遊牧夫婦

第84回 雪の中、橋をつくる

2013.01.08更新

 両側に険しい山を見ながら、その間に延びる真っ白い雪道をぼくらはひたすら北に向かって歩いた。

 「空が本当に近いなあ・・・」

 ひょいと手を伸ばせば雲に触れそうな気がするほど空はすぐそこにある。写真を撮っていると気づくことがあった。太陽光が太陽から六方向のみにきれいに広がり、光が正六角形を作っているように見えるのだ。空気の散乱が少ないからなのだろうか。それだけ空気が澄み、空の近くにいるということだろうと想像した。

 人の気配はまったくないものの、足跡はどこまでもまっすぐに延びている。こんな季節でも、確実に日々巡礼者たちが歩いているのだ。ところどころに石が積み上げられ、石の上にチベットの文字が刻まれている。祈祷旗であるタルチョが、青、白、赤、緑、黄の5色の旗をバタバタとなびかせている。

第84回 遊牧夫婦 雪の中、橋をつくる

チベットの祈りの旗である「タルチョ」

 そうして出発から3時間も歩いたときのことである。

「あれ、建物だよね?」

 進行方向左手側、つまり西側にある山の斜面に、小さな赤い建物が見えた。それはこの巡礼路上にある最初のゴンパ(寺)であるはずだった。

「あれ、ゴンパだ。やっと見えてきたよ・・・。ここまでは全然楽っぽいことみんな言ってたのに、かなりきつかったな。おれたち体力ないのかな・・・」

 ぼくもモトコもすでにかなり疲弊していた。
 ゴンパのなかに入ったら、温かいところで休憩させてもらえるかもしれない。そこで何か食べようか。そうも思ったが、近づいてゴンパの位置を見て、いや、と思った。思ってたより高い場所にあるのだ。

 「あそこまで登ったらすごい体力使いそうだな・・・。それなら先に進んだ方がいいよな」

 モトコも同意した。ただ、腹は減っていたので、ゴンパの麓あたりにあった石の小屋の前で、ビスケットを食べてとりあえずひと休みすることにした。
 しかし、小屋を風よけにして座っていると、10分もしないうちに急激に身体が冷えだした。空気はあまりにも冷たかった。気温はおそらくマイナス15度程度までは下がっていたのではないか。

 このままでは凍えてしまう。もうこれは止まらずに行くしかない。そう悟って、足は疲れていたけれど、とりあえず今日のゴールとなるカイラス北面のゴンパまで行ってしまおうと決めた。スタート地点の村タルチェンからそこまで5、6時間と聞いていた。あと2、3時間もあれば着くはずだった。こんな極寒のなかで立ち止まるより、早くゴンパまで行ってしまってからゆっくり休んだ方がいいだろう。そう思って早々に昼食を切り上げて、再び歩き出した。

 しかしこの道のりはそれほど簡単には進まなかった。ここから想像もしないハードな展開になることをぼくらはまったく知らなかったのだ。

第84回 遊牧夫婦 雪の中、橋をつくる

山と山の間の部分が巡礼路。まだ天気がよい

 もう2、3時間で着くらしい。そう意識し始めると、持っていたガイドブックにあった記述が気になりだした。そこにはこう書かれていたのだ。

 <巡礼路沿いには川がある。その川の左側を歩くこと。ゴンパは川の左岸にあるため、もし右側を歩いてしまったら最後に川を自力で横切らないとゴンパにはたどり着けなくなる。橋はないので注意すること>

 このことは最初から意識はしていた。
 川は南北に走っている。北に向かって歩いているので、左側とは、西側だ。円状の巡礼路の外側にあたる。最初に小さな川らしきものが見えたとき、ぼくらは指示通りのその左側を、つまり川を右手に見ながら歩くように気をつけた。

 しかし水の流れはときにかなり細くなり、また雪が積もったりしていたため、見失うこともあった。また、細かな水の流れが複数あったりすることもあり、いったいどれが川なのかわからなくなることもあった。足跡も一筋ではなくなり、どこを歩くべきなのかもはっきりとわからない。

 大丈夫かな、と思いながらもとりあえず進んだが、気づいたらまずい展開になっていることが判明した。知らぬ間にもはや渡れないほど幅広くなった川が雪の下から突然姿を現した。そしてそのとき、ぼくたちはその右側にいたのだった。

 「うわ、やっぱりこの展開。やばい、どうするよ・・・」

 先を見る限り、川はどこかで急激に細くなる雰囲気はなく、むしろだんだんと太くなっているようにも見える。戻るにしても、どこで間違えてこっち側に来てしまったのかがよくわからず、どこまで戻ればいいかも見当がつかない。それに身体の疲労的にもとても戻る気はしない。このまま歩いていって川を渡ることができなかったら、ゴンパが対岸に見え、川を泳いで渡らないといけなくなるらしい。こんな極寒のなか、そんなことは不可能だ。そしてもちろん、ゴンパにたどり着けないで夜を迎えてしまったら、それこそ恐ろしいことになる。

