遊牧夫婦

第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

2013.03.12更新

 ウズベキスタンは、あまりの寒さでほとんど何もできなかった。その寒さがピークを迎えた町ヒヴァから、トルクメニスタンとの国境まではバスで2時間ほどだった。

 国境は、果てしなく広がる雪の大地の上にあった。見渡す限り真っ白な風景のなかに道が一本まっすぐにトルクメニスタンに続いている。その直線状に、まずウズベキスタン側の出入国審査場があり、その先に両国の間の緩衝地帯の始まりを示す3本の塔、そのさらに向こうにトルクメニスタン側の出入国審査場。その流れはどの国境とも変わらない。

遊牧夫婦第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

国境のウズベキスタン側。中央に見える3本の塔の向こうから 確か緩衝地帯が始まったはず

 黒や茶色の分厚いコートを着た人々が数十人の人々が、次々にトルクメニスタン側へと歩いていく。そのなかにぼくらも入って、国境へと近づいていった

 「なんか、へんなこと言われなきゃいいけど・・・」

 真っ白な雪道を、バックパックを背負って一歩一歩踏みしめながら、ぼくもモトコも少し身構えていた。トルクメニスタンの入国審査で何か面倒なことにならなきゃいいけど、と。というのも、トルクメニスタンは、「中央アジアの北朝鮮」というおそらくあまりうれしくない呼び名まであるほどの独裁国家なのだ。

 ぼくらはその洗礼をすでにウズベキスタンで受けていた。タシュケントでトルクメニスタンのビザを取得したときである。ひどい大使館だと聞いてはいたが、その理不尽さは予想以上のものだった。

 そもそもトルクメニスタンでは、自由に動けるビザは5日間のトランジットビザしかない。もっと長く滞在したい場合は、ガイドと称する監視人が一緒に行動することになるのである。だからもちろん、ぼくらが取得したのトランジットビザだ。
 
 1月3日にタシュケントで申請した。出来上がるまで一週間ほどかかるため、その間にぼくらはフェルガナ方面へといっていた。そしてタシュケントに帰ってきて、大使館にビザを受け取りにいったときのこと――。

 受取日に向こうが指定した10日午後5時に大使館に行くと、ガードマンがこう言った。

 「今日は領事が働いていないから明日また来てくれ」

 おい、何言ってんだ。

 「いないってどういうこと? 今日来いって言われたんだ」
 「おれにはわからない。でも、とにかく領事はいないからまた明日来てくれ」

 少し食い下がったが、本当にいないらしい。ビザ発行は完全に領事ひとりの判断にゆだねられているようで、彼がいないと何も進まない。マイナス10度か15度ほどのなか、宿から結構な距離を歩いて大使館まで行ったのだが、領事の勝手な都合に振り回され、タシュケント滞在を一日延ばさざるを得なくなった。

 だいたいこの領事は、申請に行ったときも、申請者が何人も極寒の外で待ってるのに、窓口の向こうのあったかそうな室内で友人らしき相手と電話で談笑しながらタラタラと仕事をする、そんな男だ。

 チクショーと思いながら、翌日の午後5時に、寒さに耐えて大使館まで歩いていくと、ガードマンがまたこう言うのだ。

 「月曜日だ。今日も領事はいない」

 これにはさすがに二人とも頭にきた。「何言ってんだ!」とボルテージを上げてぼくは突っかかった。しかし、いないものはいない、という昨日と同じ展開になる。ガードマンに当たっても仕方がないのかもしれないとは思いつつ、このままでは帰れない。クソッ、どうすればいいんだ・・・と考えていると、同じくビザ待ちで大使館前にいた英語を話せるウズベキスタン人が、ガードマンにぼくらの怒りを伝えてくれた。するとガードマンはこう言った。

 「もしかしたらこのあと領事が来るかもしれないからちょっと待ってみてもいいかもしれない。おれにもわからない」

 寒さは猛烈だったが、待つしかない。そして15分ぐらいたったときのこと。ついに、くだんの領事が現れた!

