35歳大学院生

第18回

やっぱりプロ野球の仕事がしたい

2025.04.18更新

 新年度がスタートし、まもなく1か月が経とうとしています。新生活が始まった方、リズムはつかめてきましたか? 私自身は何も変わらぬ4月を迎えたのですが、保育園に通う息子は敏感に環境の変化を感じているようです。担任の先生が変わったり、新しいお友達がたくさん増えたりしたことで、日々の連絡帳に「先生のお膝を探しています」と書かれています。普段は人見知りとは無縁。どこへ行ってもニコニコしていて、誰にでも自ら抱っこされに行くのですが、色々と理解するようになり、幼いながら毎日頑張ってくれています。そのお疲れのせいもあり、夜泣きが激しく、このコラムも息子の鳴き声にアンテナを張りながら書いています。「環境の変化は、大人でも疲れるよね!」と夫とも話していたのですが、今回は私のキャリアで一番の環境の変化、フリーランスへの転身についてです。

 入社4年目の夏に実況した野球中継で、ANN系列アナウンス賞最優秀新人賞を受賞した私は、会社のみなさんにもう辞めるだろうと思われていたそうです。しかし、当時は退社する気持ちは全くありませんでした。スポーツ中継でも、野球だけでなく、サッカーのピッチリポートや駅伝の実況も担当するなど、幅広く関わらせてもらっていました。中でもサッカーは、当時JFLに所属するレノファ山口がJ3に昇格する。山口県に初めてのプロスポーツチームが誕生するということで、アウェーの試合にも帯同して取材し、J3昇格を決めた瞬間にも立ち会うことができました。
 さらに、毎日夕方には、山口朝日放送のメインである報道情報番組にメインキャスターとして出演。これまでは、記者として取材したものを先輩アナウンサーが伝えることが多かったのですが、キャスターに就任してからは、自ら取材して書いた原稿を自ら伝えるということもできていました。スポーツも報道も、これ以上ない環境で関わることができ、充実したアナウンサー生活を送っていました。
 スポーツアナウンサーとしても、キャスターとしてももう少しスキルアップしたいという気持ちが強く、4年目が終わったあとは翌年も邁進するのみの意気込みでした。この頃には、入社前に一緒に研修を受けたANN系列の同期アナウンサーの中には、フリーランスに転身して、拠点を東京に移している人もいました。また、契約社員で任期が満了し、転職活動を強いられている者、同じ会社にいても、アナウンス職から他部署に異動になっている者もいました。正社員での採用だった私は恵まれてはいましたが、ずっとアナウンサーでいられる保証はありません。実際に、元アナウンサーで、他部署で活躍されている先輩社員もいました。
「私はなぜアナウンサーになったのか、なぜマスコミの世界へ飛び込んだのか」。初心に帰って考えることが増え、その時にいつもたどり着く答えが「甲子園球場を仕事場にしたい」という、12歳の夏の衝撃でした。山口朝日放送でも、春と夏には、甲子園に出場する代表校の取材で、会社を代表して、甲子園に取材に行かせてもらっていました。1年目の夏には、甲子園球場のアルプス席から中継リポートも担当し、「甲子園球場で仕事をする」という夢は叶えてもらっていました。とはいっても、そこにいけるのは春と夏のみ。山口県の代表校が敗れると、取材は一日で終わります。それに、毎回私が行かせてもらえるとは限らず、後輩に譲るタイミングも遠くはありませんでした。次第に「やっぱり、プロ野球選手に一流の思考を聞きたい」と、プロ野球の仕事に関わりたいという気持ちが湧いてくるようになりました。
 それから、すでにフリーランスに転身した先輩や同期に話を聞きに行ったり、プロ野球中継のリポーターをしているアナウンサーの方が、どこの事務所に所属しているかなどを調べたりするようになりました。
 実は、2年目が終わったころにも転職活動をこっそりしていた時期がありました。しかし、そのころは「何かに挑戦したい!」という前向きな理由ではなく、「今の環境から逃げたい」という後ろ向きの理由でした。記者の仕事がほとんどで、アナウンサーとしての仕事はほんの少し。高校野球のリポートもできなくなり、この環境から逃げたいと思うようになりました。書くまでもなく、そのようなネガティブな転職活動はうまくいくはずもありません。
 今回は「プロ野球の仕事がしたい」というポジティブな転職活動です。猪突猛進な性格なので、もう気持ちはすでにプロ野球中継のリポーターです。気が早すぎます。スポーツアナウンサーとしての基礎を築いてくださった朝日放送の方にも相談に乗っていただき、いくつかの事務所に書類を送りました。その中で、在京の2つの事務所から、会っていただけるとの連絡がありました。2つとも、プロ野球中継のリポーターや実況アナウンサーを輩出している事務所です。割と記憶は鮮明な方なのですが、どこでお会いして、お話したか、このことに関してはまーったく記憶になく、ただ、どちらともお待ちしていますとの前向きなお言葉をいただいたことだけを覚えています。
 そのうちの1つは、パ・リーグ球団の中継リポーターがちょうど1枠空いているから、そこに入ってほしいという具体的な仕事まで提案してくれました。プロ野球の仕事に関わるという次の目標をほぼ手中に収めたわけですが、このとき私は、すぐに行きますとは返事ができなかったのです。リポートはホームゲームのみなので、その仕事だけでは生活ができないこと、シーズンオフは仕事が全くなくなること。東京には親戚もいません。テレビ朝日の同期女性アナウンサーには「何かあったらご飯食べさせてください」と連絡したくらいです。憧れの仕事が目の前にあっても、現実を目の当たりにすると、さすがの私も少しひるんでしまいました。
 そんな時に、学生時代の就職活動の際にお世話になった方から「私が所属している事務所は大阪に本社があるのだけど、話だけでも聞いてみない?」と連絡をいただきました。その事務所が、現在もお世話になっている大阪にあるタレント事務所です。ちょうど、毎日放送がプロ野球中継のアシスタントを探しているとのお話までいただき、話はどんどん進みました。もちろん、東京の事務所からお声がけいただいた時と同様に、プロ野球中継のアシスタントだけでは生活はできません。しかし、大きく違ったのは、実家が京都にあり、大阪への通勤が可能だということでした。軌道に乗るまでは実家でお世話になり、フリーランスとしてのスタートを切ることができます。
 結局、ご縁あって、毎日放送のプロ野球中継のアシスタントに選んでいただき、フリーランスとして、第二のアナウンサー生活を歩むことになりました。山口朝日放送の上司は「もっと早く辞めるって言うかと思っていたよ! 夢の仕事が決まってこちらも嬉しい! 頑張って!」と、快く送り出してくださいました。
 山口県でお世話になった高校野球関係者や、取材先、視聴者のみなさまなどに報告すると、色々な方が送別会を開いてくださったり、レノファ山口のサポーターの方々は会社まで数名来てくださったりして、誰も知り合いのいなかった山口県での5年間で、こんなに多くの方々に支えてもらって過ごしていたのだなと感じることができました。
 ちなみに、山口県での想い出は、高校野球の大会で2度も始球式をさせてもらったことです。始球式が決まってからは、高川学園高校の監督が「練習しにおいでよ」と声をかけて下さり、朝練に参加して、選手にキャッチボール相手をしてもらいました。「少し前から投げますか?」と審判員に聞かれましたが、そこは中学時代のアスリート魂が許しません。もちろん、マウンドのプレートに足をかけて投じました。練習の甲斐あって、2回とも見事にストライク! これも仕事のうちだったので、山口県で経験したとても楽しいお仕事でした。
 さぁいよいよフリーランスとしての生活がスタート。実は、最初の1か月は、体調が悪化するほど悩みました。泣いて先輩アナウンサーに電話をしたことも・・・。怒涛の新生活については次回お伝えします。

