第1回
スラッシュキャリア、どれも本業
2023.09.27更新
みなさま、はじめまして。市川いずみと申します。
京都出身の35歳、女性。職業は「一応」"アナウンサー"です。"ライター"として野球コラムの執筆などもしています。でも、最近は"ピラティストレーナー"として働いている時間がいちばん多いです。あとは、"研究者"としても活動していますし、"広報"のお仕事もしています。結局何者なのか? と言われると自分でも「わかりません」。一つだけいえるのは、どれかが本業でその他が副業というわけではないということ。性格上適当にできないものですから、私にとってはどれも本業です。ただ、歴が一番長いというだけでアナウンサー職を冒頭で紹介したまででございます。アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報。複数の肩書や経歴によってキャリアを形成する、いわゆるスラッシュキャリアです。
高校まで京都市内の学校に通い、関西大学法学部を卒業した後、山口朝日放送というテレビ朝日系列の地方局にアナウンサーとして就職しました。山口県には縁もゆかりもありません。ただ「野球を仕事にしたい」という一心で飛び込みました。
そうです。大事なことをお伝えし忘れておりましたが、私がこの世で一番好きなのは野球です。カテゴリーは問いません。週末はインターネット配信サービスを駆使して地方の高校や大学から社会人、NPB(日本プロ野球)、海の向こうのMLB(メジャーリーグベースボール)まで、1日に6試合ほど観ることもあります。好きな場所は甲子園球場と神宮球場。好きな香りは球場に充満する芝生と散水後の土、焼きそばや焼き鳥の匂いです。なぜ、こんなに野球が好きなのか、野球が好きになった理由は次回以降お話したいと思います。暑苦しくなると思いますがご了承ください。
キャリアの話に戻ります。新卒で入社した山口朝日放送は当時、甲子園出場をかけた夏の山口大会を1回戦から中継していました。入社試験を受けた理由はただそれだけです。野球に関わりたいから。選考過程でアクシデントもたくさんあったのですが(後日詳細を)、今の自分があるのはすべてこのアクシデントがあったからだなとも思います。そんなこんなで初めて関西を飛び出し、山口県民となりました。希望通り、1年目から中継の中でのスタンドリポートを担当し、野球を仕事にすることができました。真っ黒に日焼けし炎天下での汗がメイクも流してしまいましたが、「楽しい」以外の言葉はありませんでした。しかし、2年目に"クビ"宣告。夏を前にウキウキしていた私は、野球大好きディレクターに呼び出されました。「この夏は何を任されるのかな♪」なんて浮かれた気持ちは今思えばバカみたいなものでした。「今年は新人が2人入ってきたでしょ?なので、スタンドリポートは1塁側、3塁側をその二人に任せるから。お前は夕方のニュース番組の中で、試合結果を伝えるコーナーを担当してほしい」。確かに、夏は実況で忙しくなる男性に変わって先輩の女性アナウンサーたちは内勤のニュース勤務を担っていた。「あぁ...後輩が入ってくるということは私もいつか球場に行けなくなってしまうのか」。野球の仕事がしたくて山口県に行ったのに。会社員なのでもちろん仕方のないことなのですが、私はこの会社で野球に関わり続けるにはどうすべきか考えました。
その時、ええ声の報道局長が「女性でも実況していいんだよ」とつぶやきました。いち野球ファンとして女性実況は聞きなれないだろうし、できる自信もないし、大変そうだし。正直「それはやりたくない」気持ちでしたが、男性の先輩アナウンサーが「手伝うから手を挙げたら?」と背中を押してくれました。「実況やらせてください」。つるつる頭のええ声の報道局長に志願すると、すぐに大阪の朝日放送で毎年春に行われている実況研修に参加することになりました。壮絶な研修についてはまた後日。女性実況アナウンサーとして野球の仕事を獲得した私は、面白いくらい下手くそな実況にも関わらず、手前味噌ですが、ANN系列アナウンス賞スポーツ実況部門最優秀新人賞を受賞しました。
実況を3年間担当しましたが、野球に浸れるのは夏だけ。「やっぱり毎日ニュースになるようなプロ野球の現場で働きたい」。山口朝日放送を5年で退社し、フリーアナウンサーに転身しました。東京と地元の関西でいくつかの事務所に書類を提出し、ご縁あって現事務所に所属しました。さっそく毎日放送のラジオとGAORAで阪神タイガース中継のリポーターとスタジオアシスタントを担当できることになったのです。初めてのキャンプ取材は1カ月まるまる沖縄に滞在し、毎日宜野座の球場で取材しました。これが私と阪神タイガースのスタートです。この後の連載でも私の人生を変えてくれた阪神タイガースについてはたくさんお伝えしていきます。
結局阪神タイガースのいわゆる担当記者は2015年シーズンから6シーズン務めました。なぜ現場記者から離れたのかというと、記者として選手と関わる中で、怪我を理由に思うようなパフォーマンスができなかったり、選手生命が断たれてしまったりすることがすごくもったいないと思うようになったからです。ちょうどその頃、私は趣味でピラティスに通っていました。そこで、ピラティスがアメリカの四大スポーツでは既にトレーニングやリハビリテーションとして浸透していると知り、これで野球選手の怪我の予防などに役立てるかもしれないと、ピラティスインストラクターの資格をすぐに取得。しかし、まだまだ野球界にピラティスは浸透していなかったことと、科学的にも知見が得られていなかったため、当時取り組む選手はいませんでした。
「では、私が野球選手の怪我に対するピラティスの効果を検証すればいい!」と、関西でのお仕事を卒業し早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程に入学。スポーツ医学コースで"野球選手の腰痛に対するピラティスの効果"をテーマに2年間研究に勤しみました。早稲田大学野球部の多大なるご協力のおかげで、無事2年で、35歳で大学院を修了。科学的にも野球選手の腰痛にピラティスは効果がある可能性を示すことができました。
その間NPBの中でもピラティスに取り組む選手は増えていき、私も阪神タイガースからピラティスの講師としてお声がけいただきました。今度は選手たちに「先生」と呼ばれながらグラウンドで一緒にお仕事させてもらうようになりました。こんなことになるなんて全く想像すらしていませんでした。今では、プロ野球選手だけでなく、社会人や大学野球選手、高校野球チームやプロゴルファーを目指すアスリートなど沢山の人の身体を診させていただいています。アナウンサーよりピラティスの仕事の方が圧倒的に多いです。
冒頭で"研究者"も名乗りましたが、正確には博士号は未取得なので研究者とは言えません。しかし、修了後も研究室の仲間と一緒に野球選手とピラティスの研究を継続しており、今年も学会に参加予定です。現場感覚ももちろん大切ですが、その感覚を裏付けられればもっと良いのではないかと、野球界の一助になれるよう学びの日々は続いています。そしてもう一つ、"広報"について。野球選手だけでなく、全アスリートのセカンドキャリア支援に関するプロジェクトに今春から加入しました。三菱総合研究所が行っている今後の日本に必要な取り組みで、今度はキャリア支援という角度からアスリートをサポートしたいと奮闘しています。
アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報。スラッシュキャリアの私には"躊躇"という言葉がないかもしれません。もちろん上手くいかなかったことの方が多いのですがそれでも現在はやりたいことを楽しくやらせてもらっています。性別、年齢、環境などさまざまな理由でチャレンジしようという気持ちにブレーキをかけてしまっている。そんな方々が少しでも一歩前に踏み出す勇気になりますと幸いです。このコラムの連載も初めての試みです。温かくお付き合いください。