 ビザ待ちの人たち(ぼくら以外はおそらくみなウズベキ人)がにわかに盛り上がる。みな、陳情者か、または大物を待ち続けたマスコミの記者かのように、何やら言いながら彼に近づいた。しかし領事は、さっと大使館の中に逃げ込み、代わりにガードマンが寄ってきてこう告げた。

 「彼は来たけど、今日はもう働かないらしい。だからやはり月曜だ」

 英語を話せる人の通訳を介して、ガードマンのその言葉を聞いたとき、ぼくは心底あきれ返った。「おい、マジでふざけてんじゃねーぞ。出てこい!」という剣幕でしつこく抗議しつづけた。するとついに領事は、ふてぶてしそうな顔つきで、門から外まで出てきたのだ。

 しかし彼は依然として悪びれることもなくこう言った。

 「月曜にこい、今日は他の仕事があるから」

 なんてマイペースな男なんだ・・・。あきれながら、ぼくは、自分たちが本当に今日ビザをもらわないといけない事情を彼に告げた。

 「(トルクメニスタンのあとに入る)イランのビザの有効期限があって、今日どうしてももらわないといけないんだ!あんたが昨日来いっていったんだろう!(「今日」じゃなくて、「昨日」である)」 

 怒りを露にしてそう話すと、さすがに彼も仕方ないなという顔になった。しかし彼は、本当に嫌な奴なのだろう、そのあとにはこんなセリフを吐くのである。

 「わかった、じゃ、外で待てるんだったら待ってろ。1時間以内にはやってやるから。でも風邪引くぞ。帰って月曜にきた方が身体のためだぞ」

 行く前からトルクメニスタンの印象は最悪になった。5日間のトランジットビザをもらえたとしても、3日ぐらいでさっと通過するだけでいいやという気にさえなってしまった。この国がこの場所になかったら絶対こうまでして行こうとは思わないだろう。しかしイラン行くためには、どうしても通過しなければならなかったのだ。

 それから1時間ほど、極寒のなかで体の随所を動かしながら待ち続けた。身体の芯まで凍りついたが、なんとかビザを手にすることはできた。ふざけた領事の気まぐれにただ付き合わされるという不毛感いっぱいの作業だった。

 ・・・そんな経験があったから、今度は入国審査の際にまた何やらグダグダと言われるのではないかと思ったのだ。

 ところが、入国審査は驚くほどスムーズに進んだ。余計なことは何も言われず、さっと入国のスタンプを押してくれた。

 ほっとしながら、ぼくらはただ延々と続くトルクメニスタンの白い大地に踏み入れた。雰囲気は何も変わらない。国境から車に乗ってダショガスという町まで行き、そこから一気に、国を北から南まで縦断するように国の南端にある首都アシュガバットまで移動した。

 国の大部分を覆い尽くすカラコム砂漠のなかをひたすら南進して8時間ほど。周りは延々と真っ白な銀世界。砂漠なのに雪が積もるというのはどういうことなのだろう、と思いつつ、ただ車の右手正面に日が沈んでいくのを眺めていた。すでに真っ暗になったあと、砂漠にポツリとあるユルト(テント)の店で食事を取った。土壁の店内で食事が出てくるのを待ちながら、ぼくは外に出てみた。すると、夜なのに関わらず寒さがそれほどでもないことを実感した。南下しているからなのか。それともいよいよ春が近づいているということなのだろうか。

 いずれにしても、ついに寒さのピークを過ぎたんだ、と思えてうれしくなった。マイナス20度の世界はこの砂漠を境に終了しようとしていた。

遊牧夫婦第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

雪が積もった砂漠のなかを、ひたすら8時間、アシュガバットへ南下する

 アシュガバットの町に着いたのは、夜中12時ごろだった。
 道はきれいに舗装され、等間隔に配置された街灯の光が、ただ静かに光っている。その光に照らされたピカピカのきれいな建物が林立していた。

 「なんかすごいきれいな町だなあ・・・」

 中国でもこんな町を見たような気がする。社会主義的というのだろうか、きれいではあるけれど、不自然な作り物感と、文化も歴史も感じないにわか作りの安っぽさに満ちていた。

 ひと気はないが、よく見ると各所にゴツい服装で銃を持った警察官だか軍人だかが至るところに立っている。その人影を見て思い出した。そうだ、アシュガバットは、「夜11時以降外出禁止令」が出ているのだ。車に乗っている分には問題ないようだが、この時間に外を歩いているのを警察に見つかれば逮捕されることもあるらしい。「こんなところで捕まったら何されるかわかんないな。こええなあ・・・」と言いながら、街灯の光に照らされた警察の男たちの姿を、サファリパークでライオンを眺めるかのような気分でぼくは見ていた。かなり恐ろしい独裁国家を想像させる風景だった。

 ホテル探しに苦戦し、最後にはそのために乗り合いタクシーのドライバーとやはり口論になり、またこの展開かとウンザリする。しかも着いたホテルは値段が高いわりにクオリティがひどい(便座はないし、シャワーも見るからに入りたくない代物だった)。しかしもちろん、それ以上ふらふらと宿探しをするわけにも行かなかった。とりあえず一泊だけそこに泊まることにした。

