35歳大学院生

第5回

ソフトボール部で大食いに

2024.01.15更新

 2024年がスタートし、半月が経ちました。みなさん、今年もコラムにお付き合いください。よろしくお願いいたします。
 お正月はどのように過ごされましたか? 前回の続きになりますが、我が家は祖父母や両親のおかげで、自然と食育をしてもらえる環境だったので、しっかりとお節料理とお雑煮をいただくのが風習になっています。お節もただ食べるだけでなく、「レンコンは将来の見通しがよくなるように」、「くわいは、芽が出ているから芽出たい、芽が出るように」、「黒豆はマメに暮らせる、働けるように」など、それぞれの料理の意味も祖母が教えてくれました。お雑煮は地域によって違うのもとても興味深いです。父の田舎の兵庫県豊岡市では、小豆を炊いた、いわゆるぜんざいがお雑煮として出されます。山陰地方ではこのような家庭が多いよう。一方、生まれ育った京都では、白みそ仕立てのお雑煮が一般的です。白いお味噌汁に金時人参が映えるんですよね~。1月7日には無病息災を願って、朝から七草がゆを。このように行事食を大切にしてきましたが、食を通して日本の文化・風習を知ることができ、今となっては贅沢ともいえるこの環境に感謝しかありません。

 食のウエイトが高い家庭で育った私は、食べる量ももちろん人一倍、いや二倍かもしれません。身体が小さかった小学生の頃はそこまで大食いでもなかったのですが、中学生から一気に食べるようになりました。
 食事量が増えた一番の理由は部活動です。第2回で、小学生のころから駅伝やソフトテニスに没頭していたとご紹介しましたが、中学ではソフトボール部に入部しました。小学生の頃にソフトテニスで京都府TOP10に入り、ペアを組んでいた友人にも「ソフトテニス部に入ろう!」と誘われましたが、練習をみていると「はぁぁい」「わかりましたぁ~」という返事が聞こえ、女の世界を感じてしまったのです(笑)。私がとても苦手とするところで、ソフトテニス部には見学にすら行きませんでした。そうなると、選択肢は陸上部のみ。「駅伝の強豪校、立命館宇治に行って都大路を走る」と小学生の時に意気込んでいたので、4月の仮入部では陸上部を訪問しました。しかし、先輩たちの後ろについて、ただただ走る日々。「もしかしたらこれは面白くないかもしれない・・・」。
 そんなことを思いながらグラウンドを走っていると、隣でサラサラのショートカットをなびかせて、華麗にボールを投げている先輩の姿が目に留まりました。「かっこいい!!!!!」。これが、ソフトボール部を知った最初の景色でした。もともと、部活動をするからには強いチームで活動したかった私。陸上部は府大会に出場する選手もいないレベルでしたが、ソフトボール部は京都府で常に決勝戦に進むような強豪でした。祖父が巨人ファンだったこともあり、遊び用のグラブを持っていた私は、その日帰宅すると、グラブをはめて、壁に向かってボールを投げていました。めちゃくちゃ単純ですよね(笑)。気持ちは完全にソフトボール部に移っています。
 すぐにソフトボール部にも仮入部に行きました。すると、先輩や監督は、びっくりするほど優しい。「こんなに優しい指導者のもとで、なおかつ勝てるチームだなんて最高だ!」。そう思った私は、ソフトボール部で3年間頑張ることを決めました。友達と一緒だからこの部活にしようなんて考えは微塵もありませんでした。今振り返ると、ソフトボール部の同級生には小学生時代の友人は一人もいなかったですね。それほどかっこいい先輩たちに魅了され、目を輝かせていました。ボールを投げたり、バットを握ったり。走るのだってしんどいけれども、楽しさの方が上回る。そんな毎日でした。

 ちなみに、中学入学時は身長が143センチ。体重は40キロあったかな? といった小柄な12歳でした。背の順ももちろん一番前です。当時は、土日は終日練習が当たり前で、平日も下校時間ギリギリまで練習していました。小柄な私にとっては、かなりの練習量だったと思います。そのおかげ? もあって、食欲は増幅。学校に持っていくお弁当箱は男性サラリーマン用の二段弁当で、それにぎっしりご飯を詰めてもらいました。お弁当だけではもちろん足りず、プラスしてパンを2つ持っていく日も。高校球児くらい食べていたと思います。土日の練習日は、夏には大きいタッパーにそうめんをいれてもらい、おにぎりと一緒に持たせてくれました。それでも太るなんてことは全くないほど、練習はハードでした。
 身長は順調に伸び、3年生のころには158センチになりました。背の順で並ぶクラス写真も、人生で初めて立って撮ることができました(2列目になった!)。ソフトボール部に入り、運動量と食事量が増したことで身体はとても成長しました。
 でも、それ以上に成長したのは "心" です。このように書くととても綺麗に聞こえるのですが、入部直後の指導者の優しさは、まさに "蟻地獄" だったのです。現代にはありえない部活動の実態とは・・・。次回は壮絶なソフトボール部の3年間を暴露します。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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