女性たちの冥界下り 安田登×大島淑夫
2018.05.02更新
2015年5月に創刊された「コーヒーと一冊」シリーズ。おかげさまで好評をいただき、第1弾の3冊には、読者の方からもたくさんのご感想を寄せていただいています。
そしてあっという間にあれから半年。いよいよ第2弾の3冊が、2015年12月8日に全国で発刊となります。第1弾に負けず劣らずの濃厚なラインナップの中から、今回の特集では『イナンナの冥界下り』にまつわるご対談をお送りします。
ところで、「『イナンナの冥界下り』って何?」という方も少なくはないかと思いますので、簡単にご説明します。「イナンナの冥界下り」は紀元前2000年くらいに、シュメール語で書かれたメソポタミアの神話で、原型は紀元前3000年くらいにはできていたと言われています。
とても短くあらすじをご紹介しますと・・・
天と地を統治していたイナンナは、ある日、冥界へと心を向け、7つの〈メ(神力)〉を身につけて、生きて帰ることはできないといわれる冥界に向かいます。冥界に着いたイナンナは、冥界の女王エレシュキガルの命令により、すべての〈メ〉を剥ぎ取られ、釘に吊り下げられてしまいます。その後、イナンナの義理の父、大神エンキの力でイナンナが蘇ると、なぜかイナンナと一緒に弱っていたエレシュキガルもまた蘇ります。
このコーヒーと一冊『イナンナの冥界下り』には、この「イナンナの冥界下り」の現代語訳や、あらすじ、この神話をもとに考察した「女性」の話などが盛りだくさんに入っています。本当は、あれもこれも、ほかにも入れたいエピソードが溢れに溢れていたものを、ギュギュッと96ページにまとめたため、こぼれてしまったお話もたくさんあります。そのひとつが、今回のご対談相手の大島先生のエピソードです。
ガンを宣告された方に対するケアを主にされている大島淑夫氏は「イナンナ」について、ガンを宣告された方、とくに女性の問題と関連して興味深い考察をされていますが、紙幅の関係で今回はご紹介することができません。残念。(――本文p83より)
そこで、ぜひ大島先生にミシマガにご登場いただき、紙幅におさまりきらなかったお話をうかがおう! という企画が生まれたのでした。
著者で能楽師の安田登先生と、精神科医で、ここ数年はガンの患者さんへの心のケア、サポートを中心に取り組まれている大島先生は20年来のお付き合い。『イナンナの冥界下り』は、そもそも紀元前3千年の世界から現代を考察するというディープな一冊なのですが、さらにその深みへと下りていくかのような対談、ぜひお楽しみくださいませ。
(構成:星野友里、写真:池畑索季)
女性性を獲得するための通過儀礼
安田 数年前に僕たちが主宰している能の会で「隅田川」(能楽作品の一つ)をやったときに、これは狂女が主題になっている作品なのですが、大島先生に来ていただいて現代と中世の「狂気」はどう違うのかということをお話願ったところ、それが出演者一同度肝を抜かれる解釈で。それ以降「隅田川」を見る目が変わりました。
大島 ときどき声をかけていただいて、そういったお話をさせていただいています。今回の「イナンナの冥界下り」は、聞いた瞬間に面白そうだなと思いまして。
安田 もともとユング派の精神分析医が書いた本から「イナンナの冥界下り」を知ったということもあって、現役の精神科医がこれをどう読むかというのを知りたいなと思いました。ユング派の分析家のペレラという人が81年に書いた、『神話に見る女性のイニシエーション』という本なのですが、「イナンナの冥界下り」は、男性社会の中で、本来の女性性を獲得するための通過儀礼みたいなものではないか、と解釈しています。80年代、女性がバリバリと仕事をし始めた時代なので、今とはまた少し世相が違いますけど。
大島 女性性を削ぎ落として「男性と同じように」とやっていると、たとえばうつになって会社に行けなくなってしまったりするわけです。グレートマザー(※)の世界=冥界に一度回帰することが必要なのではないか。バリバリと働いていた女性が、もう一度女性性を回復するというところですよね。
※編集部註:母なるものを表すユング心理学の元型の一つ。神話では女神・魔女などの姿で現れ、育て養う側面と抱え込み吞み込む側面とをもつ。
――そのご縁で、大島先生は「イナンナの冥界下り」の公演(※)にもご出演されるのですよね・・・
※編集部註:2015年11月より、「イナンナの冥界下り」をシュメール語と日本語で能楽を柱に上演する公演が随時開催されている
大島 どうしようかなと悩んでいたら、もう名前が入っていたので。
安田 えっ、悩んでいたんですか??
大島 一応悩んでいたんですけど・・・「もう入っていますよ」と言われて(笑)
イナンナとエレシュキガルは同一人物・・・?
