遊牧夫婦

第82回 グゲ王国最後の遺跡

2012.11.21更新

遊牧夫婦 第82回 グゲ王国最後の遺跡

 「あの穴じゃない?」
 一緒にいた中国人の男がいった。
 「あ、確かに。それっぽいよ・・・」

 高い土の壁の高さ3メートルぐらいのところにすっぽりと穴が開いていた。人が中に入れるぐらいの大きさはありそうに見える。高さ的にひとりで上るのはちょっと難しそうだったが、お尻を押してもらえば、なんとか中に入れそうだった。
穴を見つけた男の尻をぼくが押し、彼が中を覗いた。

 「お、やっぱりここだよ」

 彼は少し興奮した様子で、しかしトーンを落とした声でそう言って、こっちを向いた。そのあと、今度はぼくが彼に尻を押してもらって穴の中に入ってみた。真っ暗な穴の中には独特のにおいが漂っている。かがまないと中には進めず、ぐっと身を低くして、何も見えないなか、奥へと進んだ。すると、足を一歩進めるたびに、「バキッ」「バリッ」と音がする。もしや、と思い、持っていたライトで照らしてみた。光の先を見た瞬間にヒヤリとした。
 足元には、人の骨、衣服、足などが、床一面に敷き詰められていたのである――。
 チベットのグゲ遺跡に、ぼくらはいた。

 30時間を超えるランクルでの地獄の旅を終えてなんとかアリにたどりついたぼくらは、その後高山病の回復を待って、4、5日ほどアリでゆっくりと過ごしていた。
 ランクルの道中「日本に帰りたい」と思うほど苦しんだぼくは、アリの宿で一晩寝たら急激に体調が回復した。いっぽう、車の中ではぼくほどは苦しんでいなかったように見えたモトコは、アリに着いてから状況が悪化し宿のベッドから起き上がることができなくなった。身体が高度に順応し、やっと普通に動けるようになるまで、丸々1、2日かかったのだった。

 アリ滞在中は、まず公安局に自ら出頭して、罰金を払って(この地域に入るための)許可証をもらいに行った。ここまで来ると、噂通り、許可証がないことをとがめられることはなく、むしろ「よくがんばってここまで来たな」とねぎらわれる雰囲気である。罰金は一人350元(300元だったかもしれない)、5000円ほどと、ぼくらにとっては高額だ。友好的な様子だったのでなんとかまけてもらえないものかと、以前上海で働いていたので免除してもらえないか・・・などと言ってみる。すると当然のごとく、

 「何わけわかないこと言ってるんだ、いったいどんな関係があるんだよ」

 と非常にまっとうなことを言われてしまった。まったく反論する余地もなく、罰金を支払い、静かに許可証を受け取った。

 アリまで来ると、数は少ないながら、複数の旅行者に出くわした。チベットの東の方から、延々とヒッチハイクをして検問をかいくぐりながらやってきたフランス人、気の弱そうなぽっちゃり系のイスラエル人、そして、なんとドイツから二人乗り自転車でここまでやってきたカップル・・・。アリはこの辺では大きな町とはいえ、旅行者が行くところなど限られているため、旅行者同士、一日に何度も出くわすことになる。そのため互いにすぐに存在を覚えてしまい、そのうちに一緒にご飯を食べたりして仲良くなっていったのである。

 さて、モトコの体調がだいぶ回復して、「もう行っても大丈夫そう」という状態になると、ぼくらは早速アリを出発することにした。向かうべき場所は、ふたつあった。ひとつはグゲ遺跡(1000年前に栄えたグゲ王国の遺跡)、もうひとつはチベット仏教の聖地、カイラスである。両方とも行きたいと思っていた。グゲ遺跡も相当にすごいと聞いていた。しかしここまで来た一番の目的は、なんといってもカイラスだった。

 カイラスは、このときこそすでに道が整備されて、高山病などの大変さはあるとしても、時間をかければ行くことができた。だが昔は、ラサなどから、舗装されてない道をひたすらヒッチハイクで何日も何日もいかないといけなかったらしく、ぼくらのような旅行者にとってもひとつの聖地のような場所であったという。

