遊牧夫婦

第86回 豪気な男とキルギスへ

2013.02.05更新

 中央アジア――。
 キルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの5カ国をまとめてそう呼ぶ。東は中国、北はロシア、南はアフガニスタンとイランに囲まれる。そして西にはカスピ海が広がり、その向こうは、グルジア、アルメニア、アゼルバイジャンを挟んで、黒海、トルコと続き、いよいよヨーロッパとなる。

 中央アジアについて知っていることはほとんどなかった。「―スタン」の国々から成り立つ(「キルギス」も昔は「キルギスタン」と書かれた)ということ以外、自分にとっては完全なブラックボックスのような地域だった。ただ思い出すのは、学生時代、東京国際映画祭でキルギスの映画を見たことだ。内容はまったく覚えていないものの、美しく静かな白黒映像のなかの、寡黙な男性の顔が日本人と何ひとつ変わらなかったことだけが記憶にある。こんな場所にこんな顔の人たちが住んでいるのか。そう思い、不思議な親近感を覚えたものだった。

 中国・キルギス間の国境イルケシュタムに臨み、そんな記憶がよみがえる。映画のなかのあの男がいる国に、これから行くのだ。

 中国側の出国審査を終えると、10元払ってマイクロバスのような車に乗せられる。10分もかからないほどの距離を走っておろされると、さらにその先、左右を茶灰色の山々に囲まれた道路の上を10分ほど歩いて緩衝地帯は終わりとなる。そしてキルギス側で入国審査だ。

第86回 豪気な男とキルギスへ

国境のキルギス側にて。写真奥が中国側(だったはず)

 審査の順番を待ちながら、さあ、これからどうしようかと考える。キルギスにはすんなり入れそうなものの、入国してからのことは移動手段も決まってない。国境から乗れるバスがないらしいことは聞いていたので、とりあえず自分たちで適当に車を探して乗せてもらうしかなさそうだった。荒涼として人の気配もあまりしないこの国境では、まずその作業に一苦労しそうだった。

 そんなことをモトコとともに考えていると、20代半ばぐらいのひとりの男が近づいてきた。鋭い眼光に黒い短髪。彫りが深くて顔は濃く、ボディはレスラーばりにごつかった。大仁田厚だ。そう思った。まさに若き日の大仁田厚を少し洋風にしたといった雰囲気の男だった。その彼が、大きな声で豪快にこう話しかけてくる。

 「お、あんたたち、どっから来たんだ? どこに行くんだ?」

 やたらと陽気で、言葉は英語だった。おれはアリだ。そう名乗った。彼も同じくこれからキルギスへ入国しようとしている。これは、と思い、自分たちの状況を話してみる。するとアリは、すかさずこう言うのだ。

 「オシュまでならおれが一緒に乗せていってやるよ。もちろんタダでいいよ」

 オシュというのは、首都ビシュケクに次ぐキルギス第二の都市だ。ぼくらがとりあえず目指していたのもオシュだった。願ってもない話である。

 聞くとアリは、車のディーラーで、中国から輸入した車をウズベキスタンで売っているらしかった。中国で新車を買ってそれを自分で運転して、キルギス、さらにその隣国のウズベキスタンへと運んでいる。いままさに仲間とともに、中国製の新車5、6台を運んでいるところだという。その「輸入車」に乗っていけばいい、と言うわけだ。まさに、渡りに船である。

 「え、いいの? それは助かる!」

 と言いながら、モトコと視線を合わせて考えた。アリがどんな人物なのかはわからない。タダでいいというのも、ありがたい一方でなぜだろうという疑問も残る。しかしこういうときは、直感に頼るしかない。信じていい男か。そうではないか。一瞬考えた。そしてすぐにぼくらは決めた。ありがたく彼の車に乗って行こう、と。

 「2、3時間後に出発するから。ちょっと向こうで一緒に待ってくれ」

 そういわれ、アリとともに出国審査の建物を出る。外には、見渡す限りトラック、コンテナ、プレハブがごちゃごちゃと並んでいる。周囲は黄土色の大きな砂の山に囲まれ、空中に舞う砂埃が荒涼とした雰囲気を一層強くする。広大な工事現場のようなその場所が、ぼくらが初めて目にした中央アジアの風景だった。

