遊牧夫婦

第89回 極寒地での厄介な折衝

2013.02.26更新

 クリスマスを迎えるころには、すでに学校が終わり、いつでもビシュケクを出られる状態になっていた。少なくとも年越し前にはビシュケクを出たいと思っていたため、明日には、明日には、と毎日思っていたのだけれど、日本から届くはずの郵便物が届かなかったり、寒さと雪のために交通事情が悪くなっていたりしたために、なかなか動くことができずにいた。

 しかし冬はどんどん厳しくなる。いくら待ってもバスなどの運行事情がよくなるようには思えなかった。だからもうバスはあきらめて、もともとは考えてなかった列車に乗って行くことにした。列車でまずカザフスタンのシムケントまで行って、そこから車かバスでウズベキスタンに入国してタシュケントへ、というルートがあったのだ。急きょカザフスタンのビザも取った。そしていよいよ、2008年の幕開けまであと3日となった12月29日、ビシュケクを出発することになった――。

 その朝、1カ月お世話になった宿の家族に別れを告げ、ぼくらはいつものように、マルシュルトゥカに乗り込んだ。まずは郵便局へ行く。荷物を受け取る最後のチャンスだった。「届いてないよ」。そう告げられると、もうあきらめるしかなかった。そして軽い食事をしたあとに、タクシーに乗って駅に向かった。

 すっかり雪が積もったビシュケクの町は、雪の白が統一感を生み出していた。寒さには慣れたとはいえ、こんなに雪が降り続ける極寒の年末は人生で初めてだった。

 「そういえば、私たちの覚えたロシア語、冬の言葉ばっかりやなあ・・・」

 モトコがそう言うとおり、雪、寒い、お湯、コート、と言った語彙はずいぶん豊富になった一方、暖かな季節に役立ちそうな単語はほとんど覚えていなかった。中国にいたときもそうだった。使う機会のない単語は覚えられない。たとえば、箸という中国語は知っていても、フォークは最後まで知らなかった。

 言葉は生活環境に本当に強く影響する。それは当たり前のことではあるが、こうして短期間で、実用性を重視して覚えた言葉は、極端にその傾向が露わになった。

 だからこそ、いつか改めてビシュケクで覚えたロシア語の語彙を振り返るときがあるとすれば、きっと自分は、ノートに書かれた単語たちとともに、この白い景色が思い浮かぶにちがいない。そう思いながら、ぼくはタクシーの窓から白いビシュケクの町並みを眺め続けた。

 ソ連時代に建てられたのだろう、硬く融通のきかなそうな駅舎に入る。列車は年季の入った緑色の車両で、ロシアで乗ったシベリア鉄道と同じ雰囲気だった。ひとりにつきベッドがひとつずつの寝台列車。

 ガタン――と音をさせてから、列車は、引っ張られるように、ゆっくりとゆっくりと出発した。

 ビシュケクを出た緑色の列車は、2時間ほどでキルギスとカザフスタンとの国境に着いた。
 まずはキルギス側で電車が止まり、国境職員が順番にパスポートを集めて回る。パスポートを渡したらあとは列車内で待っていればいいだけのはずだった。しかしなぜかぼくと何人かの男だけが国境職員に呼び出された。

 「こっちに来い」

 なんだろう、と若干緊張しつつその職員についていくと、車内から外に出るように促された。

 「うわ、さみッ!」

 温かい車内ですっかり薄着になったまま車両の外に踏み出すと、外は当然のことながら、マイナス15度ぐらいには下がってそうな極寒の世界だった。
 だが、美しい。上には雲ひとつない晴天が広がり、地面にはうっすらと雪が積っている。青と白のみのその澄んだ光景の中に、細い筆でさっと描いたような枝のみの冬の木々が、寂しく、控えめに、立っている。

 ぼくは、手に持ってきた薄手の上着をあわてて着て、突き刺すような空気を気休め程度に遮った。そして職員の後ろについて線路脇の出国審査場らしき建物のなかに入っていった。「待ってろ」。そういわれて、そのまま30分ぐらい待たされた。

