遊牧夫婦

前回:ウイグルからチベットへ、乗り合いのランドクルーザーで移動中。距離にして1100キロの悪路を30時間で移動する予定だが、最大の問題は、その短時間の間に、標高1400メートルから4000メートルまで上ってしまうということ。その移動の途中にぼくらはいる。
高山病らしき症状と疲労感に車内がつつまれ、10時間運転しっぱなしの運転手もついにダウンし、他の人に交代。しかし新しいドライバーも10分ぐらいで居眠りをはじめ、あるとき、身体が大きく横に引っ張られたと思ったら、車の片側のタイヤが浮き、車内は悲鳴に包まれた。「横転する!」――)

第81回 阿里への過酷な道(2)

2012.10.18更新

 片側のタイヤは大きく浮き上がり、車も、ぼくらの身体も、かなり斜めに傾いた。漆黒の闇のなか、ライトに照らされた土の道路も、フロントガラスのなかで傾いた。「うわ、横転する!」と思った瞬間、身体にゾクッと寒気が走った。
 しかし次の瞬間、ドン! という衝撃とともに、浮き上がったタイヤが再び地面に着いた。運転手はそれで目を覚ましたのか、はっと気がついたようにブレーキを踏む。スピードが落ちた。全身の力が一気に抜け、一度こわばった筋肉が、弛緩すると同時に瞬時に疲労感を貯め込んだのが感じられた。

 「バカヤロウ! そんなにすぐ寝てどうすんだ! おれよりもあぶねーじゃねーか!」
元の運転手が、おそらくそんなことを叫び散らした。完全に信頼を失った新ドライバーは、もちろんすぐに交替。「仕方ない、どけ」と、疲労しきった元のドライバーが再度変わり、強行運転することになった。

 暗闇のなかを、再び白いランクルが走りだす。
 疲れはピークに達しているだろうが、スピードを落とす気配もないし、休む気配もない。
 大丈夫なんだろうか。このまま運転したらマジで全員事故死しそうだ。横転未遂の感触が残り、眠ることもできずヒヤヒヤしながら見守った。寒さもすごいし、すでに標高も4000メートルぐらいまで来ていたようで、いつ高山病の症状が出だすかもわからない。高山病対策として、水をたくさん飲んで新陳代謝をうながしたり、深呼吸を繰り返したが、吐きまくってる同乗のウイグル人たちを見ながら、そんなのは気休めに過ぎないような気がしてくる。

 そうしてさらに1時間ほどは走っただろうか。深夜1時ごろ、車はゆっくりと停車した。乗客の親子3人の家に到着したようだった。真っ暗で何も見えないものの、周囲にほとんど誰もいなそうな平地に彼らの家だけがぽつんと建っていた。家の前で車が止まり、みなほっと一息。家族は、「ああ、やっとついたね、早く入って休みましょう。死ぬとこだったわ」とでも言っていたのかもしれない。

 家族と一緒に、ぼくらも家でひと休みさせてもらうことになった。グレーのコンクリートむき出しの質素な家に入り、ストーブの前に集まってお茶を飲む。この空間で、このまま休めるその家族がうらやましかった。またおれたちはここから旅の続きかと思うと、気が重い。ああ、このまま行ったら今度こそ横転するんじゃないだろうか・・・。
そんなことを思っていると、知らない間に何やら話が展開していた。ぼくら以上に疲労していただろう運転手が、こう言ったのだ。

 「ここで少し寝ていこう。2時間たったら起きる。それから出発しよう」

 と。家族はもちろんすでに承諾していたのだろう。「こっちに入って、寝ていいよ」という感じで奥の部屋に案内してくれると、車に乗っていた全員がなだれ込み、複数あるベッドに次々横になったのだ。

 ベッドの上に布団が敷いてある。「2時間だけだぞ」とドライバーが念を押す。「ほんとに2時間で起きられるのかよ・・・」などと思いながら、自分も布団にもぐりこむ。黄ばんで茶色くなった布団は、毛沢東時代から50年は洗ってないのではないかというほどの代物で、触っただけで手がべっとりする。よくぞここまでほっておいたものだと感心すらする。しかし、ここまで疲労すると、そんなことはもはや関係ない。ぼくもモトコも、横になってしまえばそんなことはもはや気にならず、一気に眠りについたのだった・・・。

 もちろん、誰も2時間で起きられるわけがなかった。ぼくが気づいたときには、すでに4、5時間は経っていた。「何時だ・・・? もう、すっかり朝だよね?」とモトコと顔を見合した。
 2時間だけだぞ、と厳しく伝えていた運転手はまったく起きる気配がないし同乗者もまだ寝てる。
 結局みなが起き上がり、「出発だ」となったのは、朝7時のことだった。普通に6時間寝てしまったわけである。予想通りではあったけれど、そのことを当然として、まったく堂々と「よし、行くぞ」と言っている運転手がある意味頼もしい。
 外に出ると、東の空には太陽の光がうっすらと見え出し、連なる山が黒いシルエットをくっきりと浮かび上がらせた。その太陽に向かって、ぼくらのランクルはライトをつけて走り出した。
 この時点で、出発から17時間経っていた。だが零公里からまだ360キロしかきていない。あと750キロ近くある。30時間なんてまったく無理そうな気がしてくる。一秒でも早くこの道中を終えたかったため、残りの道のりを考えると気が重くなる。
 だがとにかくドライバーもぼくらも、昨日とは比べものにならないほどすっきりした気持ちで、再び出発したのである。

