遊牧夫婦

第88回 最終授業

2013.02.19更新

 「財布がない!」

 マルシュルトゥカ(ミニバス)のなかでそう気づいたのは、乗ってから10分も経ってないときのことだった。

 この日は雪も降り特に寒さが厳しかったため、みな普段よりも着膨れしていた。マルシュルトゥカのなかはいつも以上に狭く、互いの密着度も高い。これは危ないかもしれない。そう思い、ぼくは乗ったときから警戒していた。

 以前から「危ないからやめろ」と言われ続けていながらも、相変わらず財布はお尻の左ポケットに入れていた。大丈夫。すられたら絶対に気づく。そのときに犯人を取り押さえられるはずだ。ぼくはそんな風に考えていた。

 ブルルルーン、と古いエンジンの音をたててマルシュルトゥカが動き出すと、ぼくは数分おきに、上海のユニクロで買ったジーンズのお尻ポケットに手を当てて財布があることを確認した。痴漢に間違えられたら悲惨だなと思いつつも、ゴソゴソと手を動かしては後ろの左ポケットの盛り上がりに触れた。・・・ある。そしてまた数分後。・・・よし、ある。そうして何度か確認した。

 しかし何度目だっただろうか、感触が突然変わった。数分前と同じようにポケットに触れると、さっとしぼむように形が崩れたのだ。

 「あれ・・・? あれ?! うわ、財布がない!」
 「え、マジで?」

 突然の出来事と、ぼくの焦りっぷりに、モトコも同じく驚いた顔でこっちを見た。
勘違いなんじゃないかとも思い、何度もポケットに触れ続けた。「イズヴィニーチェ(すみません)」と言って、身体をよじって膝を曲げ、床に落ちてないかも確かめた。そうして10秒もしないうちに確信した。自分はスリにあったのだ、と。

 あたふたしながらすぐに周囲を見回した。誰がやったのかはまったくわからない。こんな場面で使えるロシア語は習ってない。周囲の人になんて声をかければいいのかもわからない。でもとりあえず近くの人に悲愴感漂う目で訴えかけ、自分のお尻を左手でポンポンポンと叩きながら、「ニエット、ニエット!(ない!)」ともっとも初歩的なジェスチャーと言葉で、状況を周囲に知らしめた。

 みな、すぐに理解してくれたようだった。だが誰もが、「知らないよ」と気の毒そうな視線をくれるだけだった。しかししばらくすると、近くに座っていたひとりの女性が、意を決したように違う反応をした。「あいつよ」と、ひとりの男を指差したのだ。

 指の先にいたのは、ぼくのすぐ隣に立っている黒髪の男だった。それを見てぼくも「やはり!」と納得した。一番怪しいとぼくが感じていたのもその男だったからだ。この女性がわざわざウソを言うとは思えない。彼女はきっと、あの男が財布を盗る瞬間を見ていたのだ。

 だが、財布が戻るかどうかは別問題だった。
 まず時間がない。停留所に着いて人が出入りしてしまえば、一気に探すのは絶望的になる。いますぐ犯人を特定して財布を取り返さなければならないのだ。

 冤罪の可能性もゼロではないが、ぼくはその男に狙いを定めて詰め寄った。「財布を知らないか?」。だが彼は「ぼくじゃないよ」と首を振る。そして心配そうな顔をしながら、「どこにもないのかい?」と親切そうに振舞い続ける。

 マルシュルトゥカは雪道の上で徐々にスピードを緩めていく。そして、ああ、もう時間がない、と何も妙案が浮かばないまま途方に暮れているうちに、車はゆっくりと停車した。

 犯人だと思しき男は降り口に向かった。「逃げるのか」と一瞬思い、「ちょっと待ってくれよ」という言い方もわからずとりあえず袖をひっぱった。だか彼は「ぼくはここで降りるんだ」と主張してドアを指す。証拠もないまま、どうすることもできなかった。

 「どうする、一緒に降りる?」

 もしかすると、車内に別の犯人がいるかもしれないが、ここはもう直感で動くしかない。この男が盗ったのだ。そう信じ、ぼくはモトコにうなずいた。うん、降りよう。
先の男に続いて、人をかき分けながら出口に向かいバスを降りた。すると、その男とぼくらの他に、もうひとり別の男が降りていった。

 そのもうひとり別の男の姿を見たとき、ぼくはすぐに気がついた。
 そうだ、きっとこのふたりがグルなんだ。すったのはやはりさっきの男で、すぐにこの男に渡したのでは――。

 「もうひとり」の男はぼくらの横をすばやく歩き去っていく。この男が財布を持っているはずだ。そう思った。しかし、歩き去るその男を、先の男を放って追いかけていいものかどうか、判断がつかなかった。歩き去った男は、まったく関係ない人である可能性も否めない。その場合、いま目の前にいる実行犯らしき男すらも逃してしまうことになる・・・。

