遊牧夫婦

第83回 聖地 カイラスの聖人

2012.12.17更新

遊牧夫婦第83回 聖地 カイラスの聖人

 足元の真っ白な雪原と、頭上の雲の間の、細い回廊を歩いているような気がした。標高5000メートルの世界は、それほど雲が近い。周囲には誰もいない。しかし、白い道を形作る無数の足跡が、まるで天空まで続くかのように、空と大地が合流する視界の先まで延びていた。

 ぼくらはカイラスにいた。チベット仏教のみならず、ヒンズー教、ジャイナ教、ボン教の聖地でもあるこの山を、多くの巡礼者がめざし、各地からやってくる。

 現地では「カン・リンポンチェ」と呼ばれるこのカイラス山の山頂は6656メートル。11世紀に吟遊詩人であり修行僧であったミラレバが山頂に登ったという伝説があるのみの未踏峰で、その周りを一周する52キロの道が巡礼路となる。信徒たちは、この巡礼路を歩く(=「コルラ」)ためにやってくるのだ。

 両手、両膝、額の5箇所を地面につけながら進む「五体投地」という礼拝をしながらコルラをする人もいる。さらには、遠い町から五体投地をしながら年単位の時間をかけてカイラスまで巡礼に来るチベタンもいると聞く。

 そうまでして人が訪れようとするのは、どんな場所なのだろうか。行くのが大変なため、旅人にとってもひとつの聖地のような場所になっていると聞いていた。昆明にいたころにカイラスの名前を聞いて以来、いつか行くことができれば、と思っていた。そこについにやってきたのだ。ぼくにはそんな感慨があった。そしてもちろん、ぼくらもコルラをしようと思っていた。

遊牧夫婦 第83回 聖地 カイラスの聖人

グゲからカイラスへ移動。カイラスはインドやネパールのすぐそばに位置する

 グゲ遺跡のそばの町ツァンダから、カイラス巡礼の拠点となる村タルチェンまでは、車で6時間以上かかった。タルチェンは、道からはずれた平原のなかにある。近づくと車は道から外れ、村に向かってひたすら平原を走っていく。
 
 タルチェンは、カイラスの南側の麓に位置し、標高は4600メートルある。タルチェンからカイラスはもう目と鼻の先というほどの距離なので、ここまでくればいつでもカイラスが目の前に見えるのではないかと想像したが、そんなことはなかった。天気も悪く、空は雲に覆われて、それらしきものは何も見えない。到着したのがすでに17時で薄暗かったこともある。タルチェンは、ほとんどひと気のしない、ただの寂しげな僻地の小さな村にしか見えなかった。

遊牧夫婦第83回 聖地 カイラスの聖人

着いた翌日のタルチェン。天気が悪くこの日はコルラを断念。標高4600メートル。

 しかし車を降りると、寒さが本当に半端じゃなかった。

 「うわあ・・・。グゲやアリに比べてもずっと寒くないか?」

 上も下も、持っているものはすべて着るというほど厚着で臨んだが、それでも肌を刺すような空気が容赦なく全身を包む。とにかくすぐに目に入った簡素な宿に部屋を確保した。ストーブのある部屋で魔法瓶にお湯をもらった。とりあえず温かいお茶を飲まないと身体がすぐに凍り出しそうな気がした。気温はおそらくマイナス20度ほどだったろう。

 聞けばちょうどその日から雪が降り出したとのことだった。大雪が降れば道が閉ざされてカイラスまで行けなくなると聞いて心配していたので、時期は本当にギリギリだったのかもしれない。しかし雪とともに寒さもこの日からぐっと厳しくなったらしく、コルラをするには極めてハードな条件になっていることは間違いなかった。

 翌日起きると、外は一面銀世界。ときどき晴れ間は見えるものの、天候はすぐに変わり、とてもコルラに出発できる状況ではなさそうだった。

 そこでもう一日待ち、その翌日、ようやく青空が大きく広がった。
 
 「よし、今日行こう」
 
 天気は変わりやすいから、数時間後どうなっているかはまったくわからない。しかし、日に日に寒くなるのも間違いなかったし、いつまた晴れるかもわからなかったので、とにかくもういま行くしかなかった。