 翌日、明るいなかで街を見ると、夜ほどではなかったものの、アシュガバットはまったく想像していなかったほどきれいに整備された街だった。ただ、それ以上に驚かされるのは、大統領の大きな肖像写真が、あらゆるところに貼ってあることだ。「中央アジアの北朝鮮」という称号を得ただけはある。金正日に負けてない独裁者ぶりがうかがえるのだった。

 町の中心部に行くと、太陽の方を向き続けるようにゆっくりと回転する初代大統領ニヤゾフの像がある。ニヤゾフこそがこの独裁国家の生みの親だが、彼はすでに亡くなっている。しかしその影響力がまだ小さくないことはこの像を見るとよくわかる。

 本屋に行くと、そのニヤゾフが書いた著作「ルーフナーマ(RUHNAMA)」が壁一面に並べられている。というか、よく見ると、店内の壁のほとんどが、黄緑色の表紙のその本で満たされているし、その他の本も、ニヤゾフが表紙を飾っている。しかも「ルーフナーマ」にはいろんな言語のものがあり、日本語バージョンもあるではないか。『魂の書』と日本語で書いてあり、その徹底の仕方に驚かされた。

遊牧夫婦第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

アシュガバットの本屋さん。「ルーフナーマ」の圧倒的な存在感。 というかほとんどそれしかない

 やれやれ、これはすごいな・・・。大ベストセラーになったらしいのも納得だ。何しろ、ほとんどそれしか本がないのだから。

 しかしそれでも、この国に住んでいる人は、なんらぼくらと変わりのない一般市民のはずである。一泊したホテルを出て、2日目に、民家を宿にしている家族の家へ移動すると、やっとこの国の暖かな家庭世界をかいまみることができた。大家族の住む家の一画に外国人を泊めていて、朝でも昼でも晩でも夕方でも、メシやらお茶やらが次々に出てくる。「さあ、お食べお食べ」と言ってくれて、それもすべて合わせて一人5ドルというとてもお手ごろな宿だった。

 シャワーのお湯も十分出るし、居心地はとてもよかった。家族もみな感じがいい。赤い絨毯の大きな部屋にマットを敷いてその周りにみなで座ってご飯を食べた。煮込み麺のようなものや、ピラフやパン。それをみんなで食べながら、言葉はあまり通じなくとも、なんとなく笑いあいながら家族と一緒に過ごさせてもらった。

遊牧夫婦第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

民家の宿。家族はアゼルバイジャン人だった

 トルクメニスタン滞在はほとんど、その家族と戯れ、食事を一緒に食べただけで終わっていった。アシュガバットに2泊したあと、行きたかった田舎の村に一泊で行くため、朝7時すぎにその家を出て一泊分の荷物だけ持って出発したが、あるはずのバスがバスターミナルには見当たらない。ほんとにそんなバスはないようだった。しかも朝の強烈な寒さにやられ、気持ちも萎え、地元カフェに逃げ込んだ。

 日本の昔ながらの喫茶店という雰囲気のそのカフェで、朝飯を食べながら暖まった。

 「どうしようか」

 そう考えていると、思わぬところで罵声を浴びた。
 コーヒーを追加したにも関わらず、カフェのおかみがやたらと不機嫌そうこっちを見る。「食い終わったら出ていきなよ! ダラダラしてんじゃないよ!」

 そのようなことを言ってきたのだ。それを見た隣の席のオジさんが、「あのオバハンは頭おかしいんだから、ほっとけ、ほっとけ」とぼくらに笑いかけてくる。

 そのおじさんに、はははと愛想笑いを返しながら、「もうトルクメニスタンはいいかな」という気持ちになった。なんだかすっきりした気分になった。きっともう出た方がいいと言うことなのかもしれない。そして、ぼくもモトコも心が決まった
もう今日一気にイランに行ってしまおう――。

 アシュガバットからイランの国境まではすぐだった。
 同じ宿に泊まっていた日本人旅行者の市川さんもちょうどその日イランに行くようだったので、彼と3人でタクシーをシェアしてイランへ向けて出発した。

 アシュガバットから国境までは20キロほど。キンキラの独裁都市アシュガバットから、南に見える雪山のなかへと車は飛ばしていく。すると一気に風景は変わる。晴れわたった真っ青な空に下には、無国籍な雰囲気の真っ白な雪山が迫ってきた。

 「まるでスキー場みたいだな・・・」

 ぼくは思った。でも、あの山の向こうには、まったく異なる世界が広がっているのだ。
イランはもう、目の前だった。

遊牧夫婦第91回 理不尽な大使館と、不思議な首都

アシュガバット(Ashgabat)へ一路南下!

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

バックナンバー