遊牧夫婦

第97回 親切連鎖トルコ

2013.04.28更新

 黒海沿いの港町バトゥミで、ぼくたちは少しだけ贅沢をした。バトゥミは古い建築物が複数残る町であると同時に、通り沿いにヤシの木が並び、パステルカラーのマンションらしき建物も並ぶリゾート地らしい空気があった。ホテルもレストランもナイトライフも悪くない。持っていたガイドブックにはそうもある。そしてこれで、鬼門のようだったグルジアが終わる。

 少し浮かれた気分になり、いつもよりちょっとこぎれいなホテルに泊まり、夜は海辺のレストランで海の幸を楽しんだ。ビールに、パンに、魚のフライを食べながら、大きな窓の外の海を眺めた。

 「ついにここまで来たなあ。しかし黒海って日本の国土より大きいのか・・・」

 面積を調べそんなことに気づかされる。そう考えると、海辺まで来たからといって対岸のウクライナやルーマニアがすぐそばであるわけではないことがよくわかる。それでも、黒海は太平洋や大西洋とはまったく異なり、なんとなく向こう岸が想像できた。あの向こう側は紛れもなく、西洋の世界であるに違いない・・・。

 バトゥミでは、近くのカフェでイランとウズベキスタンに関する原稿を書いたり構想を考えたりしつつ、ネット屋に通って編集者とメールでやりとりを進めた。そしてときにビーチを散歩したり、グルジアを代表するパン料理であるハチャプリを食べた。

 ちなみに、グルジアについて一つだけ印象のよかったことと言えば、パンのおいしさだった。よく食べたのは、太くて短いフランスパンのような形をしたふわふわのもの。もちもち感と柔らかさは、どこで食べても絶品だった。

 「グルジアのパンを日本で売り出したら、きっと売れるんじゃないかな?」

 ぼくは食べるたびにそんなことを思った。誰かに始められる前に、日本に帰ることになったら自分がそれをやってもいいかもしれない。それこそがきっと遠くない将来に待ち受けている日本での不安定な生活の解決法なのかもしれない・・・。そんな考えが一瞬頭をよぎるほど、グルジアのパンはおいしかった。ハチャプリというのは、そのパンの上にチーズと目玉焼きを載せて食べる料理であり、これもまた絶品だった。ただ、味が単調で後半若干飽きてくるという難点はあったけれど。

 暗くどんよりした印象だったグルジアは、バトゥミをへて少し印象が明るくなった。
2泊した朝、ぼくらはこの町を出た。

 トルコとの国境まではミニバスが出ている。右手に黒海を眺めながら、数十分も走ると国境に着く。砂浜というのか、小石が目立つ海岸沿いに降り立つと、目の前は国境のグルジア側のゲートだった。ほとんど波のない穏やかな海と、わずかにしか雲のない青空の下に、重そうな国境の門はそれこそ不釣り合いだった。しかしそれでも、ここはまれに見る開放的な国境に見えた。

 簡単な国境ですぐにトルコへの入国が済む。そしてこの気軽な雰囲気は、トルコ側に入るとますます確かなものになった。

 「トルコへようこそ!」

 やたらと感じがよくフレンドリーな国境職員がぼくらを迎えてくれたのだ。その様子を見て、ぼくは思わず顔がほころぶ。「トルコ、出だしからすごい印象がいいね」。これはきっと楽しくなるに違いない。そう思いながら、国境の最寄りの町であるホパのバスターミナルまで乗り合いバスに乗っていった。

 しかし、バスターミナルに着くや否や、ぼくらは大きな衝撃を受けた。

 「25ドルだって!?」

 バスのチケットがあまりにも予想を上回る高さだったのである。たった数時間の距離にある町まで25ドルだというのである。日本価格で考えたらまったく普通であるものの、アルメニア、グルジアなどと比べると、あまりに相場が違ってとても乗る気にはなれなかったのだ。トルコからぐっと高くなるとは聞いていた。覚悟しないと、と思っていた。しかし実際に値段を見てみるまでは、どのくらいなのかは知らずにいた。