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キルギス・カザフスタンの国境で列車の外に連れ出された男たちと。猛烈に寒いのに、彼らは薄着のまま、全く寒がる様子もなくたばこを楽しんでいた。

 ようやく順番が回ってきて部屋に入ると、少し位が高そうな雰囲気の職員がニヤニヤしながらこんなことを言ってくる。

 「ヤポニツだな? カミカゼ、サムライ、だろ!」

 反応のしようのないどうでもいいことを言ってくるので、適当に笑っておく。
 ぼくのパスポートは開いたままで机の上においてある。出国のスタンプを押そうという気配はなく、何かを待っている様子だった。どういう展開だよ、これは・・・、と考えているとき、そういえば、と思い出す。一緒に車両の外に連れ出されたマフィアのボス風のゴツいおじさんが、こう言ったのだ。「金を取られるぞ」。

 そういうことか。おそらくこのとき、職員は、ぼくが賄賂を払うのを待っていたに違いなかった。「スタンプがほしければ金を出せよ」。顔がそう語っていた。

 冗談じゃない。なんでこの男に金を渡さなきゃならないんだ。どうなってんだ、この国境は。と、だんだんと頭にきたが何もできない。機嫌を損ねさせたら本当にむちゃくちゃなことを言われかねない。そういえばビシュケクの町でも、宿が同じだった日本人旅行者が、町で突然警察に言いがかりをつけられて、結構な額の金を巻き上げられたとも言っていた。
 もうここはひたすら「ロシア語はわからない」で通し続けることにした。

 「ヤ・ニ・パニマユ」(言っていることがわかりません)

 と繰り返し、なぜスタンプを押してくれないんですか? と心底思っているような顔を続けた。すると男はあきらめた。こいつにはいくらいっても無駄だと思ったのだろう、やれやれ、仕方ない、といった顔でスタンプを押した。そしてぼくを追っ払うように「ほら、出て行け」とあごをしゃくった。ぼくはひったくるようにパスポートを取って無言で部屋をあとにした。

 まったく、ひどいな・・・。最後の最後まで、キルギスの役人は腐ってるという印象は変わらなかった。最初にアリ(中国の国境から車に乗せてくれた人)がそう言っていたことやスリにあったときのことを思い出す。国を出る最後の瞬間まで、見事にそのイメージは裏切られなかった。

 ただそれでも、キルギスという国自体の印象が悪かったかといえばそんなことはない。車内に戻り、「なんか金を取られそうになったよ」とモトコに伝え、再び、ガタンッ、ギギギッといって列車が動き出そうとするときには、またいつかキルギスに戻ってきたい、という気持ちが湧き出るのを感じていた。それだけ、ビシュケクでの生活に慣れてきていたということだったのかもしれない。

 緩衝地帯であるノーマンズランドをしばらく進むとカザフスタンへと入る。こちらでの入国審査は、何事もなく終了した。電車は再び動き出す。身体がぐいっと後ろに引っ張られ、外の風景が動き出す。夕方の、すでに暗くなりかけた白い雪景色に変化はない。ここで国が変わることの不思議さを思いつつ、そろそろユーラシア大陸の中心あたりにいるのだろうか、と想像した。

 「お、ヤポニツか?」

 そんなときに、近くで大騒ぎしていた7、8人の家族らしき集団がぼくらに話しかけてきた。小さな子どもからおじいさんまでが、賑やかに食べ飲み、ガハガハと笑う。
 声がやたらと三宅祐司に似たつぶれ方をした35歳だという男が、酔っ払った様子でこう言った。

 「おれらはモルドヴァからきたんだ。これからカザフスタンのタラズに行って、そこで生活を始めるんだ。何か物でも売ろうと思ってるよ」

 モルドヴァの位置が正確にはわからなかったが、あとで調べるとルーマニアとウクライナの間あたりにある小国だった。聞けば彼らは、ジプシーの一家らしかった。
 ジプシーとは、ヨーロッパを中心に移動型の生活をする人たちの総称だ(「ロマ」という呼び方の方が一般的に「正しい」とされる)。彼によれば、自分たちのようなジプシーはルーマニアに400万人いるという。「それが近隣の国に散らばっていろんなところに住むようになったんだ。おれたちも国籍はモルドヴァだけど、もとはルーマニアから来たんだ」。