 聖なる山、カイラスは標高6656メートルの未踏峰。その周囲をぐるりと回る巡礼をするために、多くのチベット人がここにやってくる。巡礼路の一周は約50キロで、途中標高5600メートルまで上がることになる。巡礼路中にある寺で1、2泊して回るこの巡礼ルートは、一般の旅行者には決して楽ではないらしかったが、みなその道を歩くために高山病に耐えてここまでやってくるのである。

 雲南省の昆明に住んでいるときに、カイラスの話を聞いて、いつか来てみたいと思っていた。しかし行く機会をつくれぬまま昆明を離れ、上海も離れてしまった。ユーラシア横断の旅を始めたときには、横断中に、カイラスはもとよりチベットにすら寄るとは考えていなかった。しかし、西寧の宿で会って親しくなった日本人旅行者の大沢さんから、ウイグル経由でチベットの西部へと入れることを聞いて、ぼくらも行くことにしたのである。グゲもカイラスも、とてつもなくすごいという。もうこの機会を逃す手はなかった。

 ただし、問題があった。西寧にいたときすでに10月で、チベットに着くころには11月になるだろう。11月のチベットは猛烈に寒いにちがいない。そんな時期に標高5000メートルの山道で、ぼくらのようなまったくの山の素人がちゃんと立ち振る舞えるのだろうか。天候が悪かったらシャレにならないことになるのではないか。普通、旅行者がカイラスに行くのは夏のことだと聞いていたのだ。

 でもギリギリ間に合うかもしれない。とりあえず行ってみよう――。そんな状態でぼくらはカイラスを目指したのである。

 アリにいたときすでに11月に入っていたし、もうそれなら、半ばオプション的だったグゲはやめていきなりカイラスに行ってもいいんじゃないかとも考えた。しかし、高山病がやっとマシになったばかりの体調を考えると、いきなりカイラスに直行して50キロの巡礼路を歩くのは、無謀な気がした。

 一度大雪が降ったら道が閉ざされてカイラス行きは本当に不可能になるという。早く行った方がいいのは間違いなかった。だから悩んだ。だが、そうなったらそうなったで仕方がない。とりあえず行きやすいグゲから行こう。道が閉じてしまったら素直に戻ろう。そう思ってしまうぐらい、その頃ぼくらは高山病によって弱気になっていたのであった。

 アリからグゲ遺跡までは、距離にして300キロほど。しかしバスでは7、8時間かかる。道程は楽ではなさそうだったが、行くしかない。

 バスが動き出すと、乗客は10人ほどしかいなかった。
崖沿いの細い道はかなり険しく、そこを少しずつ上っていく。途中標高は5000メートルを越えた。そしてある場所で、運転手が車内に声を上げてこういった。

 「ここは、バスを降りて歩いてくれ」

 理由はよくわからなかったが、その通りにして外に出た。歩きながら遠目にバスを眺めていると、坂の途中にめちゃくちゃ急なヘアピンカーブがある。それをバスが砂煙をあげながら何度か切り返しつつ少しずつ進んでいる。谷に落ちてしまうのではないか、と思うほどギリギリのところを走っていたが、なんとかバスはそのカーブをクリアした。うわあ、危ないなあ、落ちないでよかった・・・と思いながら近づいていくと、「乗っていいぞ」というので再び乗り込んだ。

 どういうことか聞いてみると、こういうことだった。去年ここでバスが1台落ちて、乗っていた3人のうち2人が死亡したというのだ。それ以来ここだけ乗客を降ろすようになったらしかった。つまり、運転手だけが命を張ってカーブに臨むというわけなのだ。
通りにはガードレールがつくわけでもなく崖は崖のまま。そんなところに、乗客を降ろすということ以外何も対策をするでもなく普通に路線バスが走っているのがまた中国の豪快さなのだった。

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まさに、死のカーブに差し掛かっているところ

 そんな道のりではあったものの、予定通り8時間近くで、夜8時にグゲに近いツァンダという村に着いた。グゲから20キロの場所にあり、グゲ見学の拠点となる。ぼくらは、バスで一緒だったぽっちゃりイスラエル人やフランス人のおばさん(ふたりともすでにアリで出会っていた)と同じ宿に泊まり、翌日、みなでタクシーを借りて、グゲ遺跡に向かった。

 1000年ほど前にさかえ、400年以上前に滅亡したグゲ王国の遺構。グランドキャニオンをさらに武骨にしたような土山の風景が広がるなかに、壮大な規模の土の建物の残りがある。