 しかも、その日に目指していた場所に行くための中継地点とも言える町までのバスが60ドルもするという。それはおそらくぼくらがこれまで慣れてきていた感覚の数倍から5倍ほどに相当したのではなかったか。雰囲気的にボられているという感じもなく、本当にそういう相場のようだった。ありえないほど高く感じる。ぼくもモトコも青ざめた。

 「やばいな、この物価。この調子でイスタンブールまで行こうとしたら破産するよ」
 
 しばらく考えた挙句、二人の心は決まっていった。
 
 「よし、ちょっとヒッチハイクを試してみようか?」
 
 例のヒッチハイクの達人・牛山さんの影響があり、ヒッチという選択肢には興味が出ていた。そしてやってみれば、じつは牛山さんのように案外すんなり乗せてもらえるんじゃないかと思ったのだ。とりあえずダメ元でも試すしかない。気持ちがかたまり、昼飯を食べ終わると、荷物を持ってぼくらは早速、晴れた外へと出ていった。

 「どの辺で待てばいいのかな・・・」

 そう思いつつ、店を出てから右往左往していると、すぐにその機会は訪れた。ヒッチハイクらしいことをするまでもなく、通りがかったベンツが、ぼくらの様子で何かを察したのか、いきなり横で停車したのだ。

 「どこまで行くんだ? 乗っていけよ!」

 え? いいんですか・・・?と驚き、すげえ、いきなりこれだよ! と感激しつつ、ぼくらは「ありがとう!」と言って、荷物を載せて乗り込んだ。数十キロほど行ったところで方向が違うとのことで降りることになったものの、幸先の良いスタートだった。これは思っているより簡単かもしれないな・・・。そう思いつつ、ぼくらは本格的にヒッチハイクを始めたのだ。

 「町中だと、ヒッチしているのかただ立ってるだけなのか区別がつかなそうだよね」

 そう思い、ベンツに降ろしてもらった町のはずれまで歩き、人の気配のないところまで行ってから、大きなバックパックを道端に置いた。

 笑顔で手を振りながら、親指を上げる。さて、どうなるかな・・・ま、気長に行こうと思っていると、3台目ぐらいに通った赤いトラックが、通り過ぎた後に少し先で停車した。

 おお、と思って、すぐに荷物をすべて持って走っていくと、ドアが開いた。中を見ると、髭を生やし優しそうな笑顔をした同年代ぐらいの男性が「乗れよ」と手招きしてくれた。

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ヒッチハイクによって最初に乗せてもらった赤いトラックの男性

 言葉はあまり通じず、ほとんど会話はできそうになかった。それでも彼は、特に何を聞くでもなく、ただにこやかな笑顔を浮かべて走り出した。まるで乗せるのが当たり前であるかのように。トラックは大きな音を立てながらゆっくりと山道を登っていく。ぼくとモトコは、揺れの激しい助手席に二人で座りながら、これから先に始まるこの国での出会いが急激に楽しみになってきていた。

 分かれ道で降ろしてもらった。「ありがとう! さようなら!」。間違いない一期一会な別れを終えて、再び荷物を置いて車を待つ――。
 それを繰り返した。
 すると、その次も、そのまた次も、すぐに車に乗せてもらえた。
いつでも2、3台待つと必ず停まってくれる車が現れ、笑顔で「カム・イーン!」と迎えてくれる。ほとんど2分の1ぐらいの確率で乗せてくれることに、本当に驚いてしまった。しまいには、車を選びたいという欲深さまで出てくるありさまで、古そうであまり快適じゃなさそうな車がくると、「あれには乗りたくないな」などとモトコと話して、挙げていた手を急に下げ、あたかもただふらふらしているふりをして通り過ぎるのを待ったぐらいだったのだ。