 「この辺でなんとか渡るしかないな・・・。どこか細いところないのかな」

 そう思って、少しでも川幅の細いところを探して歩いた。しかし、ない。流れは速く、水はこの上なく冷たそうだった。モトコの疲労はかなりのものらしく、その上この川の一件により、どっと疲れが出てしまっているようだった。
仕方ない。ぼくは決断した。

 「川のこの辺に大きな石を投げて橋をつくろう。そんなに深くないし、たくさん投げれば渡れるようになるんじゃないかな」

 「そんなんできるかなあ・・・」

 モトコは半信半疑だったが、とりあえずやってみるしかない。モトコにはしばらく休んでもらい、ぼくは雪のなかから大きな石を掘り起こして、ひとつずつ、川のなかに投げ入れた。ジャボン。ジャッポン。ジャッパン。・・・と。

 石は水のなかに豪快に落ち、適当なところにおさまった。深いところにゴロゴロと転がっていってしまうものもあったが、確実に川底は浅くなっていくはずだった。深いところでも膝までぐらいに見えたので、気長にやれば、きっといけるはずだ。そう思いながら、ぼくはさらに雪を掘り返して石を持ち上げ、投げいれた。

 しかし、投げれば投げるほど、ぼくは絶望の境地に立たされた。それなりに積み上がった箇所もあるものの、新たな石を投げることでそれが崩れるときもあり、よく見るとほとんど進展していないのである。

 「こりゃ、無理だ・・・」

 ぼくは大きくため息をついた。いまさらだが、とてもじゃないけど橋をつくるなんてことができそうにないことに気づかされたのだ。そして30分以上もこのインスタント橋作りに格闘した結果、橋ができないどころか、それ以上の悲惨な展開になってしまった。

 「あ!」と思った瞬間、足元の川岸の凍った雪面が崩れ落ち、ぼくは両足ともに川のなかに落ちてしまったのだ。やばい、と思ったときにはもう遅かった。履いていたスニーカーは完全に水没し、靴下にまで水が染み込んだ。足は半ば凍りつきそうになった。

 「うわあ、つめてー!」

 足を必死でもんだり動かしたりしたが、焼け石に水。これはマジでやばいんじゃないか、という気がした・・・。これはもう、とにかく早くゴンパに着くしかない。しかし、無駄に終わった橋作りによる体力消耗が激しく、濡れた足の冷たさも半端じゃない。またこのまま歩いていってゴンパが見えても、最後には標高5200メートルで川のなかをジャボジャボ歩いてまたは泳いで対岸まで渡らないといけないかもしれない、という精神的なショックとプレッシャーがのしかかった。疲労感は一気に増す。しかも、ゴンパが見えてきそうな気配はまったくなく、視界の果てまで真っ白の道が続いている。いったいいつ着くかまったく見当がつかないのだ。

 体力的にはかなり限界に近く、ふたりとも、話す気力もなくなった。そしてそのうちに、雲行きが怪しくなった。青空は一瞬で姿を消し、空は一気にグレーの雲で覆われる。そして強風のなかで、降り出した雪は吹雪となって、強烈に吹き付けた。

第84回 遊牧夫婦 雪の中、橋をつくる

急に天候が悪くなり、吹雪き出す。先はまったく見えない

 ぼくは不安に襲われた。身の危険すら感じ始めた。
 しかしできることはない。とにかく先に進むしかないのだ。再び晴れだすことを願いながら、100歩ずつ歩いては一休みすることを繰り返した。100歩という小さな目標をつくることで、なんとか前進していけるようになった。モトコも、とにかく吹雪地帯を抜けてゴンパに着きたいのだろう、無言のまま、途中からぼくよりも進むのが速くなるときもあった。

 ありがたいことに天候はすぐにまた変わった。雲は激しく動き、吹雪のなかを一時間近くも歩くと、晴れ間が見え出し、ときに太陽が姿を見せた。そして太陽が出ると、身体もぐっと温まった。

 晴れ間が見えだしたころ、ぼくらはカイラスの真西らしき位置にいた。右側を見ると、目の前に、真上に延びるカイラスの西面が見えてきた。これまで周囲の山に隠れていた聖地の山が、ついに大きく姿を現したのだ。周囲の山は影ができて暗く見えるなか、カイラスだけが、太陽の光を浴びて白く、茶色く輝いている。

 「カイラスだ・・・」

 間近に見える姿に、極度に疲れながらも圧倒された。そして、カイラスの山頂が徐々に自分たちの右手後方に移動していくことにわずかな希望を見出しながら、100歩ずつ、100歩ずつ、歩を進めた。

 だんだんと道が右(=東)に曲がり、カイラスの北面が見えてくる段階になると、いよいよいつゴンパが見えてきてもおかしくない状況になってきた。

 「もうすぐだよ。もうすぐ」

 そう自分に、モトコに、言い聞かせながら、一歩一歩先に進んだ。そしてもう、あと30分もすれば着くのではないか、と思っていたとき、前から何人かのチベット人がやってきた。ゴールが近い証拠な気がして、期待を込めて聞いてみた。