 いまや近くに人の気配などまったくしないこの荒涼とした場所に、昔はひとつの王国があったという事実に驚かされる。城のような巨大な遺構には、建物や階段、窓の形などがしっかりと残されている。目をつぶると、この階段を荒々しく駆け上る男たちの姿が想像できるような気がする。1000年前、ここで無数のドラマがあったのだ――。

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グゲ遺跡

 「さて、あの『穴』はどこにあるんだろう」

 遺跡を回り終えつつあるとき、自然にそんな話になった。この遺跡のどこかに、最後の戦いに敗れて殺された大勢の兵士たちの死体を詰め込んだ洞窟のようなものがあるらしい。そう聞いていたのだ。

 だが、案内板も何もなく、目的の洞穴はなかなか見つからない。寺にいた案内人らしき人物に聞いても、「はて、知らないなあ、でもあの辺じゃないか」と頼りない。ぼくらは、手元にあったガイドブックの、この辺らしいというおぼろげな地図をたよりに、ただそれらしい場所に近づいた。

 晴れわたった青空の下、どこだろうと探し回った。でもない。もうこれは見つからないんじゃないか・・・。ぽっちゃりイスラエル人も、フランス人のおばちゃんも、そしてぼくらもそう思い始めた。

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こんな中を歩き回って穴を探す

 だが、そんなときに隣にいた中国人が「あれじゃないか」と言ったのだ。見ると確かに妙な穴が土の崖のようところに開いている。

 その中国人は、ぼくらをここまで連れてきたタクシーの運転手だった。彼はこのあたりで仕事をしつつも、まだグゲには行ったことがないので自分も一緒に行かせてくれといって、遺跡の中までついてきていた。岸部一徳のような外見のとぼけた雰囲気のこの男は、それまでただついてくるだけだったが、ここに来て重大な発見をしたのである。


 中国人に続いて中に入り、自分の足元で響く「バキッ」「バリッ」という音を聞くと、それがまぎれもなく死体が敷き詰められた穴であったことを実感した。これマジで全部、人の死体だよ・・・。そう確信したときにはゾッとした。そして乾いた腐臭というようなニオイが強烈に鼻を突いた。

 だが、慣れてしまえばただただ、この驚くべく空間の存在に圧倒されてしまった。身体をかがませながら、ときに地面の骨や髪の毛の上に手や膝をつきながら奥まで進んだ。いくつかの部屋に分かれているようでもあったが、すぐに行き止まりになった。

 何百年前のものかわからない衣服や髪の毛などが、文字通りそのまま残っていることに、声にならない衝撃を受けた。そしてさらに驚くべきなのは、こんな場所が、まったく管理されるわけでもなく、誰でも入れるような状態でほったらかしになっていることだった。しかし考えてみると、こんなところまできちんと管理することなどできないのだろう。

第82回遊牧夫婦

 この穴に関して、何も説明はないのだろうか。穴を出てからそう考えながら付近を丹念に探してみると、小さな案内版があることに気がついた。
そこには次のような説明が書かれていた。

<死体が置かれたこの洞穴はグゲ王国最後の遺跡である。・・・穴は、幅0.8m、高さ1.2m。中には3つの部屋があり、主室の広さは約10㎡。中には、古い死体が山積みにされているが、完璧な死体は一体もない。どの死体にも頭蓋骨がないのである。このことはグゲ王国の謎をますます深めている>

 もはや誰もここまで来てこの謎を解こうというつもりはないのかもしれない。そう思わざるを得ないほど、周囲には人がいる気配が皆無で完全に静まり返っていた。見渡す限り荒涼とした黄土色の土の山が広がり、雲ひとつない空からは、強烈な太陽だけが延々と降り注いだ。ただ、おそらくいま自分が見ているのとほとんど変わらない風景の中を、何百年も前、この穴の中に打ち捨てられた頭部のない人間たちが歩き、戦っていたことを思うと、身震いがするような不可思議な気分に包まれた。

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グゲ周辺は、見渡す限りこのような風景が広がっていた

 チベットの高地がいかに外界から隔離された土地かが感じられた。地獄のランクル道中をへて、本当に異次元の場所に来ていることをぼくはこのとき実感した。
いよいよカイラスだ――。

 グゲをあとにして、気持ちを高ぶらせながら、ぼくらはさらに先の聖地カイラスへと動き出した。ただ雪が降らないことを祈りながら。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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