 「こっちだ」

 そんな雑然としたなかにあるコンテナのような建物のひとつにアリはぼくらを連れて行った。緑色の外観はきれいに茶色く錆び付いている。横においてあるパラボラアンテナが妙にアンバランスだった。

 「入れ、入れ」

 なかは、光は入っているものの赤黒い絨毯がしかれているためか薄暗い。中央に青いテーブルクロスのかかったテーブルがあり、その周りを複数のおっさんが囲み、パンやスープを食べていた。おっさんたちのどんよりとした雰囲気もまた空間を薄暗くするのに貢献していた。言語は、ロシア語かキルギス語か、はたまたウズベキ語か。彼らがいったい何者なのか、ここで何をしているのか、まったくわからない。いきなりディープな雰囲気のなかに入り込み、少し緊張していると、おっさんたちはにこやかに言う。

 「さあ、食え、食え」

 ぼくらは言われるままに腰を下ろし、テーブルの上のパンやジャガイモ料理をつまみながら様子をうかがった。「お、結構うまいよ、これ」。そうモトコにつぶやいた。むさ苦しい男たちのなかで、料理はひときわ輝いて見え、話していることがわからないのでとにかくぼくは食いに徹した。

第86回 豪気な男とキルギスへ

アリに連れられて時間を過ごしたコンテナのなか

 なかにいたひとりのおじいさんは、旧ソ連圏定番のウォッカ中毒オヤジだった。ぼくらが中国の人民元をキルギスの通貨ソムに両替に行くというと、彼が一緒に立ち上がる。「よし、おれが連れて行ってやるよ」。ああこれは、間違いなくタカられる展開だな・・・と思っていると、両替を済ませてソムの現金を手にしたぼくらに、臆面もなく彼は言う。

 「ウォッカを一杯買ってくれ」

 そしてうれしそうに一杯飲むと、コンテナに帰って早速たらいにゲロを吐いた。一方、コンテナに戻ると、もうひとりいたおっさんが、モトコへ執拗にロシア語でセクハラ攻撃を仕掛けてくる。「うわ、なんや、この人。めっちゃきもいわ・・・」。モトコはやんわりと不快感を漂わせるが、おっさんはそんなことでは動じない。ディテールはよくも悪くもわからなかったが、エヘエヘと怪しげに笑う顔を見ていると、もはや言語は関係なかった。

 ロシアでも酔っ払いには何度も絡まれ手を焼いた。本当にうっとうしくなるときもある。ただ、どこか憎めない雰囲気がある。彼らの言葉をアリに通訳してもらいながら、ときに流し、ときに笑い、パンをつまみながら、同じようにダラダラと寝転がって出発のときを待っていた。
 しかし、あまりにも長くそんな時間が過ぎていった。

 「いったいいつまでこの状態なんだろう・・・」

 何時間たってもまるで動く気配がない。時々アリに、まだ出発しないの? と聞いてみたが、彼はただ、「もうすぐ出る」「ちょっと待ってくれ」と同じ言葉を繰り返すのみ。そしてあれよあれよという間に日没を迎え、夜になった。

 「よしそろそろ行くぞ」

 ついにアリが動き出したのは、夜8時半のことだった。なんとそのコンテナで7時間もまったりしてしまったのである。

 外はすでに真っ暗だった。しかも雪が降り出しうっすらと積もっている。コンテナの横にあるパラボラアンテナもすっかり表面が真っ白になっていた。

 「この車に乗ってくれ」

 と促され、ぼくらが乗ることになった車は、中国製のシルバーの軽自動車だった。なかを見ると座席にはまだビニールカバーが付いていて、確かに新車らしかった。ただ、ナンバープレートもないまま国境を越えていきなり運転してしまうというのが、なんだかさすがワイルドだなあ、と感心した。

