遊牧夫婦

第94回 イランの現地で

2013.04.07更新

 ネイシャブールの駅でハミッドに見送られながら、夜11時半発のテヘラン行きの列車に乗り込んだ。狭いコンパートメントの中の2段ベッドの空いている2つのベッドにそれぞれ荷物を置き、その横でぼくらはすぐに眠り込んだ。

 翌朝、明るくなって目を覚ますと、下段のベッドは長椅子となり、他の乗客とともに座って互いに話をした。そうなるとやはりぼくらが話題の中心となる。そして、その中でもっとも穏やかで理知的な雰囲気で、精悍な顔つきのマクスッドという男性が、突然こんなことを言ってくれた。

 「私もテヘランで降りるんだ。ホテルが決まってないならうちに泊まればいいよ」

 口数は多くなさそうで、それほど話をしたわけではない。なので少し驚いたが、ぼくたちは喜んで甘えることにした。

 テヘラン駅は、やはり首都だけあって車も人もごった返している。人の雰囲気もマシュハドやネイシャブールとはかなり印象が異なっていた。何しろ、チャドル姿の女性が少ないし、頭を隠す布についても、若い女性は、そこからどれだけ髪の毛を露出させるかを競うかのように、上にあげたりしているのが新鮮だった。

 そんな中を、マスクッドの後について歩いていき、それから、バス、BRT(「バス・ラピッド・トランジット」。バスを使った高速輸送システム)などを乗り継いで、ようやく彼の家にたどり着いた。

 マクスッドの家は、きれいなマンションの一室で、中に入ると、奥さんと娘さんが「ようこそ、いらっしゃい!」とにこやかに迎えてくれた。
 
 聞くと奥さんは、二週間前に帝王切開で娘さんを産んだばかりとのこと。「そんなときにいきなり泊まりに来てしまって大丈夫だったのかな・・・」と申し訳なくも思ったが、彼女は、美味しい手料理でぼくたちを歓待してくれた。大きな絨毯の敷かれた部屋の真ん中に、きれいなテーブルクロスのようなものを広げ、その上に料理が並べられる。その周りにみなで座り食べるのだ。肉、イモ、野菜などを混ぜてペースト状にしたイラン料理やイラン風ピザなどが絶品だった。

第94回遊牧夫婦

マスクッドの家でいただいた食事。肉、イモ、野菜など混ぜてペースト状にしたものが手前のもの。またヨーグルトにホウレンソウを混ぜて食べるのが、以外な組み合わせだったけれどおいしかった

 もしかしたら、あとから「アンタ、こんなときに、なんであんな日本人連れてきたのよ!」と、マクスッドは怒られていたのかもしれない。でも、同席していた甥のフセインに、マクスッドの奥さん、身体は大丈夫なのかな、と聞くと、彼はこう言った。

 「ぼくの家族の女性たちは、病気でもよく働くから心配しなくても大丈夫なんだ」

 と・・・。さすがイランというべきか、女性にとってはなかなか大変そうな社会ではある。でも、マクスッドはとても優しそうで、奥さんを大切にしている様子が感じられた。
そのマクスッド、整った顔立ちとグレーの頭髪と髭によって、ジョージ・クルーニーのような渋さを漂わせていて、50歳ぐらいかと想像していた。しかし実際の年齢を聞いて驚いた。39歳だというのである。

 「イラン・イラク戦争で三年ほど戦って、いろいろ苦労したせいで白髪になってしまったんだよ」

 ただそのことについては、決してそれ以上詳しく話そうとはしなかった。そしてふと気が付くと、何か物思いにふけってそうな顔つきになる。その様子に、もしかすると何か大きな傷を抱えているのかもしれないな、とぼくは感じた。

 一方、イランでは25年働くと定年で年金をもらえるらしく、15歳から働きだしたマクスッドは、来年40歳でもう定年なのだという。あとは死ぬまで年金がもらえる。その状況は羨ましくもあるけれど、もしかすると、それは人を早く老いさせるのかもしれない、と思わないでもなかった。