 仏教徒、ヒンズー教徒が時計回りにコルラするのに対してボン教徒は、反時計回りに進むという。そして旅行者は、なぜだかわからないが普通、仏教徒と同じく時計回りにコルラする。チベット人たちは一周52キロの道のりを一日で歩ききってしまうが、旅行者にはそれは厳しい。普通はカイラスのちょうど北側にあるお寺で一泊し、場合によっては、さらに別の寺でもう一泊して一周するのが標準的だ。

 地図で見ると、カイラスの南側のタルチェンから北側の寺まではちょうど半周にあたる感じで距離的には22キロほどらしい。そこまでの道はほとんど平坦なため、普通5、6時間かければ問題なく行けるという。

 とにかく天気が崩れないことを祈りながらタルチェンを出発した。北側にあるカイラスを右手に見ながら、巡礼路を時計回りに歩き始めた。

 村を離れ、数十分もすると、すでにまったくひと気のない風景となる。そして進行方向左側、つまり南側を見ると、そのあまりにも果てしなく広大な風景にくぎづけとなった。白い雪が降りかかった足元の大地は視界の果てまで南に延び、すぐ真上にある空は白と青がまだら模様をつくりながら同じく視界の果てまで延びている。そして、大地と空が結びつく地平線上には、白い雪山がずらりと一直線に並んでいる。

 「うわあ、すげえなあ・・・。あれがヒマラヤなんだろうな・・・」

 薄い空気のなかですでにゼェハァ、ゼェハァ、キツいなあ、あと5時間も歩けるのかな・・・などとぼやきながら、ぼくは何度も風景に目を向けて感嘆した。一方、同じく運動らしい運動をずっとしていなかったモトコは、無駄な体力を使わないためか黙々と歩き、写真を撮りながら歩くぼくの先を行っていた。

遊牧夫婦第83回 聖地 カイラスの聖人

巡礼路から南側を望む。正面にうっすらとヒマラヤらしき山脈が見える。

 いまいる場所が4600メートル。地平線に見えるあの山々はきっと8000メートルクラスなのだろう。そしてその向こうにインドが広がり、そのまま海にまで大地がつながっている。その一方、進行方向右側、すなわち北側を見ると、目の前にはカイラスを囲む巨大な山がそびえ立っている。

 いま自分は、大きな大陸の一点に立っている。それもものすごい高みにいるんだ。そのことを実感しながら、一歩一歩、足元の雪を踏みしめて進んでいった。

 「タルチェン出てすぐでこんなにきれいなのだから、この先は本当にすごいんだろうな・・・」

 そう思い、まだカイラスの何を見たわけでもないのに、カイラスが聖地たるゆえんが自ずとわかるような気がした。そしてそう感じながら、ぼくはあることを思い出していた。それはこの前日に話をした、ひとりの中国人のことである。


 ぼくらが泊まっていた宿にはほかに宿泊客らしき人の姿は見えなかったが、近くにあった他の宿には、複数の、ぼくらのような旅行者が泊まっていた。しかもそこには、驚いたことに、ぼくらがカイラスへ行くきっかけを与えてくれた日本人旅行者の大沢さんがいたのである。西寧で会って以来、彼もカイラスに行くことは知っていたものの、まさか同じ日にこの場所にいるとは思わなくて、お互いうれしい再会に感激した。

 ほかにも日本人や中国人の旅行者がいて、夜は彼らと遅くまで話し込んだ。そのなかで大沢さんがふと教えてくれたのが、そのときストーブの火を調節したり、食事の準備を手伝ってくれたりと、宿の客でもないぼくとモトコにまでいろいろと世話をしてくれた中国人(漢族)の男性のことだ。彼はこの宿のオーナーだった。大沢さんが言った。

 「この人は、どうもすごい人らしいんですよ。北京出身らしいし漢族っぽいし、なんでこんなところで宿をやっているのかわからないんだけど・・・」

 男性はほとんど余計なことは言わず、いつも穏やかな顔をして黙々と薪をくべたり、片づけをしたりと動き回ってる。確かに不思議な存在だった。彼はどうしてここにいるんだろう。どうしてこんなところで宿をやっているんだろう。そんなことが気になって、ぼくは彼の話を聞いてみることにした。


 名を任懐平(レン・フアイピン)といった。53歳。タルチェン出身でもなければ、チベット人でもない。北京出身の漢族で、この土地にはもともとまったく縁はないという。しかし彼は、地の果てのようなこの土地にただひとりで宿を開いて暮らしている。

