遊牧夫婦

第106回 ゾウが与えてくれたもの(最終回)

2013.06.16更新

 9月20日。ぼくらはマラウィという国の北部にあるヴワザ湿地動物保護区にいた。
 それは、モトコの強い希望で行くことになった場所だった。近くには買い物をできるところもなく、食料もすべて持参し自炊しなければならないという僻地にあったが、それだけ行くのも準備するのもやっかいなのために、観光客もほとんどいないということだった。いつどこでゾウやカバなどに遭遇するかわからず、公園内を歩くときは、銃を持ったレンジャーと一緒でないと危険だとも聞いていた。

 モトコにとって動物は、どこを旅していてもいつも一番気になる存在だった。バンバリーのイルカから始まり、オーストラリア大陸縦断中のさまざまな動物スポットも、インドネシアの捕鯨村・ラマレラも、マレーシア・ボルネオ島のジャングルも、思えばそのほとんどがモトコの先導によって行くことになった場所だった。

 ヨーロッパで犬関係の仕事をすることをあきらめて以来、それなら最後にアフリカで壮大な動物の世界を見てから帰りたい。というのが彼女がアフリカに行きたいと思った一番の理由だった。
 そのモトコにとって、有名な国立公園以上にヴワザは魅力的に映っていた。南アフリカで行ったクルーガー国立公園が、さまざまな種類の動物が見られるという点では素晴らしかったものの、思っていた以上に舗装路ばかりの車が多い中を走るツアーだったということもある。アフリカとはいえ、ぼくらのような旅行者が気軽に訪れられるところは、どうしてもそのようになってしまうのは仕方ないのかもしれなかった。

 しかしヴワザは違ったのだ。
 ルンピという街から、未舗装の道を50キロ行ったところにあったこの保護区は、本当に人里離れた動物ばかりの世界だった。
 来てみると、ぼくら以外に旅行者は一組ぐらいしかいなかった。互いの姿はほとんど見えない。そして、まったく人影がないだだっ広い草原の上には、数十頭のゾウの姿が歩いている・・・。

第106回 ゾウが与えてくれたもの(最終回)

ヴワザ湿地動物保護区。

 ヴワザに来て2日目のこと。
 銃を持ったレンジャーと一緒に歩いて動物を見て回るサファリをした後、ぼくらは泊まっていた小屋に戻って鍋に火を起こし、ムズズで買ってきた野菜やヌードルを適当に茹でて昼食にした。それから二人で、小屋から少し離れた場所の簡単な休憩所のようなところに行った。目の前には巨大な水たまりがあり、そこで10頭ほどのカバたちが背中だけを見せて水浴びしている。人間の姿はぼくら以外にどこにもなかった。
 アフリカに来てようやくここで、ただ自然と自分たちがいるという感覚になることができた気がした。

「本当に気持ちいいなあ・・・。贅沢やなあ」
 そう言いながらモトコは日記をつけていた。その隣でぼくも、5年間、ほぼ毎日つけていたメモのような日記を書いていた。
 するとあるとき、モトコが言った。
「あれ、ゾウやな・・・。たくさんいるなあ」

 顔を上げると、カバの向こうには、ゾウが一直線になって川のような水辺を横切っていた。幅が少し狭くなったところを、大きいゾウと小さいゾウがペアになる形で歩いている。小さなゾウの姿はときに丈の長い草の中に隠れ、大きなゾウは、ポツポツと生える木の影に隠れたり出てきたりした。
 おそらく500メートルぐらい先だろうか、そうして30頭ぐらいの群れが、視界の右手から左手へと移動していく。少し離れて、さらに20頭ほどがやってきた。
 「すごい・・・」
そう言ってモトコが立ち上がリ、水辺の際まで行って立ち尽くした。ぼくもまた、ペンを置いてそのそばまで歩いていった。
 カバや鳥が水面で出す音が時々聞こえるものの、ゾウの声や足音は聞こえない。果てしなく広大な空間はあらゆる音を飲みこもうとしていた。静かだった。