 結局、初日で4台を乗り継いで、国境から150キロほど南に行ったユスフェリという町に着き、そこで泊まることにした。

 ユスフェリでも、会う人会う人、みな親切だった。ちょっとした仕草さや声の掛け方がとても感じがいいのである。トルコのこの感じの良さはなんなんだろう・・・。そう不思議に思うぐらい、人の温かさを感じられる出だしだった。

 2日目も問題なくヒッチで進んでいくことができた。
 看護師と教師の一家のトヨタに乗せてもらったあと、サダム・フセインに似た太ったおっさんのヒュンダイに乗って一気にエルズルムという大きな町まで行くことができた。そして宿代を浮かすという目的もあり、エルズルムからは夜行バスに乗って南に進み、マルディンという町まで行った。バスは超快適なデラックスバスであったことに驚かされ、その環境を惜しみながらマルディンで降りた。

 着いたのは朝6時ごろ。ここはトルコ南東部でシリアとの国境近い。2日ですでにトルコを縦断してしまったことになる。歴史を感じさせる町並みに、ここに泊まろうと思ったものの、宿が高すぎてとてもじゃないが泊まれそうになかった。歩いて現れた宿のほとんどが、2人で100ドルといったレベルなのだ。

 安い宿がないはずがないと思い、「安宿はどこですか?」と聞きまくってやっと一つだけボロ宿を見つけたが、そこはシャワーなし&汚いシーツで30ドルほどだという。「本当に?」と、唖然とした。それならば、と、ヒッチに慣れてきた要領で、民家に泊めてもらおうかと考えた。情けないながらも、会う人会う人に「泊まるところがなくて・・・」とジェスチャーで当たってみるも、「ホテルはあそこだよ」と高いホテルを指さされるのがオチで、まったくうまくいかなかった。

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マルディンの町並み。町全体が遺跡のような雰囲気だった

 「もう、マルディンはあきらめよう」

 バスの疲れもあり、移動することにした。ヒッチで動いて、途中で小さな村でも見つけたら降りてみようか。そう考えた。そして今度は巨大なトレーラーに乗せてもらってたどり着いたのが、「カパクリ」というらしい小さな小さな集落だった。トレーラーの窓からたくさんの羊と子どもたちの姿が見え、ああ、あんなところに泊まれたら! と思って、降ろしてもらったのがここだった。そしてぼくらはまさに車上から見えていた羊飼いの家に泊めてもらえることになったのだ。

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泊めてもらった羊飼いの家

 ちなみにマルディンからこのあたりのトルコ南東部は、クルド人、トルコ人、そしてアラブ系、アルメニア系の人も暮らす多民族地帯だという。砂漠っぽい荒涼とした茶色い風景が続いた。このつい少し前、トルコ軍がイラクにいるクルド人の過激派グループ(PKK)を掃討するためにイラク入りしたとのニュースを聞いていた。複雑な歴史と現状を抱えているらしいエリアだった。

 泊めてもらった羊飼いの一家は10人ほどの大家族で、アラブ系やクルド系が混じっているらしかった。集落には15家族130人ほどしか住んでいないらしく、次々にいろんな人が「おお、ジャポンか!」といってやってきた。食事はイランで泊めてもらったときと同じく、部屋に大きなシーツを敷いてその上で食べた。夕食は、絞めたばかりのチキンのご飯にトマトジャガイモスープ。とてもおいしかった。夜は、男女にわかれて別々の部屋で雑魚寝した。

 みな親切で、ぼくらを歓待してくれた。モトコには民族衣装を着させてくれ、家族と一緒に写真を撮った。

 翌朝、6時前にはすでに目覚め、自家製らしいヨーグルト、クリーム、卵、蜂蜜、オリーブ(これらにナンをディップする)の朝食をいただいたあとは、羊の藁を袋に詰める作業を見たり、家の裏の丘へと連れて行ってくれたりした。