 ぼくたちは、この家族の家で一日ゆっくり過ごさせてもらった。大学生のフセインは、英語が堪能だったため、イランについて日本について、いろんな話をすることができた。マクスッドの9歳の息子であるレザーは、「サイタ、サイタ、チューリップのハナガ――」と、覚えて歌ってくれるようになった。イランがまたぐっと身近になる。夜はぐっすり休ませてもらって、翌朝彼らに別れを告げた。

 それからは、自動車工場などが多い一画の安宿に移って一週間ほどテヘランに滞在した。
 テヘランは、着いたときのイメージ通り、かなり西洋的な世界に見えた。店も街も、東京などと大差はない。また、先にも書いたように、女性はみな布をかぶりつつも、多くの若い子は頭を半分ぐらい出している。髪を染めている子もいたり、布もグッチやヴィトンのスカーフだったりするのである。その一方、デパートなどの前には、宗教警察というのだろうか、彼女たちの服装をチェックする警察のような人もいる。いろんな価値観がせめぎ合い、一筋縄ではいきそうにない、この国の様子が感じられた。

第94回遊牧夫婦

ネイシャブール(Neyshabur)からテヘラン(Tehran)までは1000キロほど。そしてラシュト(Rasht)、マースーレー(Masuleh)へ

 テヘランを出ると、ぼくたちはさらに西へ進んだ。そして、イランの北にあるカスピ海の近くの、ラシュトという小ぶりな街の静かなレストランで食事をしていると、今度は、ゴツい身体にモジャモジャのひげをたくわえた豪快そうな男性が、ぼくらに声をかけてきた。家族連れの彼もまた、片言の英語でこう言ってくれた。

 「私たちはアルダビルという町に住んでるから、そこに来るときは是非うちに泊まりなさい」

 そして、連絡先と住所をくれたのだ。このころになると、イラン人のこういう誘いが決して社交辞令ではなさそうなことがわかってくる。きっと本気にしていいその誘いを、ぼくらはありがたく受けることにして、ラシュトから次の行き先への通り道であるアルダビルに寄ることにした。

 バスをアルダビルで降り、彼に電話をかけると、すぐ迎えにきてくれた。「おお、よく来てくれた!」とその男性、ロミーは喜んでくれ、そのあと、奥さんと一歳の娘さん、さらには奥さんの兄で英語を話すイマンとも合流した。

 ロミーも、マクスッドと同じ39歳。彼はまるで、芸人のような雰囲気の気さくな人物で、映画監督かつ俳優なのだという(「ミー、フィルムディレクター、アクター!」とロミー)。DVD屋の前に貼ってある映画のポスターの大物っぽい役者を指差し、「ほら、これがおれだ」と言う。イラン映画の巨匠キアロスタミとも親交があるらしい。ただ、あまりに力の抜けたその雰囲気に、冗談を言っているのかなとも思ってしまう。また、ポスターをよく見ると微妙に顔が違う気もするし、そっくりさんで売ってる芸人なのかと思ったりもした。だが、どちらであったとしても、彼はじつに楽しい男に違いなかった。

 「じゃ、飯を食おうか」と、みなで車に乗ったので、レストランにでも向かうのだろうと思ったものの、気付くと一時間近く、街なかの似たような場所をウロウロと走り回っているだけではないか。どういうことだろう? と思っていると、どうもロミーは、ぼくらのためにシャンパンを振る舞うべく、なにやら画策しているようだった。

 イスラム教の教えに従って法律が作られているイランでは、飲酒は禁じられている。そのためもちろん、街でも一切アルコール類は売っていない。なので、「え? シャンパンなんて飲んでいいの?」と聞くと、ロミーも、イマンも、

 「なに言ってんだよ、ノープロブレム! シャンパン、ビアー、全部OK!」

 ってなことを言うのである。
 ただその頃にはイラン人のそんな言葉にもだんだんと慣れてきていた。いわゆるイスラム教のイメージは自分の中で少しずつ崩れ出していた。たとえば、テヘランで話したメガネ屋の男性はこんなことを言っていたのだ。

