遊牧夫婦

第92回 古から続くエマーム・レザー廟の熱気

2013.03.19更新

 「ここが国境だ」

 タクシーの運転手に言われて降りると、少し先に入り口ゲートのようなものがある。ここが国境のトルクメニスタン側なのだろう。山の麓といった雰囲気の閑散とした場所で、そこを通ってなかに入ると乗り合いバンが待っていた。一人10ドル払って乗り込むと、車は一気にイランに向かって走り出した。

 空は雲ひとつない快晴だ。目の前に雪山が広がり、晴れたスキー場にいるかのような風景だった。2、30キロほどだろうか。山の合間を抜けるように車は走った。そして降りたところは、トルクメニスタン側の出入国審査場の前だった。

 ぼくはこのころある雑誌に、国境をテーマにした連載をしていた。国境とは、本来は存在しないきわめて人為的な境界線だ。その線ができたことによって、こんなにもその両側の世界が変わることの面白さを、国境を越えるたびに感じてきた。連載を思いついたのは中国から国境を越えて北朝鮮に片足を踏み入れたときのこと。北朝鮮から一時的に出られなくなった状態で川の向こう岸の中国を望み、目の前に見えるのにとてつもなく遠く感じたあの瞬間に、国境の恐ろしさを感じるとともに、魅せられた。そして、この連載があればユーラシア大陸横断中ずっとネタが尽きないはずだと思い提案したら、企画が通った。いくつか国境を越えるたびに、まとめて一つの記事にしてそれなりの原稿料を振り込んでもらう。それがぼくにとってユーラシア横断の大切な資金源になっていた。

 だから、いつも国境の様子はなんとか写真に収める必要があった。撮影禁止、という空気がありありと感じられる場合もあるが、それでもいつも、機会をうかがってカメラを出した。

 トルクメニスタンの出国審査が終わって建物を出てしばらく歩くと、ここからがイラン、というゲートがあった。そのゲートの前で振り向いてトルクメニスタン側を向くと、その建物にはやはり、アシュガバットの町で見かけたベルディムハメドフ大統領の大きな肖像画が掲げられている。濃い眉毛と、しっかりと撫でつけられた黒い髪。

 「最後の最後までこの顔だったな」

 そう思いつつ、さっとカメラを取り出して、目立たないように身体の前にくっつけてその顔に向けて何回か適当にシャッターを押した。そしてイラン側へとゲートをくぐると、すぐに「アザーン」が聞こえてきた。イスラム教の礼拝の時刻を告げる呼び声だ。青空のもとに響くそのアザーンは、ここから真のイスラム世界が始まるのだ、と宣言しているかのようだった。

 「いよいよイランだなあ。カメラが見つかったら、ほんとにやばそうだ・・・」

 盛り上がると同時に隠し撮りする勇気もなくなり、ぼくはカメラをバッグにしまって、イランの大地へと足を踏み入れた。ここから先には、トルクメニスタンの大統領の肖像画はもちろんない。だがその代わりに、初代のイラン最高指導者ホメイニ師の肖像画がやはり大きく飾ってあった。文字はすべてアラビア語。再び数字も文字もまったく読めない世界が始まった。そしてモトコは、「こんな感じでいいかな?」と言いながら、用意していたスカーフを頭に巻く。イランでは、外国人でも旅行者でも、女性はみな一様に、頭を布で覆わなければならないからだ。

 税関の荷物チェックもない適当な入国審査を終えると、外にいた車に、簡単に交渉してから乗り込んだ。目指していたのはマシュハドという聖地の町。アシュガバットから一緒だった市川さんと3人で33ドルということで話が決まる。

 山を南側へと下っていくと、だんだんと雪も減り、ちらほらと小さな集落のようなものが見えてくる。人の姿が見えたときにまず目に留まったのは、全身をすっぽりと漆黒の布に包んだ女性たちだった。髪の毛も、身体のシルエットも見えないように大きな布を被り、手と顔だけを出した彼女たちが、井戸端会議を開いている。道路沿いには山と同じ土色の壁の家が並び、子どもたちがぼくらの車を眺めている。

 ソ連時代の名残が漂う近代的なアシュガバットの町から、急にアジアらしい風景となった。中央アジアが終わったことがここで急にクリアに理解できた。

 目指していたマシュハドまでは4時間ほどで着くとのことだった。が、途中の小さな町で車は突然、広場のような場所に止まった。

 「どうしたんだ?」

 ぼくが聞くと、ドライバーが振り向いてこう言った。

 「おれはここまでだ。この先はおれのブラザーの車で行ってくれ。おれには3分の2の金を払ってくれ」

 交渉時には何も聞いていなかったいやな予感がする提案だった。

 「そんなこと言ってなかったじゃないか。あんたがマシュハドまで行ってくれよ」

 そう言ってみるが、彼はすかさずこう答える。

 「大丈夫だ、ブラザーにちゃんと話してある」

 そして、「ブラザー」なる男を紹介された。ぼくはその男に念を押す。「マシュハドまでぜんぶで33ドル。ここからは残りの11ドルしか払わないからな。それでいいか?」
「わかってる。大丈夫だ」とブラザー。本当に大丈夫なんだろうか・・・と、モトコと市川さんと話しながらも、仕方なく乗り換えて出発した。