 目的地であるオシュまでは、ここからすごい悪路を10時間ほどだという。いまから10時間、真っ暗闇の雪道を走るって? 大丈夫なのか? そう聞くと、アリは笑う。「10時間ぐらい全然問題ないさ」。なんでもアリは、レスリングの選手だったという。「5年前は旧ソ連圏でのチャンピオンだったんだ」。なるほど、ボディはダテではなく、大仁田ルックも見た目だけではないらしい。

 「よし、行くぞ!」

 仲間の車に声をかけて、ナンバープレートのない新しい軽自動車5、6台が、雪が降る闇夜のなかを一斉に走り出した。

 道はこれ以上ないほどの悪路だった。しかもサスペンションが貧弱なのか、車体はまるで揺れを吸収しない。ひと気のない殺伐とした道には街灯も何もほとんどなく、頼れるのはヘッドライトのみであり、その上すぐにものすごい吹雪に襲われた。中国製のワイパーが必死にフロントグラスの雪を掻き分けてなんとか前が見えるという状況だった。

 だがそんな状態にもかかわらず、アリは無茶苦茶なスピードで飛ばすのである。座ってはいられないほど上下に揺れ、「ドンッ、ドンッ」と身体が突き上げるような衝撃が走り続ける。猛烈に尻が痛い。そして眠い、寒い。靴を脱いで寝袋に包まって、落ち着ける体勢を見い出そうとしたが、楽な姿勢などなさそうだった。モトコは早々に車酔いし、ぐったりしていた。「ほんとにこれで10時間も行くのかよ・・・」。先のことを思うとすっかり気分も真っ暗になった。

 ぼくらは少しずつ体力を奪われ続け、いつしか気を失うように眠りについた。そしてときどき、頭をぶつけては「イテッ!」と言って目を覚ました。しかし一方、アリは驚くべき集中力と体力で、どんどん車を走らせた。暗闇の悪路の雪道を、1度の休憩だけで夜中ひたすら走り続けた。まさにレスリングの旧ソ連圏チャンピオンの迫力を見せつける驚異の走りっぷりなのであった。

第86回 豪気な男とキルギスへ

4時間ほど走って初めて休憩を取ったとき。深夜12時半。アリもまだ元気、車もまだきれい

 10時間が経ち、朝6時になったころ、さすがのアリもぐったりして、車を止めた。「ちょっとだけ寝させてくれ」。そう言って眠りについた。それでも2時間後の8時になるとアリは起き、「よし、行くぞ」と、勢いよくアクセルを踏んで走りだした。

 外は明るくなり、牧歌的な風景に囲まれていることに気づかされる。雪で真っ白になっていたが、ポツポツと木造の家が並び、ところどころに木々や草地が広がっているのが見て取れた。羊の群れと羊飼いも横切った。「ロシアの田舎の景色にそっくりやなあ」とモトコが言った。やはり旧ソ連の国だなと感じさせる風景だった。国境を越えてから荒野と雪景色ばかりだったので、中国を出たという感覚がそれほどなかったけれど、ここにきてようやく、自分たちが中央アジアにいることを実感した。

 人が住む気配もしだしたので、もうそろそろ着くんだろう。そう期待した。だが、それは甘かった。いつまでたってもオシュの町に着くことはなく、その代わりにもうひとつ手ごわい雪道が待っていた。

 「え、まだこんななかを行かないといけないのか・・・」

 猛烈に雪が積もり、車が通れる道幅もわずかとなり渋滞が起きている。中国からの積荷を積んでいるのかもしれない大きなトラックが列をなして、のろのろと走っている。

 渋滞でまったく身動きが取れなくなったとき、ぼくは気分転換にちょっと車を降りて見た。そして自分の乗る車の外観を見て驚いた。新車だったはずの車が、いまやまったく別の姿になっていたのだ。雪、泥の汚れに加え、石による傷も無数についているようだった。売り物のはずなのに、もう明らかに新車ではなくなっていた。

第86回 豪気な男とキルギスへ

最後の雪道で外に出たとき。新車が一夜でこの姿に

 「この車、すごいダメージ受けてそうだけど、大丈夫なの?」

 だが、アリに不安な様子はまったくない。

 「大丈夫だよ、これでも売れる」

 途中でワイパーが外れたときも、「ははは、これは中国製だからな」と笑っているし、あとから乗ってきたアリの友だちも車内にタバコの灰を捨てまくっていた。いったいどういうことなのかは不明だが、とにかくそれでも売れるのだろう。