――「イナンナの冥界下り」では、すべてを持っていて、自由奔放なイナンナ(妹)と、葛藤の塊のような冥界の女王エレシュキガル(姉)、2人の主役の対照的な性格が印象的です。
大島 イナンナのシャドウ(※)がエレシュキガルなんですよね。イナンナにとっては、エレシュキガルがいる冥界は、死の世界でもあるし、無意識の世界でもある。それまで無いものにしてきた世界です。
※編集部註:ユング心理学が提唱した元型の一つで、個人において生きてこなかったもうひとつの側面であり、意識にとって 許容できない自分の暗黒面のこと。
そもそもイナンナはなぜ冥界に行こうと思ったのか。それは、無意識に、その世界に興味を持ってしまったからなのではかなと思いました。自分の影の部分=エレシュキガルが、なぜそこにいるのかわからないけど、そこにいたから。自分の知らない、見ないようにしてきた面に惹かれてしまったのかなと。
大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた(心を向けた)。
神は大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた。
神イナンナは大いなる天より大いなる地へとその耳を立てた。
(「イナンナの冥界下り」現代語訳の冒頭より。イナンナがなぜ冥界に行こうと思ったのかは書かれていない)
安田 シュメール語では「イナンナ」と「エレシュキガル」というのは、ほとんど同じ言葉なんです。イナンナが天の主(しゅ)、エレシュキガルが冥界の主(しゅ)。それに、物語の中でイナンナが弱っていく場面では、理由の説明はないのだけれど、なぜかエレシュキガルも弱っている。どっちかだけが、ということはないんです。
イナンナは絶対に精神科のクライアントになりそうにない
大島 最初に「イナンナの冥界下り」を読んだときには、主人公のイナンナに興味をもっていたのですが、最近、妙にエレシュキガルに感情移入をしてきているんです。
安田 エレシュキガルいいでしょ。ちょっと親近感というかね。
大島 エレシュキガルはイナンナが冥界にやってきたとき、すごく怯えていますよね。
このときエレシュキガルは腿の横を打ち、
唇に歯を立て(嚙み)、心(腹)に届くことばを発し、
門番の長ネティに言った。
(「イナンナの冥界下り」現代語訳、イナンナが冥界に着いたときのエレシュキガルの反応が書かれている部分。)
安田 大島さんの解釈で面白いのは、エレシュキガルが「怯えていた」というところですよね。「怒っている」というのはわかるけれど。
大島 あれは、怒りというよりも、すごく怖がっていて、それが逆に攻撃に出てしまうということではないかなとと思います。
そして、怯え・怒りから、許し・感謝へというプロセスは、心や身体が癒されていくプロセス、まさにそのものだなぁと思うのです。エレシュキガルがそのプロセスを歩むところに、すごく共感するんです。
安田 そんな姉エレシュキガルに対して、妹のイナンナは絶対に精神科のクライアントになりそうにないですよね。
大島 たしかに・・・! イナンナは病院こないですよね。精神科医の僕としては、そこでエレシュキガルのほうに興味が湧くのかもしれないですね。
乳がんの女性の「冥界下り」
大島 「イナンナの冥界下り」では、冥界にたどり着いたイナンナは身につけていた7つの「メ」(※)をつぎつぎと剥ぎ取られてゆきますね。そして弱い肉となって死んでしまったイナンナは、生命の草と生命の水によって蘇ります。
※編集部註:イナンナが冥界に行くときに身につけた、かぶり物、胸飾り、腕輪などの神力のこと
これは、ユング心理学で言うと、ペルソナ(※)の仮面がひとつひとつ取られていって、一度は死を経験し、再生するというプロセスなのかなと思いました。そして、僕が専門にしているがん患者さんのケアの話で言えば、乳がんの女性はイニシエーションを経験している、まさに「冥界下り」だなと。
※編集部註:人間の外的側面のこと。
病院にきて、突然「乳がんです」と言われて、冥界下りがはじまる。これは難しい問題ですが、それはもしかしたら無意識に選択してしまったことなのかもしれない。そういうプロセスを始めることを選んでしまったのかもしれない、そんなことを感じたりもします。
そして、手術で胸を取られて、髪が抜けて、生理がとまって・・・。そういう冥界下りを、知らず知らずのうちにしてしまうというふうにも見ることもできるのかなと思いました。
安田 そうですね。
大島 精神科医なので、能で言えばワキ方というか、見守る立場なんですけど。その冥界下りのプロセスを支えていく、そういう仕事なんですよね。がん患者さんたちは、その渦中にいると、今起こっていることがよくわからなくなったりしますよね。わけのわからない怖さに直面している。でもぼくらは、それも必要なプロセスだったりするんだなということをわかって見守っていてあげられる。そういう役割なのかなと。
「今ここ」に集中できていれば、痛さは感じない!?