 雪が残る大地に延びる道をひたすら南に走っていく。そしてだいぶ陽も落ち始めたころ、周囲はだんだんと町らしくなり、間もなくマシュハドに着くだろうことが見て取れた。

 しかし、いやな予感が的中した。これから繁華街が始まろうという雰囲気の、中心部から少し離れた周辺地帯で車は止まった。そしてブラザーがこう言うのだ。

 「マシュハドに着いたぞ。ここから先、街中は別料金だ」

 ホテルのあるあたりまで行きたいのならあと10ドルだ、と。案の定だ。こんなことだろうと思っていただけに、やたらとむかついて、「ふざけんな!」と声を荒げた。そしてモメ始めると、周りにいた人たちも集まってくる。

 「どうしたんだ、どうしたんだ?」

 英語がわかる数人も交えて10人近くでもめにもめた。しかしこうなるともう、自分たちが不利なのは明らかだった。「ああ、またこの展開だよ・・・」

 最近は乗り合いタクシーの乗るたびにこういうことになっている気がする。それもあって、できるだけ路線バスなどに乗りたかった。しかし寒さと雪のためだろう、この時期は走っていないというバスが多く、交渉して車に乗るしか手段がないことが続いたのが辛かった。

 クソッ! と悪態をつきながら、最低限の金を払って車を降りた。そして別の車を探すと、今度は打って変わって人のいいおじいさんの車が見つかった。「イランも、もちろん悪い人ばかりじゃないはずだよな」。そう思えて安心した。
 それに乗って、ぼくらはマシュハドの街中へと入っていった。

 すでに日は暮れ、暗くなった街なかはオレンジ色の街頭で照らし出されている。そのなかを、とりあえず泊まれる宿を探して歩き回った。まだ人通りは多く町は賑やかだった。

 「でもその割になんか真っ暗な印象やなあ。どうしてやろう」

 モトコがいう。確かに、街が深い闇に包まれているような印象があった。車通りも多く、クラクションも鳴り響き、アジアらしい活気はある。だからすぐにはわからなかったが、歩いているうちに気が付いた。

 「そうか、これは服装のせいだな」

 それはおそらく、女性たちがみな、「チャドル」と呼ばれる真っ黒な布で全身を覆っているからなのだ。暗く見える遠い場所にも、よく見るとチャドル姿の女性たちの姿がある。男たちも心なしか黒っぽい服装の人が多いように見える。ここでは、人の姿がむしろ闇を作り出しているようだった。

 チャドル姿の女性で溢れる風景は初めてだった。これまでとはまったくの別世界の空気感があった。イランに来たんだ。ぼくは目の前の闇の深さにゾクッとしながら、そう実感した。

第92回 古から続くエマーム・レザー廟の熱気

マシュハドにて。チャドル姿の女性たちが町に闇を作り出す

 なんとか適当な宿が見つかり、その後食事をするために町を歩いていると、モトコが言った。

 「なんか、めちゃくちゃ男の人に見られてる気がするんやけど・・・」

 そう思ってみてみると、確かにモトコはやたらと男たちの視線を集めていた。通り過ぎる男たちが、ニヤッとしながら彼女に目線をやって通り過ぎる。外国人だからということはあっただろう。しかしそれ以上のものをモトコは感じたようだった。そして気が付いた。

 「あ、もしかしたら、股の辺りのシルエットが見えてる人って私だけかも」

 チャドルを着てない女性はいるものの、そういう人たちもみな、股の辺りまでは隠れるような大きな服を上に着ている。腰から股にかけて、ジーンズの下にシルエットがそのまま見えているのは、どうもモトコだけのようなのだ。

 「もしかしてこれじゃ下着姿で歩いているように思われるのかもしれない!」

 そうして翌日からは、下半身のシルエットが見えないように、パンツの上からスカートをはくようにすると、男たちの熱い視線は消えていった。

 そんな体験から始まったイランは、確かにこれまでとは異質な、独特な雰囲気のある国だった。それはマシュハドという町のせいもあったのかもしれない。ここはとても重要な聖地で、イスラム色が極めて強いようだったからだ。

 イスラム教は大きくシーア派とスンニ派に分かれる。イスラム教徒全体では、スンニ派が圧倒的に多数派で、シーア派は全体の1、2割に過ぎないが、イランは9割をシーア派が占める国である。

第92回 古から続くエマーム・レザー廟の熱気

エマーム・レザー廟。年間1000万人以上の人が訪れると言われる

 マシュハドは、そのシーア派にとっての重要な聖地のひとつなのだ。エマーム・レザーというイスラム世界の重要人物が殺され葬られた「殉教の地」として知られ、彼が祀られたエマーム・レザー廟がここにある。そのため多くの人がイラン各地から巡礼にやってくるのだ。ぼくたちがマシュハドに来たのも、その廟を見るためだった。

 神聖な場所だけあって、廟に入るためには女性はみなチャドルを着なければならない。だからモトコも、近くの店でチャドルを買い、全身真っ黒の姿になった。チャドルを着ると、彼女も町の風景のなかに違和感なく溶け込んだ。