 「ゾウは、何を考えながら歩いているんだろう」
 ぼくはふとそんなことを思った。そしてその光景を眺めながら、星野道夫の『旅をする木』を思い出していた。

 アラスカの海でクジラを見る喜びはなんなのか。それは、いまこの瞬間も、地球上のまったく遠い場所で、このような巨大な動物が海の中で生きているということを知ることなんだ、と確か彼は書いていた。
 ぼくは、その意味をあらためてこのときに思い返した。この巨大なゾウたちは、日々この地で、こうしてゆっくりと地面を踏みしめている。その姿を、いま同じ空気の中にいながらぼくたちは直接目にしている。そしてこの光景は、自分たちがどこにいても、何をしていても、ずっとそのままここにあるにちがいない。
 同時にぼくは、『旅をする木』を読んでいたキルギスの首都ビシュケクの部屋から見た風景も思い出した。青黒い空の中を真っ白の雪がゆっくりと舞い、不思議な明るさを作り出す。そのビシュケクも、いまは夏のはずだ。暖かいあの町はいったいどんな風景なのか。宿の家族はいまどうしているのだろうか。ロシア語の先生たちは、いま何をしているのだろうか・・・。ビシュケクはビシュケクでまた、自分たちがどこにいようが、あの景色の中で人々がこれまで通り暮らしているにちがいなかった。

 それは、当たり前である一方、不思議な感覚でもあった。バンバリーも、チェンマイも、昆明も、上海も、ハバロフスクも、カイラスも、すべての場所でいまこの瞬間も、ぼくらが見たあの世界が続いているのだ。
 ゾウたちの姿を前に、いくつもの風景が蘇ってきた。そして、自分がずいぶんといろんな場所の景色を、音や匂い、そこに生きる人の顔とともに思い浮かべられることに気がついた。それは今後自分がどこでどうやって生きるにしろ、自分の中にあり続ける宝物のような感覚なのだろうとぼくは思った。

 もう、帰ろうか――。どちらからともなく、そう言った。
 もう、ここでこの旅を終わりにしようか――。
 ケニアのマサイマラやタンザニアのセレンゲティといった有名な動物スポットをこれから訪れるつもりだった。しかし、ヴワザの景色を前に、これ以上の気持ちにはなれないのではないかと、ぼくもモトコも感じていた。それは自分たちが疲れていたということでもあった。ケニアまで行こうと言いながら、ただ、旅を締めくくる理由が見つかる場所を探していたのかもしれなかったとぼくは思った。ヴワザは、いろんな意味でその場所にふさわしかった。
 少しだけぼくは考えた。そして二人ともが決断した。
 うん、帰ろう――と。

 夜、6時半にはすでに真っ暗になっていた。そのころには食事も終え、8時にはベッドに横になった。旅を終えるという決断は、気持ちをすっきりさせるとともに、いろんな思いを去来させた。そのせいか、夜、なかなか寝ることができなかった。
 あるとき小屋の周りで、ドシッ、ドシッと足音がした。カバなのか、ゾウなのか。薄い壁の一枚向こうを大きな動物が歩いていることは確かだった。どこか非現実的な音に息をひそめ、耳を澄ませた。その足音が通り過ぎると、再び周囲は風に揺れる木の音だけとなっていった。

 そして翌朝。
 7時にはヴワザを出た。入口ゲートを出たところでバックパックを地面に置き、車が来るのをしばらく待った。
「ああ、本当に終わりなのか・・・」
 ぼくは何度も、そんなことをつぶやいていた。本当にこの旅が終わってしまうと考えると、やはりどこか信じられない気持ちになった。

第106回 ゾウが与えてくれたもの(最終回)

ヴワザから出るとき。軽トラックが来るのを待っている。

 5年前、永遠に終わりのない旅がしたいと思ってぼくらは日本を出発した。旅をしながら金を稼ぐ方法があれば、きっとそれもできるんじゃないか。いつまでも終わりがない旅をして一生暮らすことができたら、そんなに幸せなことはないんじゃないか――。

 それが、ぼくが夢見ていたことだと言ってもいい。しかしその夢が実現することはなさそうだった。帰るという決断は、その夢を絶つことでもあるにちがいなかった。
 だがこのときぼくは、不思議な昂揚感を感じていた。帰ることにとても前向きな気持ちでいたのだ。それは、心の奥に一つの確信があったからだ。ぼくはこのとき、確かにこう確信していたのだ。
 旅は、終わりがあるからいいのだ、と――。
 終わりがあって有限だからこそ、感動がある。終わりが来ることが分かっているからこそ、いまこの瞬間が貴重なのだ。この5年の間に、いくつもの局面でぼくはそのことを痛切に感じるようになっていた。
 それは、人生もまったく同じであるはずだった。いつか終わりが来ることをわかっているからこそ、いまこの瞬間を楽しもう、懸命に生きようというエネルギーが沸いてくるにちがいないのだ。
 そう気づいたとき、旅立ち前に見ていた夢は、もはや目の前からその姿を消していた。

 ただこのとき、そうは言ってもこれから始まる現実が甘くないだろうことはわかっていた。帰ってからとりあえずどうやって生きていこうか。おれたち、いったいどうなるんだろう・・・。考えてわかることでは決してなかった。