 そうして激しく姿を変えた「輸入車」がようやくオシュの町へとたどり着いたのは、午後1時すぎのことだった。結局17時間かかったのである。そして、さすがに疲労感いっぱいな様子のアリがこう言った。

 「やっと着いたな。でも実はふたりが寝ている間に、居眠りしちゃって危なかったこともあったんだ・・・」

 それを聞いてヒヤリとした。事故らずに着いたのは、まさにラッキーだったのかもしれない。
 そしてアリは、続けた。

 「今日はどこに泊まるんだ? もし決まってないなら、うちに泊まっていったらどうだ」

 おお! いきなりのうれしいオファーだった。ぼくらは遠慮をすることもなく、喜んで! と好意に甘えることにした。そして、オシュの隣町カラスーにある彼の家に一緒に向った。

 アリの家に着くと、奥さんがまるで旧友を迎えるように、ふたりの娘さんとともににこやかに歓迎してくれた。

 「さあ、これを食べてください」
 「さあ、眠いでしょう、ゆっくり寝てください」

 アリの奥さん、ディリアは、何から何まで本当に親切に世話を焼いてくれた。招き入れられた部屋には、青くきれいな絨毯が敷かれ、心地よい大きなソファーが並んでいた。その上に腰をおろして、ぼくらは、パンやチーズ、ピラフなど、おいしいウズベキスタン料理を、食べられないほどたくさん堪能したのだった。

 ちなみに、なぜキルギス料理ではなく、ウズベキスタン料理なのかといえば、アリの家族みなウズベク人だからだ。民族的にはウズベキスタンの人たちということだ。ここカラスーは、ウズベキスタンとの国境沿いにあり、アリの家から50メートルほど行ったところの川の向こうはウズベキスタンなのだという。カラスーもオシュも、ウズベク人の方がキルギス人よりも多いらしかった。そしてキルギス人、ウズベク人の諍いも絶えないという。

 「警察もウズベク人には態度が悪く、おれたちに狙いをつけて文句をつけてくるんだよ」

 そんな話を聞いているうちに、いよいよ自分にとって中央アジアが身近な場所になってくるのを感じていた。

 翌日には、ふたりの娘もすっかりぼくらになついてくれた。奥さんのディリアも、モトコと話すのがとても楽しそうだった。言葉はほとんど通じなかったものの、ぼくらもわずかに知ってるロシア語を使ってなんとか会話を試みた。

 「ちょっと待ってて」

 あるときディリアは、そう言って部屋を出て行った。戻ってくると、キルギスの民族衣装を持ってきた。「これ、着てみて」。そう言ってモトコに手渡した。

 「これはあなたにあげたいの」

 黄、ピンク、白、緑、黒でカラフルな柄が描かれてたその衣装に、モトコが喜んで袖を通すと、ディリアがモトコの頭に、白く美しい刺繍の入った布を巻いてくれた。

 「とっても似合うわ」

 そんなようなことをディリアは言い、うれしそうにモトコを見た。そしてモトコが「みんなで一緒に写真を撮ろう」と誘い、ふたりの娘も一緒に、4人で写真に収まった。日本人のモトコがキルギスの衣装を着ると、もしかすると本物のキルギス人のように見えたのかもしれない。

 キルギス初日をこんな歓待から始められたことが本当に幸運に思えた。中央アジアでのこれからの出会いが楽しみになるような出だしだった。

 ぼくらはこの日、とりあえず首都ビシュケクまで行くことにしていた。バスターミナルまでアリに送ってもらうと、彼は途中、キルギスで使える携帯電話のシムカードまで買ってくれた。本当に、彼は親切すぎるほど親切な男だった。

 「何かあったら、いつでも連絡くれよ。また会おう」

 鋭い目つきのまま、にっこりと笑って、アリはぼくらをビシュケクへと送り出してくれた。

第86回 豪気な男とキルギスへ

キルギス(Kyrgyzstan)に入り、アリの車で一気にオシュ(Osh)まで

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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