 入り口でボディチェックを受けたあと廟の敷地内に入っていくと、白いタイルが敷きつめられただだっ広い広場に出る。その周りをモスク(礼拝堂)やメドレサ(学校)などの建築物が取り囲む。

 それぞれの建築物は、淡い青や緑を基調とした繊細な幾何学模様で表面を美しく覆われている。そしてそのなかに入ると、広い空間のなかに敷き詰められたペルシャ絨毯の上には、大勢のイスラム教徒たちが、溢れんばかりにひしめいていた。黒いチャドル姿の女性、そして男性が、何百人とひとつの方向を向いてきれいに並んで座っている。ざわついた音のなか、それぞれに声を上げ、サウジアラビアにあるイスラム教最大の聖地メッカの方角に向かって祈りをあげている。立ったままでコーランを開き、声に出して読んでいる人も大勢いる。そんな風景が、いくつもある建物のなかのあらゆる部屋で、どこまでも広がっているのだ。ぼくは完全に圧倒された。中央アジアで見た歴史あるイスラム建築はそのほとんどが遺跡となり観光地となり、本来の役割を終え生命を失っているように見えたが、ここは違った。

第92回 古から続くエマーム・レザー廟の熱気

エマーム・レザー廟の複数ある建物の内部は、どこでもこのように、祈りを捧げる人やコーランを声に出して読む人の姿に満ちている

 「これは、すごいなあ・・・」

 その様子を横目に見ながら、エネルギーが最大となっているはずの廟の中央部分に向かっていった。その中央部分こそが、この廟の核となる、エマーム・レザーが眠る場所なのだ。

 その建物に入ると、まるで巨大な宝石のなかにいるかのような気持ちになった。壁も天井も凸凹のミラーのようにキラキラと光り、黒を基調とした人々の服装を補って余りある明るさで空間を輝かせていた。そのなかで、ぎっしりと集まったイスラム教徒たちが、立って、座って、祈りをあげている。そしてその横を通り抜けて、そのまさに中心へと入っていくと、そこで熱気は最高潮に達した。

 その部屋は、うっすらと緑がかったまぶしいほど光に包まれていた。その中央に、大きく壮麗な銀色の箱状の物体が置いてある。これがエマーム・レザーの墓のようだった。
その物体に向かって人々が、我も我もと近づいていき、手を伸ばしている。なんとか手を触れ、細密な模様が彫り込まれた美しい格子窓のような側面部分にしがみつく。そして、それに触れた手で自分の顔を撫で、また自分の持ち物もそこにこすり付ける。感極まって涙をこぼしているものも少なくなかった。

 将棋倒しになったら一〇〇人単位の死者が出そうなほどのその人だかりのなかで、誰かが、祈りの言葉らしきひと言を叫ぶと、それに呼応するように大勢が一斉に雄叫びを上げる。そして、次々に入ってくる人に押し出されるようにその部屋を出て行く人もみな、その物体を見つめ、手を胸に当てている。

 雄叫び、すすり泣き、押し合う感触、ひといきれ、反射する光、黒いチャドル。イスラム教が内に秘めるエネルギーがその狭い空間で一気に爆発しているかのようだった。これがイスラム教なのか――。ぼくは、その計り知れない莫大なエネルギーを前に、身震いした。

 ・・・ところで、エマーム・レザー廟に行く前に、こんなことがあった。廟に入るためにモトコのチャドルを買いに行ったときのことである。

 「この店にチャドルはあるかな。どうやって選べばいいんだろう」

 などと話しつつ、様々な色の布が壁にずらりと並んだあるお店に入ってみた。すると、なかにいた数人のチャドル姿の女性たちが、興味深そうにぼくらを見た。「チャドルを探しているんですが」。モトコが店員にそう伝えると、店員とともに客の女性たちも、一緒にチャドルを選んでくれ、その着方を親切に教えてくれようとした。そしてこのとき、そのうちの一人がとったちょっとした行動がぼくの心にいつまでも残ることになった。

 「ほら、こうやって着るのよ」

 そう言ってその女性は、笑顔で自分のチャドルを開いて見せてくれたのだ。厳しく身体を隠すイランの女性のチャドルの内部を見ることなど考えてもいなかったため、ぼくは、その行動に、えっ?  と驚いた。そしてそのなかに彼女が着ていたのが、ジーンズとセーターといったまったく"普通"の洋服だったことにもまた驚かされた。

 その一方、モトコがその女性たちに手伝ってもらいながら、袖のあるアラブ式チャドルを着ると、一分もかからないうちにモトコも彼女たちと同様の姿になった。
たったそれだけのことではある。でもその一連の様子を見ながら、ぼくは思ったのだ。イランの人々と自分たちの距離は、考えているほど遠くないのかもしれないな、と。

 エマーム・レザー廟の凄まじい熱気を体験したあとも、その気持ちはずっと変わらず自分のなかにあり続けた。







第92回 古から続くエマーム・レザー廟の熱気

マシュハド(Mashhad)はイラン北東部。ここから西へ向かっていく


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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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