「もっちゃん、どうする? おれ、ライターで食っていける自信全然ないよ。やっぱり就職しないとだめなのかなあ。って言っても、何をやったらいいんだろう・・・」
「うーん、まあ、なんとかなるって。帰ってから、考えよ」

 帰国は、自分たち夫婦にとってもまったくの新しいスタートだった。結婚してからぼくらはずっとこの旅の中にいたのだから。日本で二人で暮らすのは、じつは初めてのことなのだ。これからぼくたちがどうなっていくのか。それもまた、まったくわからない。ただ、この5年は、きっとぼくたち二人の中で、これからじわりじわりと効いてくるにちがいない。そうだ、まだ旅は終わってない。すべて帰ってから考えればいいはずなのだ。
 なんとかなる――それが、ぼくがこの旅で得た最大の教訓なのだから。

 軽トラックがやってきた。
「乗れ、乗れ! 行くぞ!」

 荷物を押し込み、ぼくらもその荷台に乗り込んだ。すでに乗っている地元の人たちの間になんとか席を確保すると、トラックは一気に、茶色く細かい砂の道を加速した。
 ぼくもモトコも、目の前の荷物につかまり、足にぐっと力を入れる。後ろに遠ざかるヴワザの景色を黄色の砂埃がかき消した。
 帰国に向けた第一歩が始まった――。それは同時に、新たな生活へのスタートだった。

 しかし、このときまだ考えることは山ほどあった。一体ここから、どうやって日本に帰るのがいいのだろうか。どれだけ時間がかかるのだろうか。
「一気に日本まで飛んじゃおうか?」
「いや、せっかくだから、どっかでリゾート気分を味わおうよ!」
 長い旅が終わった気になりながら、日本までまだ相当な道のりが残っていることに、このときぼくは気がついた。







第106回 ゾウが与えてくれたもの(最終回)

この旅で一番最後に撮った一枚。マラウィ湖を走る船の上から撮影。
ボートには、ぼくらの船に乗っていた数人が乗り込み、岸に向かう。
奥の陸地はマラウィの隣国モザンビーク。


第106回 ゾウが与えてくれたもの(最終回)

南アフリカ(South Africa)からの移動経路。ヨハネスブルグ (Johannesburg)からクルーガー国立公園(Kruger National Park)などを経て ボツワナ(Botswana)、ザンビア(Zambia)へ。ザンビアのチパタ(Chipata) のすぐそばからマラウィとなる。

 連載を読んでくださっていたみなさまへ

 こんにちは。近藤雄生です。
 いつも読んでくださり、本当にありがとうございます。おかげさまでようやく、旅の最後までたどり着くことができました。 
 2009年の夏に始まった『遊牧夫婦』の連載は、今回の第106回を持って終了します。途中にブランクはあったものの、4年間書いてきたこの連載が終わるのは、本当に感慨深いものがあります。これを書き終えたことによっていま、もう一度、この長い旅を終えた気分になっています。
 とはいえまだ、書籍版の最終巻を仕上げるというとても重要な仕事が残っています。ウェブで書いたものは自分の中ではまだ草稿です。これを再度大幅に書き直し、丹念に磨き上げた上で書籍にします。それができ上がったときに、本当にこの連載が終わりになります。そしてそのとき、この5年の旅が本当に完結するような気がしています。
 
 本当にありがとうございました!
 書籍版も是非楽しみにしていただければ幸いです。
また、この連載の場を与えてくださったミシマ社のみなさまにも心より御礼申し上げます。

 一週間後、6月23日で、この『遊牧夫婦』の旅が始まってちょうど10年となります。
 

2013年6月16日 近藤雄生

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近藤雄生(こんどう・ゆうき)

1976年東京生まれ。ライター。大学院修了後、旅をしながら文章を書いて暮らそうと決意し、2003年に妻とともに日本を経つ。

オーストラリアでのイルカボランティア(2003-04)に始まり、東南アジア縦断(2004)、中国雲南省で中国語の勉強(2005)、上海で腰をすえたライター活動(2006-07)、その後、ユーラシアを横断してヨーロッパ、アフリカへ(2007-08)。

旅と定住を年単位で繰り返しながら、各国からルポルタージュ・写真を週刊誌・月刊誌(「週刊金曜日」「読売ウィークリー」「中央公論」「世界」など)に発表し続け、あれよあれよという間に5年半。

疲れきって08年10月についに帰国したものの、旅は生活になると確信。現在、京都から、書籍、雑誌、講座などでいろいろと発信中。

著書に『遊牧夫婦』『中国でお尻を手術。』(ともにミシマ社)がある。

YUKI KONDO

遊牧夫婦


中国でお尻を手術。


終わりなき旅の終わり

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