市川 いずみ

市川 いずみ
(いちかわ・いずみ)

京都府出身。職業は、アナウンサー/ライター/ピラティストレーナー/研究者/広報(どれも本業)。2010年に山口朝日放送に入社し、アナウンサーとして5年間、野球実況やJリーグ取材などを務めた後、フリーアナウンサーに転身。現在は株式会社オフィスキイワード所属。ピラティストレーナーとして、プロ野球選手や大学・高校野球部の指導も行う。早稲田大学大学院スポーツ科学研究科修士課程修了(スポーツ医学専攻)。スポーツ紙やウェブにて野球コラムを執筆中。アスリートのセカンドキャリア支援事業で広報も担い、多方面からアスリートをサポートしている。阪神タイガースをこよなく愛す。

Twitter:@ichy_izumiru

Instagram:@izumichikawa

おすすめの記事

編集部が厳選した、今オススメの記事をご紹介!!

  • 絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    絵本編集者、担当作品本気レビュー⑥「みなはむ×季節の絵本シリーズのはじまり 『はるってなんか』の作り方」

    筒井大介

    こんにちは、ミシマガ編集部です。今年2月に刊行した、画家・イラストレーターのみなはむさんによる2作目の絵本『はるってなんか』は、春に感じる変化や気持ちがつぎつぎと繰り出される、季節をテーマにした一冊です。編集は、絵本編集者の筒井大介さん、デザインは、tentoの漆原悠一さんに手がけていただきました。そしてこの、筒井大介さんによる「本気レビュー」のコーナーは、今回で6回目を迎えました!! 

  • パンの耳と、白いところを分ける

    パンの耳と、白いところを分ける

    若林 理砂

    みなさま、お待たせいたしました。ミシマ社からこれまで3冊の本(『絶対に死ぬ私たちがこれだけは知っておきたい健康の話』『気のはなし』『謎の症状』)を上梓いただき、いずれもロングセラーとなっている若林理砂先生の新連載が、満を持してスタートです! 本連載では、医学古典に精通する若林さんに、それらの「パンの耳」にあたる知恵をご紹介いただきます。人生に効く、医学古典の知恵。どうぞ!

  • 『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    『RITA MAGAZINE2』本日発売です!

    ミシマガ編集部

    3/18『RITA MAGAZINE2 死者とテクノロジー』が発刊を迎えました。利他を考える雑誌「RITA MAGAZINE」=リタマガが創刊してから、約1年。『RITA MAGAZINE テクノロジーに利他はあるのか?』(中島岳志・編)に続く第2弾が本誌です。

  • 松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    松村圭一郎さん推薦文「答えを出すのではなく、踏みとどまるために」

    ミシマガ編集部

    2024年12月に刊行された、後藤正文さんと藤原辰史さんの共著『青い星、此処で僕らは何をしようか』。本書を読んだ、人類学者の松村圭一郎さんから、推薦コメントをいただきました。『うしろめたさの人類学』や『くらしのアナキズム』の著者であり、後藤さん・藤原さんと同世代である松村さんは、どんなことを思われたのでしょうか?

ページトップへ