 ふたりを見比べながら、1、2秒での判断を迫られた。財布は、歩き去る男が持っているような気がする。しかし、目の前の男が隠し持っている可能性もある。

 ぼくはどうしても歩き去る男に賭けることができなかった。そして心を決めて、目の前の男にジェスチャーで示しつつ英語で言った。「身体を調べさせてくれ」。彼は頷いて堂々と両手を挙げた。その時点で、ああ、彼は持ってないのだな、と確信した。全身に触ってみたが、やはりどこにも財布はなかった。

 「やっぱり、さっきの男が持っていったんだ」

 しかしその男の姿はもう見えなかった。そして、財布がなければ、目の前の彼がすったということも、証明するすべがあるはずもなかった。

 「もう行っていいか。おれは行かないといけない。ほんとに知らないんだ」

 遠くを指差しながらそう言われると、確かに彼じゃない可能性もあるために強気にはなり切れない。もしほんとに彼じゃなかったら申し訳ないな、という気持ちも出てきてしまった。そして苦し紛れに、単語を並べてこう言った。

 「一緒に、ポリツィア、警察に・・・、行ってくれないか」

 もちろん、来てくれるはずのないことはわかっていた。一応気の毒そうな顔を浮かべながら立ち去る彼を、もう止めようはなかった。彼は立ち去って行った。きっと、向こうを向いた瞬間笑っていたに違いない――。

 クソッ!――。
 悔しさも怒りもおさまらない。すられても気づくはずだから大丈夫と思っていた自分の馬鹿さ加減に腹が立つ。すってすぐに仲間に渡されるという発想がまったくなかった。しかも、車内であんな風にお尻に手を当ててチェックすれば、「ここに財布がありますよ」とアピールしているようなものだった。まさに石橋を叩きすぎて壊してしまったわけである。しかしどうにも気持ちが鎮まりそうになかった。

 「最悪だ・・・」

 少し身体を震わせながら、やり場のない悔しさをぶつける場所を探して、立ったりしゃがんだり、こぶしを握ったりを繰り返した。そしてこのとき、言葉が通じない辛さを久々に実感した。

 「これが学校終わって初めての実践場面ってのは、さすがに高度すぎる・・・」

 そう、これは、ロンドンスクール最後の日の出来事だったのだ。ちょうどこのスリ事件が起きる数時間前に、最後の授業を終えたばかりだったのだ。


 この日まで、たった3週間少々だったが、ぼくらのロシア語力は習いだしたころを思えば相当に上達していた。もちろんゼロからのスタートなので簡単に上達するとはいえ、めちゃくちゃブロークンながらも、それなりにロシア語で自分たちの意思を伝えることができるようにはなっていた。それは本当に大きな変化だった。

 「ヤ・ハチュー・チョルネイ・コフェ(ブラックコーヒーをください)」
 「ヴィ・ガヴァリーチェ・パルスキー?(あなたはロシア語を話しますか?)」
 「スコルカ・ストイット・エタ・ガゼータ?(この新聞はいくらですか?)」
 
 町で実践できる会話といえば、結局はこんな内容に少し毛が生えた程度でしかない。少し複雑な状況になれば、単語を並べ、ジェスチャーを駆使して対応するしかなかった。それでも、ほとんどひと言も話せなかった1カ月前を思うと、まるで白黒のテレビがカラーに変わったぐらい、見える世界は大きく変化した。ビシュケクに生きる人々との間を隔てていた膜のようなものが日々剥ぎ取られていった。

 しかし、限られた時間内でのスリとのやり取りにおいては、ほぼ、何ひとつ役立たないことにこの日ぼくは気づかされた。

 「とりあえずカードとか止めた方がいいんちゃう?」

 地団駄を踏むぼくを、モトコは気の毒そうに見つめながら、いま必要な冷静な提案をしてくれた。うん、それもそうだと気を取り直し、ふたりでネット屋へと駆け込んだ。

 銀行やクレジットカード会社の電話番号を調べ、すぐにすべて止めてもらう。使われてはなく、とりあえず被害は財布のなかの現金だけですんだ。その額は計4万円ほどだと思われる。

 冷静に考えればそれほど大した金額ではない。ただ、キルギスの物価感覚から考えるととても痛い。なにしろ4万円は、1カ月の宿代も、学校の授業料もすべて払えてしまうような額なのだ。それに、細々した日々の節約術がすべて水泡に帰したような気がしたのも悔しかった。

