遊牧夫婦

第101回 友人巡りと旅の岐路

2013.05.26更新

「おはよう。私は仕事に行くけど、まだ寝てていいからね」

 そう言って出ていく家主の一人のテリーを見送ってからモトコと二人で起き出して、もう一人の家主であるルーシーと3人で朝食を食べる――。
 スイス中部・トゥーンの友だちの家に転がり込んでから、しばしそんな日々が始まった。

 旅らしい旅は、イタリアで終わったという気分だった。これからヨーロッパで訪れる予定だったのは、友だちがいるからという理由で行く町ばかりだ。もはや、ぼくもモトコも、積極的に何かを見たいという気持ちはほとんどなくなっていた。
 とはいえ、人に会いたいという気持ちは強く、とにかくこの機会に会える友人には会っておきたいと思っていた。そしてただ友人たちを巡るだけでも、スイス、ドイツ、オランダ、フランスといった国々の大小の町が目的地となり、それだけでも十分にヨーロッパは堪能できそうなので友人めぐりに徹することにしたのだ。

 その最初の目的地となったのがスイス中部に位置するトゥーンだった。ここに住んでいるのは、バンバリーで出会ったテリーとルーシーという二人の女性。彼らとはイルカボランティアを一緒にしていたわけではないため、当時バンバリーでそれほど親しかったわけではない。けれども、今回連絡を取ってみると、「好きなだけうちに泊まっていっていいからね!」と、大歓迎してくれたのだ。

 トゥーンをめざしイタリアからスイスへ列車で国境を越えたとき、緑の色がぐっときれいになったことに気が付いた。国境がどこだったかはっきりはわからないものの、気づくと明らかに空気が変わっていた。トゥーンは、そのときに感じた緑が満ち溢れていそうな空気感がさらに深まったような場所だった。

 テリーとルーシーの家もまた、そんな大きな自然を感じさせる風景の中にあった。家を出るとすぐ、遠くに荘厳な山々が目に入る。目の前の広大な草原には、たんぽぽだろうか、黄色い花が緑の床の上にまかれたパウダーのように一面を覆っている。その向こうには複数の牛が静かに草を食んでいる。

「こんな贅沢な近所の風景、見たことないよなあ・・・」

 モトコと自転車で家の周りを走りながら、その景色に毎回感激した。
 そんな中ぼくたちは、これまでの移動の疲れを癒すかのように、何をするでもなくのんびりと穏やかな日々を過ごさせてもらった。中央アジアやイランやコーカサス地方など、最近通ってきた国々のことを思い出すと、あの混沌とした世界とこの整然としたスイスの町が、同時に存在していることがなんだか不思議に思えもした。

第101回 友人巡りと旅の岐路

テリーとルーシーの家を出るとすぐにこんな風景に。

 赤髪の小柄なルーシーはマッサージ師とセラピストのような仕事をし、黒髪で大柄のテリーは確か女性用刑務所で看守のような仕事をしていた。ルーシーは仕事時間がフレキシブルだったので、ぼくらは大体彼女と一緒に朝食を食べて、その後、彼女は仕事をしたりして、ぼくらも家にいたり出かけたりと、自由に過ごした。
 そしてテリーが夜、仕事から帰ってくると、いつも4人でお茶を飲みながらお互いに一日のことを話したり、一緒にゲームをしたりした。

 彼らと過ごしながら、自分の家があって、気心知れた友人が近くにいて、安くておいしいカフェやレストランを知っていて、職場など日々行く場所があって、休みの日に休暇の喜びを実感できて、毎日見かける木々の様子の変化に季節の移り変わりを感じられる生活のよさをぼくはしみじみと感じていた。
 もしかすると、旅を始めてから、そんなことを心から思ったのは初めてのことだったかもしれない。