 そして、そろそろ出発しようかと、家へと戻ったときのことだった。ちょっとしたトラブルが起きてしまった。モトコのバックパックに開けられた形跡があり、モトコが中を確認すると日本円2万円とポーチが一つなくなっていたのだ。バッグが開けられていたことからここでなくなったことは確かだと思われた。かろうじて英語がわかる一人を通じてなんとかその状況を伝えてみた。家族や村の人たち大勢が集まってくる。みなが異口同音にこう言った。

 「いや、誰もそんなことはしない」

 いろいろな状況的に、おそらくこの子が関係しているのではないだろうか、というのはぼくらの中にはあった。しかしむやみには疑えないし、言葉もほとんど通じないために微妙で婉曲な言い回しもできなかった。そのために、結局うやむやのままで諦めざるを得なかった。家族のほとんどの人は関係ないはずだし、みなとっても親切にしてくれたのでこんな終わり方をするのは本当に残念だった。

 イランでも、タクシー運転手の家に泊まったとき、ぼくらが出かけている間に、モトコのバッグが開けられて中を探られていたことがあった。そのときは何もなくなっていなかったし、おそらく女の子の一人が興味本位で覗いただけだろうということに落ち着いた。

 しかしいずれにしても、外国人などとはほとんど出会わないだろう彼らの地で「泊めてくれ」と半ば押しかけたのは自分たちである。こっちのことが気になって、悪気がなくともいろいろと持ち物を見てみたくなる人がいても、当然と思わないといけないのかもしれなかった。こういうトラブルをなくすためには、やはりこちらが、しっかりと荷物の管理をしなければならない。そんな教訓を得ることになった。

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いろいろとあったものの、最後には笑顔で別れられた

 それでも最後には、にこやかに別れることができた。そしてまた通りがかったトラックの乗せてもらい、ぼくらはウルファという大きな町にたどり着いた。

 ウルファまで乗せてくれたトラックの運転手は、駐イラクの米軍へ石油を運んでいるところだと言った。「このトラックに積んでいる石油を今日、トルコの米軍基地まで運ぶ。そして明日、ヘリなどの護衛付きでトルコからイラクへ国境を越えてティクリートまで行くんだ」。まさにゲリラの標的になるトラックなんじゃないか・・・と思い、そんなことを聞いてみると、彼は笑いながらこう言った。

 「大丈夫だよ!」

 それにしてもそんな重大な役目を担っているトラックが、こんな見ず知らず旅行者を乗せてしまうのもすごいと思った。ぼくらが何か意図を持ったテロリストだとも限らないではないか・・・。しかしこのくらいのゆるさの方が、きっと世界は平和になるような気もするのだった。

 ウルファに着き、降りるとき彼の写真を撮らせてもらった。彼はトラックの中から、日本人のようなピースをした。そのまま彼は米軍基地へと向かっていった。

 ウルファでも、たまたま会った警察に「まあ座れ座れ」とお茶をもらい、そのそばにいたおじさんにはパンをご馳走になった。そのあと、安ホテルを探してうろついていたら、車で通りがかった学生が「乗ってください!」とやってきて、一緒にホテルを探してくれ、そのおかげでいい場所が見つかった。またレストランに入ると、「これは私からです」とお茶が出てくる。

 本当にトルコ人の親切心には驚かされてばかりだった。
 そうしたトルコの印象は変わらないまま、さらに西へと移動した。ヒッチハイクを繰り返し印象的な出会いを次々に得て、また列車にも乗った。そしてウルファに着いてから8日後に、いよいよぼくらは到着した。

 イスタンブール――。
 こここそが、アジアとヨーロッパの境界と言われる都市だった。

第97回 遊牧夫婦 親切連鎖トルコ

バトゥミ(Batumi)からユスフェリ(Yusufeli)、エルズルム(Erzurum)を経て、マルディン(Mardin)、ウルファ(Sanliurfa)へ。そして、北西部のイスタンブールへ――

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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