 「警察には必ず届けて、盗難届けをもらってくださいね」

 電話をしたふたつのカード会社の人にともにそう念を押された。だから、届けても意味ないよなあ、現金は保険でも戻ってこないしなあ、と思いつつも、盗難届けが後でなにかに役立つかもしれないと、その足でタクシーをつかまえて警察に向かった。

 「ポリツィア、パジャルスタ」。警察、プリーズ――。

 警察署は、町のはずれのずいぶんと辺鄙そうなところにあった。雪のせいでそう見えただけかもしれない。でも、建物もまた、古くて大きくて寂しげだった。

 「いかにもソ連を思い出させる雰囲気だなあ・・・」

 どこか寒気を起こさせるような気の滅入る外観で、行っただけで捕まりそうな気すらする。しかし中に入ると、思っていた以上に力の抜けた頼りなさげなムードが蔓延していてほっとした。適当になかに入っていくと、しまらない薄笑いを浮かべた警官数人が、なんだ君らはという顔でこちらを見る。「財布をすられてしまって・・・」と適当なロシア語で話してみると、暇だったのだろう、まるで飲み屋で誰かのケンカの話で盛り上がるかのように、のり出してきて聞いてくる。

 「犯人は、男?女?いくら入ってたんだ?」。さらに、「ドキュメントをつくってやるからついてこい!」と言われ、奥のオフィスに連れていかれた。

 「ここでちょっと待っててくれ」

 部屋の奥にはふたつの机が並んでいて、そこには彼らの上司らしき人物が座っている。さすがに彼は、なにやら忙しそうに仕事をしている。彼がなにかしてくれるのだろう。そう思い、ぼくらは静かに待っていた。

 待っている間、ひとりの警察官が、ときどきこちらに話しかけてくる。ゆっくりと、おそらく簡単そうな単語を選びながら、ロシア語で。ぼくらもときに辞書を引きながら、がんばって話した。そのうちに、だんだんと打ち解けた雰囲気になっていった。その警官は、25歳、結婚して3年で、そろそろ二人目の子どもが生まれるという。奥さんは22歳。彼の家族事情をインプットし、それからぼくらが旅をしているということを話し終えると、彼は、ストレートにこう聞いてきた。

 「なぜあんたたちは、ふたりとも31歳にもなるのに子どもがいないんだ。なにか身体に問題があるのか?」

 すごい聞き方に面食らったが、それはキルギスに来て以来いつも聞かれることでもあった。適当に笑い、単語を並べて答えていると、奥の席で仕事をしているように見えた上司らしき男が、こう言って締めくくった。

 「子どもは早い方がいい」

 彼はぼくらと同じ年だが、すでに結婚11年目、子どもはふたりいるという。どうだ、という言葉すら聞こえそうな気がした。

 そうして、じつに和やかなムードができあがっていった。
 その一方、待っても待っても当初の目的には動きがない。1時間待っても何も進んでいる様子がない。さすがにしびれを切らし「時間がないから早くしてください」と急かしてみると、しばらくしてから、その上司男がこう言うのだ。

 「ユウキ、今日はハンコがないから、明日の朝もう一度来てくれるか?」

 え、なんだよ、それ・・・。もしかしていままでずっと、ハンコを探していたのだろうか。警察署にいてハンコがないってどういうことなんだ。まったくわけがわからなかった。

 いずれにしても、話はそれ以上進まなかった。
 結局、盗難届けをもらうことができないまま、ぼくらは警察をあとにせざるを得なかった。盗難届をもらったところで、きっと役立てようがなかったから、翌日来るつもりももうなかった。

 キルギスの警察については、いい評判は聞いたことがなかった。腐敗はすさまじいという。中国国境から車に乗せてくれたアリによれば、アリはウズベキ人だからということで警察になにかといちゃもんをつけられる。そしてそのたびにちょっと小銭を渡すと放してくれるというのである。そんな話が、ありえるなと思えるほど、まったく頼りにならなそうなことは見て取れた。

 ただぼくは、警察を出るとき少し気持ちが軽くなっていた。それは、気づくと自分たちがずいぶんとロシア語を話すことができていたからだ。文法も発音もめちゃくちゃで、しどろもどろだったことは間違いない。しかしながら、思っていた以上にロシア語でいいたいことが言えていたのだ。そのことが、大きな悔しさや怒りのなかに、小さな喜びを与えてくれた。ロシア語学校最後の日に、こんなすごい実践の場が訪れたことが何か不思議でもあった。

 「財布はもう仕方ない。早く忘れるしかないな」
 帰り道にはそう思えるようにはなっていた。
しかし悔しさは夜になると増してくる。その夜、ほとんど寝付くことができないまま、マルシュルトゥカを一緒に降りたふたりの男の姿ばかりが思い浮かんだ。

第88回遊牧夫婦

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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