「こういうきちっとした世界にいると、急に日本が近づいてきた気がするなあ」

 ぼくはそう感じ、だから旅も終わりに近づいたという気持ちが強くなった。

 旅が終わらないとしても、この先どうするかを真剣に考えなければならない時期に来ていることは確かだった。日中、モトコとぼくは、よく二人で今後について話をした。

「もう5年だよ・・・。はじめは2、3年って言ってたのになあ。おれ、バカみたいだけど、日本出たころは永遠に30代になんてならないんじゃないかって気もしてた。日本に帰ろうかどうしようか、なんて考える時期がほんとに来ることを全然想像してなかったんだよね」

 しかしもちろん、時間は経つ。人は年を取るし、気持ちも変わる。
 いつまでも終わりのない旅をしたいと思って日本を出たけれど、このころすでに二人とも、終わりは来るんだ、ということを意識するようになっていた。
 いや、やろうと思えばもっともっとこのままの生活を続けられることはわかっていた。金銭面などテクニカルな点から言えば、いつまでだって続けられる気がしていた。
 ただ、ぼくもモトコも、この生活をどこまでも続けていこうという気持ちがかなり弱くなっていることを感じていた。

 トゥーンにいる間に、方向性は少しずつ明確になっていった。
 しばらくヨーロッパのどこかに住むか、そうでなければ日本に帰る。
 それがなんとなく二人の間で自然と絞られてきた今後の選択肢だった。ただ、ヨーロッパに住むといっても、何となく住むだけというのはいやだとモトコは言った。

 「ヨーロッパに住むなら、私、ちゃんとやることがないといややわ。ただ、ぶらぶら過ごすだけなら、もう日本に帰りたい」

 モトコは、いずれ訪れる日本での生活を意識するようになっていた。まだしばらくこのまま海外に居続けるのであれば、今後につながる何かがほしいと思うようになっていたのだ。
 このときモトコは32歳、ぼくは31歳だった。ヨーロッパに住むことになったとしても、そう遠くない未来に日本に帰ることは確実だと思っていた。
 だからそのとき、どうやって生きていくのかが二人とも気になっていた。仕事をすぐに見つけることができるのだろうか。日本で家賃を払って普通に生活を始めることが自分たちにできるのだろうか。想像すると不安要素は無数にある。けれどいずれは直視しなければならない問題であることは間違いなかった。

 他人から見ると、ぼくたちは破天荒な生き方を望み続ける自由人のように見られることが多かった。
 しかし、自分たちとしてはぜんぜんそういうタイプではないことを自覚していた。
 ぼくは、エンジニアなどになって企業で研究開発に携わったりしている自分を違和感なく想像できたし、新聞社や出版社に勤めたりという可能性も十分にあった(もちろん、受かればの話ではあるけれど)。
 自分に吃音がなかったならば、きっとぼくはこんな長旅に出るなどという決断をすることはできなかった。
 モトコに至っては、きっとぼく以上にそうした日本での生活にすんなり順応できるタイプのはずだった。だからぼくらにとって、いつか常識的な日本での生活に戻ることは、ある意味自然のことだったのだ。

 それにぼくらは子どももほしいと思っていた。その点についてモトコはきっと、ぼく以上にリアルに、時間が経過していくことに対する焦りがあったに違いない。
 だからこそモトコは、5年もふらふらしていた結果、より確固たる何かがほしくなっていたのだろうと思う。

「もしヨーロッパに住むのであれば、日本に帰ってからも続けられる仕事をこっちで始めるとかそういうことじゃないと・・・」

 モトコには、ひとつ具体的にイメージしていた仕事があった。それは「ドッグトレーナー」などの犬関係の仕事である。
 ヨーロッパの国々では、犬を飼う前にまずドッグトレーナーのもとに連れていき、基本的なしつけなどをしてもらうというのが一般的だという。それから家に連れて帰って飼い始めるらしいのだ。そのため、ドッグトレーナーという仕事が普及しているという。