 「カイラスに魅せられたんです」

 穏やかな表情で静かにそう言い、ぼくが聞くのに合わせて、ここに住むようになった経緯を話してくれた。

 任さんはそれまで、北京の大学で教鞭を取っていたという。そして自らの会社も持っていた。妻はドイツで大手電機メーカーに勤め、息子はアメリカに留学中だという。いまの姿からはまったく想像していなかった彼の経歴にぼくは驚いた。まさに典型的な中国のエリート一家ではないか。豊かな生活を送っていただろうことが容易に想像できた。ただ、それが彼にとって求めていた幸せではなかったのかもしれないこともまた、彼の口調から想像された。

 任さんは1996年に仏教徒になった。その理由を彼は「縁があって」と表現し、その8年後の2004年に初めてカイラスにやってきたと言った。そのとき強烈にカイラスに惹かれ、翌年再び戻ってきたときには、彼はすべてを一変させる決断をした。大学を辞め、まだ立ち上げて2カ月ほどだった光ファイバーの会社も人に譲った。家族には反対されたが説得し、カイラスへ戻り、タルチェンでのひとりでの生活を開始したのだ。

 「カイラスに本当に強く魅せられたんです。加えて、チベットの孤児の存在を知り、何かその子たちのために力になりたい、と思ったのです」

 その言葉どおり、彼はそのときカイラスの麓に孤児院をつくるべく尽力していた。付近の地域に23人の孤児がいる。その一人ひとりに毎月50元(約750円)ずつの生活費を工面し、1年ほど後、孤児院が完成した暁には、そこに住まわせることになっているという。

 「中央政府からの許可は下り、いまは資金集めをしています。政府は賞賛も反対もしないけれど、同意はしてくれました。本当は政府がやるべきことなんですが」

 その資金作りの一環として彼は旅行者用のささやかな宿を開いたのだ。2段ベッドを3、4つ並べ、そこに旅行者を泊まらせながら、彼も同じ部屋に寝起きしているのだ。

 任さんの暮らしは、朝、暖炉を暖めることから始まる。そして川に水を汲みに行き、旅行者の世話をし、地元チベタンたちのためにできることをやる。風呂など数カ月に一度というときもあるほど不便な土地でのどこまでも簡素で献身的な生活なのだ。

 「孤児のことを知って、誰かが力にならないといけないって思ったんです。それにぼくの家族はいまは北京にいないし、自分にはそれができると思って」

 そう話し、穏やかに笑いながら、黙々と働き続けた。話していると彼のもとに、ときおり地元のチベット人たちが薬をもらいにやってくる。任さんは「あ、ちょっと待って」と言いながら、丁寧に一人ひとりに応対し、できることをやっていく。彼が村人たちに信頼されている様子が見てとれた。

 任さんはカイラスに本当に惹かれていたようだった。彼の話を聞きながら、ここにはそれだけの何かがあるのかもしれないと思った。しかしそれでも、ただそれだけで彼の行動を理解できる気はしなかった。仏道の力によるのか、それとも現代の中国社会の何かを反映しているのか、または彼のより個人的な問題なのか。きっとそう簡単には説明できない何かがあるに違いない。ぼくは勝手にそんな想像をしながら、聖人を思わせる彼の静かで献身的な行動のひとつひとつを見つめていた。

遊牧夫婦第83回 聖地 カイラスの聖人

任懐平さん(左端)と彼を頼って訪れた地元にチベット人たち。後ろが任さんの宿。


――しかしその翌日、自分で巡礼路歩きだし、カイラスを取り巻く風景を眺めながら、あるいは任さんが言った言葉を、そのまま受け取っていいかもしれないという気もしてきたのだった。いま目の前に見ている風景はそれだけ美しかったのだ。

 まだカイラスの姿は見えてこない。ここでこれだけ美しいとすれば、この先に待っている風景は、人の生き様を変えるだけの甚大な引力を秘めているかもしれない。
そう思いつつ歩いていると、ぼくの身体はだんだんと温かくなってきた。

遊牧夫婦第83回 聖地 カイラスの聖人

少しずつ北に向かって歩き出したあたり。6000メートル級と思われる 山々の間をひたすら歩いていく

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

バックナンバー