35歳大学院生

第9回

初めての聖地・甲子園

2024.07.22更新

 最高気温が40度を超える日も遠くないのではないかと思うほど、6月末から急に暑くなりましたね。一歩外に出るだけで嫌な汗をかくので、この暑さには不快感をも覚えるのですが、実は嫌いではないのです。朝玄関を出た時の湿度、気温、風。すべてが「あぁ夏が始まったなぁ」とワクワクさせるのです。その空気感は、そう! 高校野球です!
 各地で甲子園出場をかけた地方大会が始まっています。すでに野球生活に終止符を打った球児もいれば、勝ち進んで甲子園出場が現実味を帯びてきたチームもあるでしょう。今では全国の地方大会をインターネット媒体で、リアルタイムでチェックできるので、毎日ウェブ上で全国の球場を行ったり来たりしています。どうしてここまで野球が好きになったのか。今回は私の人生を変えてくれた野球との出会いについて読んでいただければと思います。

 通路からスタンドへ出たときに飛び込んできた圧巻の光景は、今でも鮮明に浮かんできます。画面越しに見るよりもうんと広い球場。青空、入道雲、芝生のコントラスト。浜風に乗って漂ってくる、カレーや焼きそばの香り。「これが甲子園か」。中学1年生の私は圧倒されました。もともと高校野球にはそれほど興味はありませんでした。「甲子園行くか?」父の言葉に誘われて、当時ソフトボール部に入部したばかりの私は勉強する心持で甲子園に向かいました。球場に一歩踏み入れた時に圧倒されたと同時に「ここで仕事したいなぁ」。職業ではなく、この甲子園球場という場所で仕事がしたいという気持ちが湧いてきたのです。前回までに中学生の頃の夢は新聞記者と綴っていましたが、もしかするとこの時も記者としてここで取材をしたいという想いもあったのかもしれません。とにかく、職種は別として、この聖地に一瞬で魅了されたんです。
 まだ改修される前のオレンジの座席に座り、すぐに溶けてしまうソフトクリームを食べながら試合を観ました。地元京都の鳥羽高校と、名門横浜高校の一戦です。試合は2対1で横浜高校が勝利。初めて聖地で聞いた横浜高校の校歌は、今も特別です。敗戦した鳥羽高校の失策した選手の涙がとても印象的で、汗と涙を流すお兄さんたちがかっこよくって、一瞬にして高校野球に恋しました。同じ日に、光星学院高校(現八戸学院光星)の試合もあり、その途中まで観戦。二桁背番号の主将だった小浜高巧聖さんは伝令に送られると、途中で "わざと" 転んだのです。球場にいるときは「あの人コケはったわ~!」くらいに思っていたのですが、実は10年以上の時を経て場を和ませるために転んだということを知ることになります。試合に出ていない選手にも役割があり、チームのために考え行動する姿もまたかっこよく映りました。
 こうなるとどっぷりハマるのが私の性格です。翌日以降は、ソフトボール部の練習が半日の日や休みの日には甲子園に足を運びました。当時は外野席が無料だったので、日陰のない外野席に座り、甲子園で輝くお兄さんたちを食い入るように見ていました。私は今でも甲子園のヒーローは誰ですかと聞かれたら「智弁和歌山の堤野健太郎さんです」と答えます。私がどハマりした2000年夏の優勝校、智弁和歌山の主将だった堤野さんです。この年の智弁和歌山はその後ヤクルトスワローズに入団した武内晋一さんや、ミスター社会人といわれENEOSで長年活躍された池辺啓二さんなどがいました。大会100安打、11本塁打を記録するなど圧倒的な打力で優勝したのですが、武内さんや池辺さんではなく、私は優勝キャプテンに心を奪われました。堤野さんは決勝戦の東海大浦安戦で2本の本塁打を放ったのですが、全く笑顔を見せずにダイヤモンドを一周したんです! 「なんてかっこいいの!」。俳優の竹野内豊さんに似たフェイスも素敵でした。しかし、日本一まであとアウト一つとなった時、それまでクールにみえた堤野さんがショートを守りながらあふれる涙を堪えられなくなっていました。これまでのいろいろな思いがこもった涙は美しく、クールさとのギャップにさらにやられました。20年以上経った今でも私の永遠のヒーローです。
 実は、堤野さんの存在はその後私のアナウンサーとしての夢を叶えてくれるものとなるなどこの時は知る由もなく・・・。それについてはフリーアナウンサー転身編で綴ろうと思います。
 このように2000年の夏、「甲子園行くか?」という父の一言でどっぷり野球の世界に心酔した私。それがあっての前回までにお話しした2003年~2005年の阪神タイガースへの熱狂だったわけです。高校時代は薬剤師や弁護士などさまざまな夢が湧いては消えていましたが、野球が大好きという気持ちはずっと根底にあったのだと思います。そして、初めての聖地で「ここで仕事がしたい」という、初めて抱いた "場所" への憧れ。この「甲子園球場が大好き」という気持ちも、ずっと変わっていませんでした。
 次回はアルバイト三昧の大学生活、そしていよいよアナウンサーを志して挑む就職活動のお話をしていきます。驚くほどの惨敗・・・救ってくれたのは "赤ちょうちん" でした!

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 『中学生から知りたいパレスチナのこと』を発刊します

    『中学生から知りたいパレスチナのこと』を発刊します

    ミシマガ編集部

    発刊に際し、岡真理さんによる「はじめに」を全文公開いたします。この本が、中学生から大人まであらゆる方にとって、パレスチナ問題の根源にある植民地主義とレイシズムが私たちの日常のなかで続いていることをもういちど知り、歴史に出会い直すきっかけとなりましたら幸いです。

  • 仲野徹×若林理砂 

    仲野徹×若林理砂 "ほどほどの健康"でご機嫌に暮らそう

    ミシマガ編集部

    5月刊『謎の症状――心身の不思議を東洋医学からみると?』著者の若林理砂先生と、3月刊『仲野教授の この座右の銘が効きまっせ!』著者の仲野徹先生。それぞれ医学のプロフェッショナルでありながら、アプローチをまったく異にするお二人による爆笑の対談を、復活記事としてお届けします!

  • 戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』

    戦争のさなかに踊ること─ヘミングウェイ『蝶々と戦車』

    下西風澄

     海の向こうで戦争が起きている。  インターネットはドローンの爆撃を手のひらに映し、避難する難民たちを羊の群れのように俯瞰する。

  • この世がでっかい競馬場すぎる

    この世がでっかい競馬場すぎる

    佐藤ゆき乃

     この世がでっかい競馬場すぎる。もう本当に早くここから出たい。  脳のキャパシティが小さい、寝つきが悪い、友だちも少ない、貧乏、口下手、花粉症、知覚過敏、さらには性格が暗いなどの理由で、自分の場合はけっこう頻繁に…

ページトップへ