「ドッグトレーナーかそれに近いような仕事をインターンやボランティアとかでもヨーロッパで経験できたら、日本でも始めることができるかもしれないしなあ・・・」

 モトコはそんな仕事を経験できるような場所をヨーロッパで見つけようとしていた。
 そして、それが実現できないのであればもう日本に帰りたい。彼女はそう思っていた。

 一方、ぼくとしてはまた日本に帰るという決断はできずにいたし、どうしてもここに行きたいというのがあったわけでもなかったので、ヨーロッパでモトコの希望に沿う場所があれば、そこに住むのは問題なかった。
 自分にとって住む場所はどこでもそれほど問題はない。これまでの経験から考えれば、どこの国でもライターとしてやっていく方法はそれなりにあるだろうし、なんとかなるだろうと思っていた。
 希望を言えば、スペインかポルトガルに住みたいというのはあったものの、モトコによればその2か国はドッグトレーナーなどはあまりいないだろうからだめだという。

 いずれにしても、そのような条件が固まった上で、ぼくらはヨーロッパで友だち巡りの旅をしながら、その各地でモトコがドッグトレーナーまたはそれに関連した仕事を経験できる可能性があるのかどうかを調べようということになった。犬関係の仕事に詳しい人に連絡を取り、具体的に動いていった。
 まずはトゥーンで、そしてドイツやオランダでも、友人にそういう可能性を聞き、手伝ってもらいながら人に会ったりしていった。
 スイスでは犬と話せるという不思議な人物に会ったり、ドイツでは犬の保護施設を見学にも行った。また、そういった場所で職を得るために履歴書を送る準備も整えていた。

第101回 友人巡りと旅の岐路

トゥーンの町に隣接するトゥーン湖。そのほとりで、 週末、多くの人がのんびりと過ごす。後ろには雪山が連なる。

 しかし、実際にそういう仕事をするとなると乗り越えなければならない問題が一つあった。
 それは言葉だ。やはり英語だけではなく、ドイツ語なり現地の言葉を話せないと難しいようなのだ。
 イギリスに行くという選択肢もあったものの、イギリスは二人とも住む場所としてあまり惹かれていなかった。1年間ドイツ語を学んでからということも考えたけれど、これからまたしばらくの時間を語学に費やすことには、二人とも積極的にはなれなかった。

「やっぱり難しいかなあ・・・」

 モトコはだんだんと帰国する方へと意識が向いていった。
 ぼくは、日本に帰ってフリーのライターとして生活を成り立たせる自信はまだなかったし(不思議なことに海外ならどこでもなんとかなる気がしていたけれど、日本だけはそうではなかった)、きっぱりと旅を終えるという決断をできていたわけでもなかったから、なんとか滞在できる場所が見つかればとは願っていた。
 だが、いよいよそうもいかなそうであることを感じていった・・・。

 そんな気持ちを抱えながら、スイス、ドイツ、オランダ、ベルギー、フランス、チェコ、ポーランドといった国々を渡り歩いていった。
 ほとんどは、友だちがいる町に行き、そこで1週間、長いときには1か月ほども泊めてもらいながらその周辺を見て回った。モトコの友だちだったり、ぼくの友だちだったり、または共通の友だちだったりした。
 学生時代、仕事、旅など、いろんな環境で知り合った友人たちが、それぞれに出会ったころとは違う環境でそれぞれの人生を生きているのを知るのは、本当に新鮮でありうれしいことだった。
 そして彼らとは、それまで以上に仲良くなれ、旧交を温めるという意味で最高の時間を過ごさせてもらった。
 と同時に、現地の生活を知るという意味でも、最高の旅の日々になっていることも間違いなかった。

 そんな日々の中で、ぼくは一つの転機を迎えることになった。それは、オランダで友だちの家に長く泊めてもらっているときのこと。
 そのときぼくの中で、帰国することが急に明確な輪郭を帯びてきたのである――。

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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