 「ぼくら若い世代は、ほとんどイスラム教なんて気にしていないんです。酒だって飲むし、パーティだってやります。そういう場では女性はもちろん頭にスカーフなんてつけないし、ドレスを着ます。イランは街なかにそういうものがないだけで、家の中にはなんでもあるんです。日本やアメリカと同じですよ。礼拝も、9割ぐらいの人はやってないんじゃないかな」

 また、マースーレーという町の水タバコ屋では、テヘランの大手日系電機メーカーで働いているというイラン人がこう言った。

 「いまは若者の薬物中毒が問題なんです。若者の50%以上がそうなんじゃないかな・・・。酒はイランでは手に入れにくいけど、薬物はほしいと思ったらすぐに手に入るし、安いんです。だから、みんな手を出します。ぼくの妻も、ぼくにタバコを吸わせないように目を光らせてるけど、タバコをやめたら薬物に走るんじゃないかって心配してるんですよ」

第94回遊牧夫婦

マースーレー。階段上に並ぶ街並みがよく知られる。標高1000メートル以上の高地にある

 ぼくはもともと、イラン人は誰もが、アザーンに合わせて日の出前からアッラーの神に礼拝しているのだろうと思っていた。だからこれらの言葉は、ひとつひとつ衝撃だった。
そしてぼくは、その後、会う人会う人に、酒は飲むのか、礼拝はするのか、という質問を投げかけるようなった。するとだいたい、

 「礼拝はたまにする。でも酒は飲むよ」

 といったあたりが平均的な答えのようだった。
 そのように個々の人と話していくうちにぼくの中でのイランのイメージが少しずつ変化し、そしてこのとき、ロミーたちと行動をともにしながら、そうか、いま自分は、そういうリアルなイランの現場にいるんだな、とちょっとうれしくなったのだった。

 さて、ロミーは酒をどうやって入手するのだろうと思っていると、しばらく走り回った後で車を止めて、子供服の店に入っていった。「最近どうだ?」などと世間話をしているのかと想像したが、見ているとその主人が、紙に電話番号を走り書きし、ロミーはそれを受け取ると「よし、行くぞ」といった様子で店を立ち去った。そしてその番号に電話をかけながら、またしばらく車で走り続ける。

 すると途中で、謎の売人みたいな人物が車に乗り込んできて、彼の指示でまた走り回る。そしてまた止まり、ロミーとその謎の男が外に出た。ロミーが結構な大金を売人に渡すと、売人は闇の中に走っていく。そしてスーッと売人のそばに謎の車が停車して・・・戻ってきた売人は、手に紙袋を持っていて、中からはめでたく一本のウィスキーが出てきたのだ(シャンパンではなかった)。じつに怪しげで危ない取引のニオイがしたが、「ほら、上物だぜ」という顔でロミーはそれを見せてくれる。それを持って、ぼくたちはケバブ屋さんに入って、やっと夕食となったのだ。結局二時間も走り回った挙句のことだ。

 ウィスキーを手に入れたとはいえ、さすがに外で酒を飲むのはイランではありえないだろうと思っていた。しかし、「友達の店だから大丈夫!」と、ロミーはプラスチックのコップにウィスキーをコーラのようにゴボゴボとつぎだして、いきなり一気飲みするのである。「ぷはー、うめえー!」。そうしてぼくにも、さあ飲め飲め、と・・・。そして勢いづいた奥さんの兄のイマンからも、驚きの発言が連続する。

 「イスラム? そんなのもうイランにはないよ。アイラブアメリカですよ!」

 さらにすごい言葉も飛び出して、呆気にとられながらも、だんだんとイスラムの世界が身近になる。その後ロミーの家に帰ると、ぼくはすっかりアルコールが回って、すぐにバタンと寝てしまった。一方、奥さんはモトコに一言。

 「うちの中では頭の布、取ってしまっていいんですよ」

 奥さんもさっさと布をとり、ぼくの前でも髪の毛を露にしてのんびりと過ごしていた。
イランにいるとは思えないそんな豪快な一日を終えた翌日。アルダビルから次の街に向かうにあたり、ロミーはバスのチケット代も自分が払うからとまったく譲らない。そして、ぼくらのバスが出発するまで見送ってくれたのだった。本当に感激するほどいい人たちであるとともに、彼らは大きくイランのイメージを変えてくれた。

