35歳大学院生

第12回

「伝える」仕事の新人研修

2024.10.17更新

 プロ野球もクライマックスシリーズがファイナルステージに入り、佳境ですね。毎晩プロ野球を夕飯のおかずにしている我が家は、メインディッシュを失った状態になり、夜はテレビ自体を付けない日も多くなりました。放送局で働いていた人間としては、あるまじき行為ですね・・・。さて、今回はその放送局員になるにあたってのいろはを学んだ、地獄の研修についてです。

 無事にアナウンサーとして山口朝日放送から内定をいただいた私に、入社前研修の案内が来ました。今はどうかわからないのですが、当時テレビ朝日系列では、全国の系列局の内定アナウンサーが集まり、2週間の研修を受けることになっていました。確か、大学4年生の2月ごろだったと思います。内定者のほとんどが、テレビ朝日のアナウンススクールに通っていて、ザ・アナウンススクールという場所に通っていなかった私は不安でいっぱいでした。ましてや、大学卒業まで関西を離れたことがなく、耳にするのも口にするのも関西弁。原稿読みどころか、標準語を話すのも自信がありませんでした。就職活動で東京に行ったことはあったものの、2週間もの長期滞在は初めて。山口朝日放送が、洗濯機や簡易キッチンがついている滞在型ホテルをとってくれていて、ホテルで食事を済ませられるようにと、母が用意してくれたレトルト食品を大量にスーツケースに詰め込み、いざ東京へ! テレビ朝日があるのは、あの六本木! 森ビルなんて、テレビでしかみたことがありません。六本木駅まで乗り換えなしでいける大門駅のホテルを用意してくれていたのですが、まずは都営大江戸線の深さに圧倒され、六本木駅に到着後も、テレビ朝日まで相当な時間をかけて到着したと記憶しています。そんな田舎者は、集合場所に到着してももじもじしていました。だって、そこにいる女の子はみんなとても華やかで、すでにオーラがある子ばかり。キラキラした同期に囲まれて泣きたくなりましたが、私を含めた15名の絆は地獄の研修のおかげで固く結ばれることになるのです。

 研修幹事は、テレビ朝日の男性アナウンサー2名と、女性アナウンサー1名。毎日研修ノートを確認し、今読み返しても目頭が熱くなるようなコメントを書いてくださった方々です。その他、テレビ朝日のアナウンサーの皆さんが講義をして下さりました。
 初日は全員一緒にボイストレーニングの先生の授業からスタート。スーツではなく、ジャージーに着替えて、基礎の基礎である腹式呼吸から学びます。正直、自分が正しく発声できているのかどうかもわかっていなかったように思います。そのくらい、ド素人の私には難しく感じました。そして、この程度の理解度しかなかった私は、研修2日目の朝に雷を落とされることになるのです・・・。

 研修では、毎日授業で学んだことをノートに書いて、翌朝アナウンス室に提出することになっていました。書き方は自由なのですが、2つだけルールがありました。1つは、ボールペンで書くこと。もう1つは、修正テープは使わないこと。万が一間違えたり、書き直したりする場合は、二重線で訂正印を押す。まだ学生だった私たちは、研修ノートにしては重々しく、とても厳しいなと思っていました。しかしこれには、言葉を扱う仕事に就くにあたって、非常に重要な要素が含まれていました。なぜ、書き直すことができない状況なのか。それは、「一度発した言葉は、取り消すことができないから」。言葉は時に人を傷つける凶器にもなるもの。そのくらいのプレッシャーと責任を持って、言葉を紡いでいかなければなりません。それを、話す時だけでなく、書く作業の際にも意識づけしていくのが狙いでした。さらに、修正できないとなると、書く前に頭の中をより整理しようと働かせることもできます。どのようにすれば端的に伝わる文になるか。言葉の選択は正しいか。朝から夕方までみっちり受けた講義を思い出しながら、右手の小指側面が黒ずむまでノートを書きました。

