう問うてきた気持ちもよくわかるようになってきた。

 きっと自分はあのころ、旅のなかに埋もれすぎ、旅が日常化しすぎて、旅の魅力を完全に忘れてしまっていたのだろう。
 いまはむしろこう思う。旅は、何か具体的なものを生産することはないかもしれない。でも、だからこそ、形では表せない無限の世界をその人のなかに生産するのだろう、と。

第76回遊牧夫婦

キルギスの首都ビシュケク。2007年12月。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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