第81回遊牧夫婦

泊めてもらった乗客家族の家に泊めてもらった翌朝、出発する直前

 高さはとりあえず上りきったのか、ここからは延々と荒涼とした平地が続いた。
昨夜の漆黒の闇とは打って変わって、朝の日差しが正面からとてつもない輝きで照りつける。左右に雪山が広がり、空はどこまでも青く、道は果てしなく茶色く、その先に見える風景にはうっすらと白い靄がかかり、すべてが幻想的だった。
天空――。

 そんな言葉がぴったりとあてはまるような風景だった。ぼくらのランクルは、車体をガタガタ揺らしながら、そのなかを延々と東に駆けていった。
 車はスピードに乗り、朝10時前には、480キロ地点の大紅柳灘(ダーホンルータン)に着いた。道沿いにわずかながらに店が並ぶだけだが、荒野のオアシスのような雰囲気だった。「吃飯、吃飯(チーファン、チーファン)」とぶっきらぼうに運転手が言い、車を降りる。ここでようやく朝ごはんとなったのだ。

第81回遊牧夫婦

朝食を食べた大紅柳灘(ダーホンルータン)

 天気はよく気持ちよさそうに見えても、外は凄まじい寒さだった。
ウイグル人らとともに、店に入って落ち着いたあと、どこかで立ち小便でもしようかと外に出て、おそるおそる建物の外を歩いていると、予想通り、狂犬がいた。目があうや否や、猛烈な勢いで吠えたけりながら、すさまじい勢いで走ってきた。

「うわあ!」

 あまりの恐怖に思わず叫び声が出た。
 ぼくは、それまでもチベットなどで犬に追いかけられたことは何度かあった。チベットの犬は、本当に恐ろしい。どう教育されているのか、とにかく人を見ると、それ以上ない声で吠えながら、全速力で向かってくるのだ。その上、外見的には、絶対に狂犬病にかかっていると思った方がよさそうな風貌だ。狂犬病は、かまれて発病すれば人は99%死に至るという。噛まれた場合は、24時間以内だったかに病院で必要な処置を受けなければ手遅れになる。しかし、この場所のように、チベットの僻地では、24時間でそれなりの病院に行ける場所なんて、限られている。ここでかまれたら、まず間違いなく終わりだろう。だからぼくは、犬に向かってこられるたびに、猛烈な恐怖に襲われた。

 「ギャー! うわああ!」

 と、恥も外聞もない叫び声を上げながら、久々に全速力でダッシュした。そうしてしばらく逃げ続けると、犬もかわいそうに思ってくれるのか、足を止める。なんとかこの場も、しのぐことができた。

 ちなみに、不思議なことにチベット人はいつも、狂犬病なんてないよというようなことを言う。彼らはかまれることがないのか、かまれても大丈夫なのか、よくわからない。こういう犬とともに生きるというのは、自分にとっては寒さ以上に恐ろしいが、チベット人にはまるでそんなことはないらしいのだ。

 ここでさらにふたりが降りた。車内は4人になり、ぐっと快適になった。ぼくもモトコも体調はまだ悪くなかったし、「高山病、もしかして大丈夫なんじゃない?」と、ようやく一番ハードな部分は終わったんじゃないかと想像した。
しかし、もちろん、そんなことはなかった。まさにこれからが、地獄の半日の始まりだったのである。

 しばらくいくと、いよいよ中国とインドの国境未画定地域に入ったらしかった。中国が事実上支配しているようで、だから車で通れるのだけれど、人は気配はほとんどなく、ただただ、土と雪山の荒涼とした絶景が続く。

 ただ、このあたりから、いよいよぼくもモトコも、頭痛と吐き気に襲われ始めた。「ちょっと酔ったかな・・・」程度に感じた不調が、こりゃ高山病だな、と確信するまで、そう時間はかからなかった。頭痛も吐き気も、これ以上ないほど強まってきたのだ。

 「こりゃ、やばいなあ・・・」「吐きそう、マジで吐きそう・・・」

 後部座席にふたりでぐったりしながら言い合った。水を飲んで、深呼吸をとにかく繰り返すが、そんな古典的手法はもはや通用しない。ウイグルで買っていた高山病の薬も飲んでみたが、まったく効く気配がない。
 「ちょっと、気持ち悪いから、止まってくれる?」と、止めてもらって車を降りて、必死に新鮮な空気を吸ってみるも、寒さが半端なく、何分と外にはいられない。

 もう耐えるしかなかった。ドライバーの体調はどうだかわからなかったが、とにかく彼は70~80キロ程度で飛ばし続けた。昨日とは打って変わった距離の稼ぎ方で、どんどん旅は進んでいく。持っていたガイドブックを見ると、この辺で途中一度、標高5200メートルにまで上がっていたらしい。自分たちにとってはまったく未知の領域に入っているのが、身体の反応で感じられた。