大島 イナンナは「死」を怖がっていないですよね。そこがすごいなぁと思いました。
安田 チベットに行ったときに姥捨ての一行に遭遇したことがありました。みんなは泣いているけれど、当のおばあちゃんだけはニコニコしているんです。山の中腹にある小屋に入って、食事は人が運んできてくれるのですが、自分で食事の量を減らしていくのだそうです。そうすると、「生きたい」という気持ちが少なくなっていく。山の裏側では、鳥葬をしていて、そうすれば観音様のもとへ行けると信じているから、むしろ姥捨て山に行けることは嬉しいことなんですね。
「イナンナの冥界下り」に当てはめると、残される泣いている人たちがエレシュキガルで、おばあさんはイナンナになっている。いろいろなものを剥ぎ取られていくことも、現世へのこだわりがなければ、そんなにこわくないのかもしれません。
エレシュキガル側の人たちは、リニアな世界に生きているので。過去があって現在があると、継続する直線の先に未来があると思ってしまいます。でも、常にここがゼロで、このゼロからすべてがが始まるとなれば、おそれがなくなる。
大島 たしかに、心の病は、過去のことに落ち込んで、未来のことを心配する、というところから始まりますね。時間というものがあって、過去も未来もある、という前提で生じているものですよね。
最近注目されている心理療法で、マインドフルネス認知行動療法というのがあります。禅をベースに認知行動療法と組み合わせて、「Here、Now」というところに必ず気持ちを持ってくるというのを、瞑想などを用いながらトレーニングしていくというものなのですが、不安や抑うつに効くなどのエビデンスもしっかり出てきているようです。
安田 じつは『存在と時間』(ハイデッガー)を読んだときに、その実験をしたんですよ。「歯が痛い」というときに、実際の歯の痛さと、頭が認識する「歯が痛い」というのとはずれているじゃないですか。だから「今ここ」に集中できていれば、痛さは感じないんですよね。そうするとね、本当に痛みを感じないんです。ただ問題は、長続きしないんですよね。その間は痛くないんですけど、ちょっと気を抜くとすぐに痛くなる(笑)。
最近夢の中で未来を考えるようになってきてしまった
安田 先日、『イナンナの冥界下り』を観るためのプレ講座をしたのですが、そのとき大島さんは、ユングはあまりにも無意識の世界にリアリティを感じ過ぎていた、とおっしゃっていましたよね。「無意識」というのは、19世紀末に考えられたばかりの概念なのに、現代ではすごいリアリティを与えられています。それはある意味、人を暗くしてしまう危険性もありますね。人の心に不安をつくってしまうような。
大島 闇は自分でつくったものなのに、それをああだこうだといくら解釈しても、そこからは光は見えてこない。余計にきつくなる人もいますよね。「トラウマ」という言葉もひとり歩きしていますが、そういう「無意識」や「トラウマ」という言葉に力を与えてしまって、それに自分が巻き込まれてしまう、というのはある気がします。
しかし、現代は心の副作用がかつてないほどに増大しています。本来は生存のために生み出された心が、むしろ私たちの生存を脅かしています。悩みや不安という心の副作用のために自殺をしてしまう人があとを絶ちません。(――本文エピローグ(p92)より)
――『イナンナの冥界下り』の中で、安田先生はそういった社会のことを「不安創出社会」「心の時代」と呼んでいて、そろそろ、そんな「心の時代」の次の時代がやってくるのでは、というお話を展開されています。精神科医の大島先生にとって、「心の時代」の次の時代というのは、どういうイメージでしょうか?
大島 うーん、そうですね。ナヤミムヨー(笑)、じゃないですかね。なんというか、いろいろなものから解放されて、ほんとうに大切なものは何か、というところでつながれる社会ですかね。みなが共通にもっている、大切なもの、愛といえるかもしれないし、かわらない確かなもの、でつながれるという社会になるといいなと思っています。
安田 本書の中で、心の前の時代(イナンナの時代)というのは、夢に似ているという話を書きました。夢の中では、過去のことを悔やんだり、未来を心配したり計画したり、ということはしませんよね? 簡単に人が入れ替わったり、場面がとんだりもする。夢というのは、「心の前の時代の記憶」を内蔵しているものなのではないかと考えたのです。
「心の前の時代」は「夢」そっくりです。すなわち「心の前の時代」は夢として、私たちの体内に宿っているのです。(――本文エピローグ(p89)より)
そんなことを、書いたり話したりしていたら、最近夢の中で未来を考えるようになってきてしまったんですよ。そしてそれをツイッターに書いたら、自分もそうなんです、という人がほかにもいる。それは、「心の時代」が夢の中にまで入り込んできたと言えるのかもしれません。そういう人が増えてきた時に、「心の時代」の次の時代がポンと生まれるのではないかと思うんです。
・・・いかがでしたでしょうか。ディープワールドでありながら、現代の最先端のお話が書かれているとも言える『イナンナの冥界下り』、ぜひお手にとってみてください。
プロフィール
安田 登(やすだ・のぼる)
1956年千葉県銚子市生まれ。能楽師のワキ方として活躍するかたわら、甲骨文字、シュメール語、論語、聖書、短歌、俳句等々、古今東西の「身体知」を駆使し、様々な活動を行う。「イナンナの冥界下り」をシュメール語で能楽を柱に上演する公演は、2015年11月から各地で随時行われる予定。著書に『異界を旅する能 ワキという存在』(ちくま文庫)、『日本人の身体』(ちくま新書)、『あわいの力 「心の時代」の次を生きる』(ミシマ社)など多数。