 2日目の朝に無事にアナウンス室にノートを提出し、1時間目の講義の部屋で待っていると、幹事アナウンサーが鬼の形相で入ってきました。「今日、アナウンス室で挨拶が返ってきた人はいますか?」。誰も手を挙げません。「挨拶が返ってこないということは、その "おはようございます" は相手に伝わっていないということ。君たちの "おはようございます" はただの作業で、相手に届けようと思っていないよね」。振り返ってもまさにおっしゃる通りで、おまけに声も小さく、何の意味もない挨拶になっていました。アナウンサーは【読む】、【話す】のではなく、【伝える】仕事だということ。朝の挨拶から、アナウンサーとしてとても大切なことを学びました。さらに、「今日のノートは全員やり直し。昨日講師の方々が教えてくださったのはこんなものですか? 失礼です」と、自分たちなりに一生懸命書いたノートでしたが、社会人としては恥ずかしいような出来。その場にいなかった人にも講義の内容が【伝わる】ノートでなければいけません。翌朝は、初日のノートの書き直しと、2日目のノートを書いて提出することになりました。初日も、夜中2時くらいまでノートを書いていたので、2日分書かないといけないとなると・・・。結局その日は翌朝5時前までノートを書いた気がします。目の下にクマを作りながらも、翌朝はアナウンス室でおはようございますと【伝えて】から、ノートを提出しました。それ以降も毎日、夜中の2時、3時までノートを書く日々。まだまだ指摘を受ける内容でしたが、日々ブラッシュアップされていき、講師からのコメントを読むのが楽しみでした。ただ、毎日睡眠時間は3時間ほど。みんなで飲んだ栄養ドリンクの本数は相当だったと思います。

 ノートだけではありません。研修中は一挙手一投足、隙を見せられません。移動の際も、歩き方をチェックされ、昼食ももちろん研修の一環。用意していただいたお弁当を食リポするのです。おいしいご飯も、味がしませんでした(笑)。日曜日はテレビ朝日での講義はありませんでしたが、しっかり課題は課されます。ヘアメイクの研究も大事な仕事ということで、女性陣は百貨店のコスメ売り場に行き、「彼氏のご両親に会いに行くメイクを教えてもらってくるように」と言われました。好感度というのでしょうか。それまでメイクに全く興味がなかった私は、写真を見返すととんでもないくらいダサかった! 人に見られる仕事というのもありますが、社会人の身だしなみとしても全くなっていなかったと思います。研修ノートにも、「アナウンサーの髪型を見てみたり、自分に似合う髪型を考えてみたりするように」と、書かれていました。このように、1秒たりとも気が抜けない毎日が続きました。
 キラキラした同期に、様々な面で差を感じる研修だったのですが、私はとあることができず、さらに苦労したのです。アナウンサーとして必要不可欠なその技術とは? 次回は、入社後も私を苦しめたことについてお話します。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある

    斎藤真理子さんインタビュー「韓国文学の中心と周辺にある"声"のはなし」前編

    ミシマガ編集部

    ハン・ガンさんのノーベル文学賞受賞により、ますます世界的注目を集める韓国文学。その味わい方について、第一線の翻訳者である斎藤真理子さんに教えていただくインタビューをお届けします! キーワードは「声=ソリ」。韓国語と声のおもしろいつながりとは? 私たちが誰かの声を「聞こえない」「うるさい」と思うとき何が起きている? 韓国文学をこれから読みはじめる方も、愛読している方も、ぜひどうぞ。

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑤「夢を推奨しない絵本編集者が夢の絵本を作るまで」

    筒井大介・ミシマガ編集部

    2024年11月18日、イラストレーターの三好愛さんによる初の絵本『ゆめがきました』をミシマ社より刊行しました。編集は、筒井大介さん、装丁は大島依提亜さんに担当いただきました。恒例となりつつある、絵本編集者の筒井さんによる、「本気レビュー」をお届けいたします。

  • 36年の会社員経験から、今、思うこと

    36年の会社員経験から、今、思うこと

    川島蓉子

    本日より、川島蓉子さんによる新連載がスタートします。大きな会社に、会社員として、36年勤めた川島さん。軽やかに面白い仕事を続けて来られたように見えますが、人間関係、女性であること、ノルマ、家庭との両立、などなど、私たちの多くがぶつかる「会社の壁」を、たくさんくぐり抜けて来られたのでした。少しおっちょこちょいな川島先輩から、悩める会社員のみなさんへ、ヒントを綴っていただきます。

  • 「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    「地獄の木」とメガネの妖怪爺

    後藤正文

    本日から、後藤正文さんの「凍った脳みそ リターンズ」がスタートします!「コールド・ブレイン・スタジオ」という自身の音楽スタジオづくりを描いたエッセイ『凍った脳みそ』から、6年。後藤さんは今、「共有地」としての新しいスタジオづくりに取り組みはじめました。その模様を、ゴッチのあの文体で綴る、新作連載がここにはじまります。

ページトップへ