第81回遊牧夫婦

標高5000メートル前後の広大な平原を突っ走る。体調は最悪だったが、広大さは圧巻だった。

 そうして、唸り苦しんでいると、ようやく人の気配のする場所までたどりついた。午後4時半。着いたのはドマル。目的地のアリまで、残り280キロほどになっていた。
 ここでは公安(=警察)のチェックポイントがある。外国人は許可証なしで入ってはいけない地域であったけれど、何も問題はないと聞いていた。第一、ここまでのあいだに許可証を手に入れる場所もないのである。
 するとその通り、公安はぼくらの姿を見て、「旅行か? いまは寒いぞ」と言ったぐらいで通してくれた。

 ちなみに、原則としてチベットに入るには許可証がいる。しかも、地域ごとに必要な許可証もちがい、それぞれとっていかないと建前上は入れないことになっている。しかし、事実上関係なくなっている場所もある。ぼくらがとったこのルート、ウイグルからチベット西部に入っていくルートは、ウイグルでは許可証をとることができないため、とにかくアリまで行ってしまってから、自ら公安に出頭しろ、ということに旅行者の間ではなっていた。これだけの行程を旅してアリまでやってきたら、公安もさすがに「帰れ」とは言わないらしい。むしろ、「よくここまできたなあ」という感じだという。つまり自ら公安に出向き、罰金を払うと許可証をもらえて一件落着となる、というのだ。いずれにしても、このルートでアリまで来る外国人で、すでに許可証を持っている人などいないのだろう。だから、公安も気にしないのだ。

 そんなわけで、チェックポイントはまったく問題なかったが、すでにこのとき、ぼくもモトコも完全に死に体だった。寒気、頭痛、吐き気に強烈に襲われ、とにかく最悪の体調だった。

 降りてひと休みしたらましになるかもしれないと、降りられることはうれしかったが、状況はまったくかわらなかった。ここで夕食を食べることになったが、まったくそんな気持ちにはなれない。

 「もうだめだ・・・」

 ぼくは食堂の外に出て、指を口に突っ込んで吐いた。最初にまず、朝に食べたウイグル麺が飛び出した。そして何度目かには、胃液と、悲鳴のような音だけになった。出るものがなくて涙も一緒にポロリとこぼれた。その横でモトコは、指を突っ込むのはいやだと言って、吐かずにひたすら耐えていた。

 「もうすぐだよ。あと4時間だよ」

 飯を食べ終えて店から出てきた運転手は、そう言った。4時間か・・・。励まされるような、泣きそうなような気分になる。しかし出発するしか他に手はない。

 吐いたのに吐き気はまるでおさまらない。しかも頭痛はどんどん増していく。その上、腹痛にまで襲われた。振動がすさまじく身体に響き、乗っているだけでも苦しくなる。間違いなく、オーストラリアからの4年以上の日々でもっとも辛い時間帯となっていた。
 ぼくはこのとき、旅に出てから初めて、「帰りたい」という気持ちが頭をよぎった。あまりに激しい頭痛と強い吐き気などの苦痛に、自分の身体がどうかなってしまうような気がしたのだ。
 一方モトコは、症状は抱えながらも、無理やり深い眠りにつくことに成功していた。そして徐々に回復しているようだった。横で見ていて羨ましすぎた・・・。

 だが、車は走り続ける――。
 残り120キロ。ついに舗装路になった。振動が急激に少なくなったのが本当にうれしかった。それだけでぐっと楽になるのだ。すでに真っ暗闇だったが、到着は間もないというのは感じられた。早くついてくれ、早く下ろしてくれ。それだけを念じた。
 しかし運転手が最後にまた妙なことを言い出す。

 「タイヤの空気を入れるよ」

 なぜ、いまここで、タイヤの空気を入れないといけないんだ・・・。まったく快調に走っているのに、全然意味がわからない。嫌がらせしているのだろうかと思うほどのわけのわからないタイミングなのだ。

 そしてようやく空気を入れ終え、町に入ろうかというとき、今度は、最後の公安チェックとなる。ぼくもモトコもおろされ、公安の詰所に入れられて、その間に荷物チェックが行われた。そしてその間、驚いたことに、公安が、運転手に酒をすすめているではないか・・・。

 「この酒はいいぞ、飲んでけ、飲んでけ、ガハハハ」
 
 それに対して運転手が「いや、いいっす、いいっす」と、必死に断っていた。
 公安とのやりとりも、自分の体調も、すべてが現実的ではないような状況で、ぼくらはなんとかアリに到着した。夜9時半になっていた。
 そして、宿探しを運転手に手伝ってもらい、なんとかそこそこの宿を見つけて、倒れ込むように、ぼくらは眠りについたのであった。

 ちなみに、運転手と別れるとき、お礼を言いながら聞いてみた。

 「いつ、零公里に戻るの?」

 すると、彼は驚くべきことを言った。

 「客が入れば、明日帰るよ」

 とても常人のわざとは思えなかった。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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