 イランではこのように次々と、ちょっと不思議で素敵な出会いがあった。これまで行った国の中でも、イラン人のホスピタリティはずば抜けているような印象を受けた。それは入国前にはまったく予期しなかったことであり、また、彼らと過ごした濃密な時間によって、イランという国のいろんな側面を感じ取ることができたのだ。

 印象的なことがもうひとつあった。前述の、マースーレーで出会った日系企業で働く男性が、日本とイランの違いについてこう言っていたのだ。

 「日本人は白か黒のどちらかしかない、イラン人はその間に様々なグレーがある。そこに違いがあって、一緒に働くと難しいことがある」

 それを聞いてぼくは驚いた。それは自分たち日本人が欧米人に対して感じることで、自分たちがそのような指摘をされるのがすごく意外に思えたからだ。ただ、そう言われてみると、イラン人と日本人は案外似ているのかもしれないと感じたことが少なくなかったことを思い出した。テヘランにいるときに、ぼくはこんなことを感じていた。イランは思っていた以上にきちっとした国である、と。駅や郵便局やネット屋など、働いている人全般、仕事がとても速く、サービスはかなりいい。

 例えば、駅でチケットの売り場の場所を聞いたとき、すぐに売り場の人に連絡してくれて「あの人のところにいけば、わかるようになってるから」と言ってくれた。ネット屋でも、ノートPCをつながせてくれといったら、電源のタコ足から二人分の椅子までをさっさっと用意してくれたりするのである。中国にしてもロシアにしても中央アジアの各国にしても、そんなことはありえなかった。イランはサービスの行き届き方が、どこか日本に近いように感じたのだ。

 マシュハドのエマーム・レザー廟の光景からロミーたちまで、すべてがイランだ。厳格なイスラムの教えを守る人々から、そうでない人まで、イランにはさまざまな人が暮らしている。自分がそれまでいかにその一側面だけしか知りえなかったかを、ぼくは実際に来てみて強く実感したのだった。

 イスラム教国やイランに限らず、どの国のことでも、私たちがメディアを通じて見ているのは、いうなればチャドルの黒い外見だけなのかもしれない。

 相手がその内側をそっと開いて見せてくれるのは、やはり現地にいったときだけなのだ。もちろん旅で見られることも限られてはいる。しかし、実際に見たものは、その後、各自の中で成長する。そうして人は、相手への関心を強め、理解を深めていくのだと改めて思う。

 ロミーたちと別れると、いよいよタブリーズにたどり着いた。イラン北西部、アルメニアとの国境に近い町だ。ここからぼくらはアルメニアへと国境を越えようと思っていた。テヘランで一度温かくなり、やっと冬が終わったと思ったものの、タブリーズはまだ雪に包まれていて寒かった。

 タブリーズで泊まった宿の息子と話をすると、彼はこんなことを言っていた。

 「イランのイスラムは、イスラムじゃない。イスラムは人にムスリムになることを強制はしない。コーランには、酒は身体によくないと書いてあるだけじゃないか。政府が強制することなどできないはずだ・・・」

 その言葉が妙に印象に残るとともに、同じ宿の廊下で熱心に祈りを捧げる人の姿も目に焼きついた。

 そしてタブリーズに2泊したあと、ぼくらはアルメニアへと出発した。
 ここから数時間も行くとまったく別の世界になるのが不思議だった。
 アルメニアは、世界で初めてキリスト教を国教とした、歴史あるキリスト教の国なのだ。

第94回遊牧夫婦

ラシュト(Rasht)からロミーの住むアルダビル(Ardabil)までは5時間ほど。そしてタブリーズ(Tabriz)から隣国アルメニア(Armenia)へ!

お便りはこちら

みんなのミシマガジンはサポーターの皆さんと運営しております。

近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

バックナンバー