35歳大学院生

第14回

新人アナウンサー、カメラを回す

2024.12.19更新

 2024年も残り2週間を切りました。みなさんはどんな1年でしたか? 私は、春に出産という大きなライフイベントを経験し、母としての新たな生活に試行錯誤を繰り返す1年でした。
 毎日必死に過ごしているとあっという間の1年でしたが、前回のコラムに書いた、今年やり残した「食べたかったケーキを食べる」を、この1か月で実行できました。ちなみに、どこのケーキか気になるという感想をいくつもいただいたのでご紹介すると、福岡県にあるチョコレートショップというお店のチョコレートケーキ "博多の石畳" です。それこそ、山口朝日放送を退職する際に上司がプレゼントしてくれたのがこのケーキでした。あまりのおいしさに感動し、それ以降、私の中で世界一おいしいチョコレートケーキとして友人などにも紹介しているほど大好きになりました。お取り寄せもできるので、ぜひみなさんも食べてみてください。

 さて、山口朝日放送でのアナウンサー生活がいよいよスタートするわけですが、この5年間は今の私を創ってくれた基礎になっています。当時はネガティブに感じることばかりでしたが、今となってはこの環境に感謝しかありません。みなさんは、アナウンサーというとどんな仕事を想像されるでしょうか? 綺麗にヘアメイクしてもらい、記者やディレクターさんが取材して書いてくれた原稿を読む、芸人さんの隣で用意された台本通りに進行する。大きな放送局だと、主にこのようなイメージだと思います(近年はキー局でもアナウンサー自身が取材に出たり、ディレクションしたりすることも増えています)。
 もちろん、そのための準備も必要ですし、台本にない機転のきいたコメントや対応も必要です。しかし、地方局のアナウンサーというのは、0→1の作業もすべて自身で担います。アナウンサーですが、報道記者が所属する県警記者クラブや県政記者クラブ、教育庁記者クラブのいずれかに所属。私は教育庁記者クラブに所属していました。テレビや新聞の記者のみなさんに混ざって会見を取材しに行ったり、教育庁に関するネタを探すために、何もなくても教育庁に足を運んで世間話をしに行ったり。たまには記者クラブで休憩したり(小声)。取材の現場にはカメラマンと二人で向かい、会社に戻ると自分で原稿を書き、それを自分で読むという流れです。

 一人で現場に向かうこともありました。初めてカメラを回したのは1年目の秋ごろだったと思います。早めに出社して新聞をチェックしていると、消防車のサイレンが聞こえました。サイレンが聞こえると、すぐに消防署にどこで火事があったか問い合わせます。会社から車で5分ほどのアパートで火事があり、負傷者は不明、鎮火していない状況でした。それをデスクに伝えると、「はい」と、デジタルカメラを渡されました。「外観をいろんなサイズで撮って、場所がわかる画も撮ってきて」。それだけを伝えられ、一人で車を運転して火災現場へ向かいました。幸い負傷者もおらず、すぐに鎮火したのですが、火の用心を伝えるためにその日のニュースで放送することになりました。撮ってきた映像を確認してもらうと足りないものだらけ。でも、なんとか編集して放送することができました。多い日だと1日2本は取材に行って、原稿を書いていたと思います。

 ニュースだけではありません。月に最低1回は、企画も担当していました。ニュースのVTRが約1分だとすると、企画は短くて5分、長いものだと10分を超えます。その企画を、ネタ探しから打ち合わせ、ロケ、構成、原稿の作成、VTRの編集、BGMの挿入、テロップ付け、ナレーション収録まで、すべて自分で行っていました。とっても機械音痴の私にとって、編集機の使い方を覚えることは、それはもう大変でした・・・朝まで編集室にこもって、シャワーを浴びにだけ少し帰宅し、またすぐ会社に戻るという日も少なくなかったです。当時はフラフラになっていましたが、残業組で夜食を会社で食べたり、変なテンションで盛り上がったり(だから編集が進まなかったんですが!)したのは、今となっては青春のような楽しい時間でした。編集を自分ですることで、「こういうリポートだと編集しづらいんだな」ということがわかるようになり、アナウンサーとして活かされることもたくさんありました。
 入社4年目ごろには、生放送の際にディレクターとして副調整室(テレビ、ラジオの放送の際に、番組制作用機器を操作し、音声・映像等を調整するための操作室)に座り、カメラのスイッチングを指示したり、大切なCMに入る際のボタンを押したりもしました。毎日のように0→1、いや、0→100の作業を経験したことで、アナウンサーとして伝えるまでに、取材対象者はもちろんのこと、企画、取材、撮影、ディレクションなどに多くの人が関わり、アナウンサーはアンカーであることを強く認識することができました。それと同時に、取材や原稿を書くスキルも身に着けることができました。
 当時は「なぜこんなことまですべてやらないといけないのか」と思うことも何度もあったのですが、その経験がなければ、今こうやってコラムを書くということもできていなかったと思います。むしろ、分業化が進んでいた大きな放送局では経験できないことをたくさん経験させていただき、感謝です。

 このように、今の私の基礎を創ってくれた山口朝日放送でのアナウンサーとしての日常ですが、その中で野球の仕事は1年目からしっかりやらせてもらっていました。しかし、なんとそれも2年目で "クビ宣告" を受けるのです。いきなりのクビ宣告とは? 次回は、初めての野球の仕事についてお付き合いください。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

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