 おじいさん、おばあさん、そして小さな子どもも、みなで一緒にタラズに向かっている。まったくの知らない土地でこれから彼ら大家族は、一から生活を始めるのだ。そうやって場所を変えながらずっと生きてきたのである。13歳の少女がいて、モトコが話しかけると、にっこり笑ってゆっくりとロシア語で話してくれた。「もう10年間こうして暮らしているの」。芯の強そうな、きれいな女の子だった。

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列車内のジプシーの家族。雰囲気も生き様もたくましい。

 彼らの暮らしぶりを想像して、いまの自分たちとわずかに重なるものがあった。もちろん、自分らは常に日本とつながっているし、ぼくは日本から仕事を得て生活をしているという点で、彼らとは状況がまったく違う。帰る場所もあるし、何かのときには頼れる家族が日本にいる。ただ、だんだんといまの生活が終わりに向かっているような気がしていたため、こうしていつも知らない土地で常に新たな生き方を見つけている家族の存在は、どこか勇気づけられるものがあった。

 そんな彼らと話していると、あるときふと、列車の職員らしきカザフスタン人が静かに声をかけてきた。ぼくを呼んで、こう言うのだ。

 「彼らを誰だか知ってるのか? 荷物気をつけろよ」

 その言葉に、ジプシーの人々が置かれた立場をよく表していた。
 しばらくすると、その家族のなかの、でっぷりと太ったおじいさんがぼくらの隣に腰を下ろし、熱心にロシア語の指導を始めた。動詞の使い方の細かな違いを教えてもらっていると、どんどん熱が入ってくる。これも覚えておけ、あれも書き留めておけ・・・。そして金の話になると「"ドル"は"ドーラルゥ"だ・・・、いや違う"ドーラルゥ"!」「"ユーロ"は"イエヴロ"だ・・・、"イエブロ"じゃない、"イエ「ヴ」ロ"だ!」とさらに声に力が入った。

 ひと段落して「スパシーバ!(ありがとう!)あなたはいい先生だ」とぼくらが言うと、彼は大きなお腹をさすりながら照れ笑いを見せるのだった。

 そうしているうちに列車はタラズに到着した。

 「元気でな!」

 笑顔で、賑やかにそう言いながら彼らはみなで降りていく。これからここで生活を始めるのか。まずはどうやって基盤をつくるのだろう。そんなことをいろいろと想像しながら、ぼくは家族に別れを告げた。

 車内は急に静かになった。すでに夜12時前だった。「寝よう」。そう言って、ぼくもモトコも自分の寝台に横になった。長距離の移動をすると、ただ乗っているだけで身体が疲れる。ぼくはすぐに眠りについた。
 しかしそれからほどなくして、急に身体を揺さぶられた。

 「シムケント! あと20分でつくぞ! 準備を!」

 職員が親切にも起こしに来てくれたのだ。まだ午前2時50分である。
 「着くの6時半じゃなかったっけ?」と思いながら、しぶしぶ起きて準備をすると、3時20分にはシムケントに到着した。
 そしてぼくらは、押し出されるようにホームに降り、真っ暗で極寒の駅のホームに降り立った。

 「ああ、もうちょっと寝てたかった。しかし、寒すぎる・・・。どうする、どっかで夜明けを待って車を探そうか?」

 目的地であるウズベキスタンのタシュケントまで、ここから乗り合いタクシーなどで2時間ほどだと聞いていた。しかし、こんな時間に車を探すのは大変だ。だからとりあえず、明るくなるまで待とうと思った。とはいえ、駅構内は屋外で寒いし、どこかの店が開いてるとも思えない。どうしようか。そう考えていると、ひとりの男が、暗闇のなかから声を張り上げながらやってくる。

 「タシュケント! タシュケント!」

 列車の到着にあわせて、乗り合いタクシーが待っていたのだ。いま乗せてもらえるのであれば、もちろん乗ってしまいたかった。

 「タシュケントの中心まで行く。一人25ドルでどうだ?」

 吹っかけていることがわかったので、「高いよ」というと、すぐに15ドルまで値が下がった。もともと15ドルぐらいだと聞いていたので、「よし、わかった」と乗ることにした。その後、「やはり二人で35ドルにしてくれないか?」と値上げされたが、深夜であることや、自分たちの眠気や疲れなどを考えて、まあ、仕方ないと手を打った。