 「ゴンパまではあとどのくらいある?」

 すると、もう少し、あと1時間ぐらいかな、という。
え、まだそんなにあるのか・・・。ぼくもモトコも、軽くショックを受けてしまった。ただ、その一方、彼らが、川に対して自分たちと同じ側を歩いていることに気がついて、あれ、もしかして、と急に気持ちが明るくなった。そしておそるおそる「この先に橋はあるんですか?」と聞いてみると、男が言った。

 「あるよ。もうちょっと先に行ったら見えるよ」

 なんと、橋はあったのである! 持っていたガイドブックのコピーの情報が古かったのか何なのか、いずれにしても、助かった、とほっとした。そして安堵すると同時に、あの橋作りはなんだったんだ、と急に忌々しくなってきた。しかしいずれにしても、これでなんとか生きてゴンパにたどり着けることがわかったのだ。

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天候は回復するも、まだ先は長い

 ついにゴンパが見えてきた。が、なかなか近づけない。あまりの疲労で歩く速度は極めて遅くなっていた。ただその疲労のなかでも、うしろを振り向いたときに見えた景色には、思わず息をのんだ。夕日に染まる雪山と空の美しさが格別だったのだ。ほとんど口をきくのも億劫そうだったモトコも、それを見て、「写真を撮っときや」とジェスチャーでぼくに指示をした。

 ゴンパに着いた。石でできたコの字型の簡素な建物が、まるで宮殿のように見えた。ほとんど死に体となった冷え切った身体をとにかく温めたくて駆け込んだ。しかし中にはひと気がない。「ニーハオ!ニーハオ!」。大声で叫んでも反応はない。

 「おかしいな、誰もいないっぽいよ・・・」

 もしかして、と思い、斜面のさらに上の方にあった赤い建物の方に向かって「ニーハオ!!」と叫んでみた。するとそのうちに、建物のなかから赤いローブをまとった僧侶が姿を見せ、招き猫のような手招きをした。それはまさに、天上から下りてきた神様のように見えた。

 しかし、「神」のもとまでにはまだ最後に大きな斜面が待っている。もう到着した気でいたので、え、まだここを登るのかよ、と衝撃を受けた。モトコも一気に顔をゆがめた。
なんとか上がると、最後に階段が見えてくる。そしてその上には僧侶がにこやかに笑ってる。ただ、ぼくもモトコも、もうその階段を上がる力は残ってなかった。すると僧侶が降りてきて、「私につかまりなさい」と、ぼくらを引っ張り上げてくれた。僧侶の手の力強さと温かさを感じつつ、足を引きずり肩で息をしながら、一段ずつ上がっていった。そしてなんとか登りきると、ついにストーブの火が見える温かな空間に入ることができた。崩れ落ちるように座り込んだ。モトコはそのとき、あまりの安堵感のためか、感極まって涙を流して泣いていた。

 助かった。普通は5、6時間で楽に行けるはずのところを8時間半もかかってしまった。着いたときにはすでに夜の8時前になっていた。

 「さあ、これを」

 と、若い僧侶があったかいお湯を持ってきてくれた。その中に足をつけさせてもらいながら、熱々のトゥクパ(チベットの煮込みうどん風の麺)もわけてもらい、掻き込んだ。そしてそれを食べ終えると、一歩たりとも移動する気力がなく、そのままソファーベッドに横になり、意識を失うように眠りについた。

第84回 遊牧夫婦 雪の中、橋をつくる

ゴンパのなか。右奥の壁際のソファーベッドに寝させてもらった(撮影は翌朝)


 翌朝。目覚めると、窓はかすかに光を採りいれ始めていた。身体と頭が少し痛いものの、とりあえずなんとか動けそうだ。そう思いながら、トイレに行くために建物の外に向かった。

 昨日引き上げられながら上がった階段を、少し軽やかな足取りで降りて、木の門を開けて外に出た。まだ日が昇り切っていない標高5200メートルの朝は、身体に突き刺さるような冷たさに満ちていた。その中を「小便せずに寝ちゃったから、さすがに漏れそうだ・・・」などと思いながら、足早に歩いてトイレに向かうと、すぐそこにカイラスの姿が目に入った。そしてそちらに視線を向けたとき、ぼくは身体の震えが、寒さによるものから感嘆によるものに変わったことに気がついた。

 すべてが真っ青に染まるなか、カイラスの北面だけが、昇りかけた日の光を受けてくっきりと真っ白く浮かび上がっていたのだ。
 まるでカイラスは別世界の生き物のように、その場所に君臨していた。

 「これがカイラスか・・・」

 周囲は完全な静寂に包まれ、視界のなかに入るすべてのものが静止しているように見えた。まるで広大な宇宙のなかに自分とカイラスだけが向き合っているような気分になった。

 このとき、何も考えることなく、この山が聖地となった理由を身体が理解していた。なぜ人々がこの山を崇拝し続けてきたのか。なぜ任さんがこの地に移り住んできたのか。理屈ではなく、このときすべてが納得できたような気がした。
 ぼくは一瞬、用を足すことも寒さも疲労もすべてを忘れた。そして、カメラを取るために木戸の向こうの階段を再び駆け上がった。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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