 同じ車にキルギス人のカップルも乗っていくというので、念のため、彼らが言われた金額を聞いてみると、「2人で3000テンゲ」だという。

 テンゲは、カザフスタンの通貨だ。彼らのほうがぼくらの額より安いらしいことはわかったけれど、ドルとテンゲの適正なレートもわからなかったので、まあ、いいかと納得した。ただ念のために、先の客引き男に、ぼくらがテンゲで払ったらいくらになるかを聞いてみると彼は、こう言った。

 「35ドルか3500テンゲだ」

 出発直前になると先の客引きは「こいつが運転するから」と言い、別の男がドライバーとして乗りこんだ。荷物を積み込んで、ぼくら4人も乗り込んで、車はスムーズに出発した。真っ暗な中、ただヘッドライトだけを頼りに、南にあるはずのウズベキスタンとの国境に向かって走り出した。

 「そういえば、レートはいくらなんだろう」

 思い出して考えてみると、35ドルは4000テンゲぐらいなはずだった。じゃあ、3500テンゲ払った方が得だなと思い、カザフスタンとウズベキスタンの国境あたりで、ドルをテンゲに両替してから払おうと考えた。

 外の風景は何も見えないままだったが、車は順調に飛ばしていた。猛烈な眠気に襲われ、寝たり起きたりを繰り返した。初めての国で、外が真っ暗でまったくどんな場所を走っているのかわからないというのはあまり気持ちのいいものではないけれど、2時間ほどで何ごともなくカザフスタン・ウズベキスタンの国境に到着した。

 「おい、着いたぞ」

 ドライバーは両替屋の前で車を停め、「必要ならここで両替をしろ」と促した。外に降りると、国境らしく、大きなトラックが列をなしてエンジン音を響かせている。道の両端には、いくつもの小さな店が並び、まだ未明ながらもそれぞれ電気をつけ、客が来るのを待っていた。

 「もう、この向こうはウズベキスタンか」

 カザフスタンは、真っ暗闇の中で2時間車に乗っただけで終わってしまった。なんとももったいない気もした。何もタシュケントに一気に行くことはなかったのかもしれないな、とも思いつつ、でもゆっくりカザフスタンを見て回ろう、という気力がないことも改めて確認した。

 米ドルと、余ったキルギスの通貨ソムを、タクシー代の3500テンゲとなるように両替した。そしてあまりの寒さに急いで車に戻り、ドアを閉めて身体を温めた。さあ、行こう。ただ、国境がまだ開いてなさそうなのでどうするのかと思っていると、ドライバーはこう言った。

 「おれの車はカザフスタンナンバーだから国境は越えられない。だから、ここで終わりだ」

 唖然とした。何言ってんだ。「タシュケント!」って言ってたじゃないか――。国境の手前までだったら乗り合いバスで5ドルぐらいで来ることができるはずだった。国境を越えてタシュケントまで行ってくれるからこっちの車を選んだんじゃないか。

 ただ、キルギス人カップルに詳しく聞いてもらったところ、もうどうしようもなさそうだという。確信犯で騙していたんだろうけれど、確かにカザフナンバーのまま国境を越えられなそうなのは想像できた。やられたな、と思い、もう降りるしかないか、と金を渡すことにした。全額渡すのも癪だが、交渉するのも面倒だった。

 「3500テンゲだよ」

 これを渡して、すんなりと終わるはずだった。しかし、そうは行かなかった。なんとドライバーは、こう言ったのだ。

 「そんなんじゃ足りない。5000テンゲ払え」

 え、なんだって? 国境を越えられない上に、何を言ってんだこの運転手は。
 やっかいな展開になりそうな空気を感じた。そして、やっぱりそうか、と思い出した。値段交渉をしたのとは違う男が運転することを知ったとき、ちょっといやな予感がしていたのだ。ただぼくらの値段交渉を、同乗のキルギス人カップルも聞いていたはずだから大丈夫だろうと思っていた。しかし、不安は的中した。

 もうこうなるとぼくらのロシア語はまったく役に立ってはくれなかった。英語も解するこのキルギス人カップルに通訳をお願いする。彼らは、ぼくらが「35ドルか3500テンゲ」と言われるのをはっきりと聞いていたので、ドライバーに対してかなり強くぼくらの主張を伝えてくれた。しかし、ドライバーはまったく強気を崩さずに突っぱねる。

 「そんなのおれは知らねえよ、5000テンゲ払わないとだめだ」

 激しい口論は1時間ほど続いた。国境はまだ開かないし、極寒の外に出るわけにもいかず、キルギス人カップルも外に出ずに付き合ってくれた。しかしドライバーはまったく譲らない。そして怒りのボルテージが最大になったとき、ぼくは思わず日本語で凄んだ。

 「おい、てめー、ふざけてんじゃねーぞ!」

 眉間にしわを寄せて、ドライバーに顔を近づけ、殴りかからんばかりの剣幕をつくり、ぼくはそう言ってみた。しかしドライバーは、まったくビビってくれる様子がなかった。その上キルギス人カップルも、「あんた、何語使ってんだよ、通じないよ、そりゃ」という呆れた視線を送ってくる。モトコは、ヤンキー顔をつくったぼくを冷静に観察している。

 と、その状況を理解したとき、自分のやっていることが急に間抜けに思えてきた。そして若干恥ずかしくなり、一気に力が抜けてしまった。

 「もう払わないで降りよう」。モトコとそう話し、勝手に車を降りようとした。すると、今度は逆に、ドライバーが凄む番だった。

 「おい、待て! ここはおれの街だ。外には仲間がいる。そいつらを呼ぶぞ」

 きっとそんなことをいったのだろうことが、なんとなく見て取れた。
 外を見ると、暗闇のなかで多くの目がこちらを見ているような気がしてくる。金を払わずに出ようものなら本当にやられちまうかもしれないと思った。入国してまだ数時間、そしてまだ真っ暗な状況で、ドライバーの脅し文句のようなその言葉は、激しくリアリティがあった。まったく腰抜けに違いなかったが、こちらが折れた。4500テンゲまでは下がったものの、惨めな騙され方をして金を取られる自分が本当に悔しく情けなかった。

 「この野郎!」

 そう言って、投げつけるように金を払い、車を降りた。

 怒りは覚めやらない。しかし外に出てみると、今度は凄まじい寒さが襲ってきた。おそらくマイナス20度ぐらいには下がっているだろう。すぐに室内に入りたかったが、国境が開くのは8時だという。

遊牧夫婦 第89回 極寒地での厄介な折衝

カザフスタン・ウズベキスタンの国境で。恐喝ぼったくりタクシーを降りたあとの、怒りの暗闇ショット。いい思い出は皆無。

 「うわ、まだ7時半だよ!」

 列に並び、身体を動かしながら開門を待った。
 しかし、国境が開いたあとも、建物のなかなどに入ることはできなかった。なんとすべての手続きが外で行われることを知り愕然とした。出国と入国で計1時間ほど、ぼくらは手足を半ば凍りつかせながら順番を待ちつつ少しずつ前進した。ウスベキスタンの入国審査の用紙は手が麻痺してまともに文字を書くことができなかった。一方で職員たちは、暖房の聞いた部屋からさっと手だけを出して書類を受け取り、ちんたらとマイペースで処理していく。こちらの寒さなど気にしている様子はまったくなかった。

 「すごい役人天国の世界だな」

 ぼったくりタクシーに遭うだけで終わったカザフスタンと同様、ウズベキスタンもまたやっかいな国なのかもしれない。そう思いながら、なんとかウズベキスタンに入国した。







遊牧夫婦 第89回 極寒地での厄介な折衝

キルギスのビシュケク(Bishkek)からカザフスタンのシムケント(Shymkent)までは列車。シムケントから車で国境まで行き、ウズベキスタンへと国境を越える。そしてタシュケント(Tashkent)へ。


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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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