第11回
公共
2019.09.02更新
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この連載に加筆修正を加え、本になりました。ぜひ書籍でもご覧ください。
息子のじゅんは、1歳2カ月になるとつかまり立ちを始めた。1カ月後、つたい歩きをするようになり、そのまた1カ月後、自力で立てるようになった。そして、1歳4カ月のある夜、トットットコトコトコと、5歩、歩いた。
びっくりするやら、うれしいやらで、私も妻も少しハイになった。そして、「そろそろ、靴を買ったほうがいいかもね」という話をし、その週末に妻はじゅんとともにデパートに出かけ、12cmの靴を買った。
その午後、ふたりは、京都駅近くの梅小路公園に行き、妻の同僚とその子どもたちと一緒にピクニックを楽しんだ。さっそく買ったばかりの靴を履かせてみたところ、すぐにお尻をついたり、膝をついたりして、はだしとの感覚の違いにとまどっているようだった。だが、ベビーカーにつかまると、続けて歩くことができた。
「じゅんくん、すごいねぇ」
「よいしょ、よいしょ」
「えーっ、そこ、ぼこぼこ道だよ。大丈夫?」
「いっちにー、いっちにー、がんばってるね」
「楽しいね。どこまでもいけるね」
じゅんはベビーカーを押しながら、30分も歩いた。全身に喜びと誇らしさをあふれさせて。
やがて、じゅんがよちよち歩きができるようになると、動物園や公園などにお弁当を持って出かけることが増えた。
京都市動物園は9時から開園しているのでありがたい。じゅんは3歳になるまで、11時台に昼食をとり、その後2時間くらい昼寝をしていた。このふたつの時間がずれると機嫌が悪くなってしまい、生活リズムも崩れてしまう。いったん生活リズムが崩れると、取り戻すのに数日かかることもある。そこで、なるべく朝早くから出かけるようにしていた。
入園するとまず、ライオン、キリン、ゴリラ、ゾウなど定番の動物をみてまわる。いつも「動物カード」で遊んでいるので、レッサーパンダやフラミンゴなどといった思わぬ動物の名前も口にする。
園内中央部には、ミニ遊園地がある。乗りものは、子ども汽車、回転ボート、バッテリーカー、観覧車の4つで、すべて200円。子ども汽車は遊園地の外周をかこむレールの上を汽笛を鳴らしながら2周走る。回転ボートは4つのボートが灯台のまわりをグルグル回るだけのいたってシンプルなもの。バッテリーカーは子どもたちが好む有名なキャラクターの形をしている。観覧車は高さ12メートルの小さなもので、ゴンドラには動物の絵が描かれている。
観覧車は1956年製造で、現役としては日本で2番目に古いようだ。他の乗りものもかなり年季が入っているため、ミニ遊園地エリアはどこかノスタルジックである。じゅんはこのミニ遊園地が大のお気に入りで、必ず、すべて乗る。乗りものに乗っているじゅんはとびきりの笑顔になり、普段の何倍も饒舌になる。つきそいで乗っている私や妻にも、その喜びが伝染する。
園内をぐるりとまわると、だいたい11時になっている。よく歩いたので、じゅんもお腹がペコペコだ。疎水沿いに並んだベンチでお弁当を広げる。お腹いっぱいになったところで、帰り支度となる。
京都府立植物園にもよく行く。四季折々の草花が楽しめて、園内を散歩するだけでもすがすがしくて気持ちがいい。昼時になると、大芝生広場のまわりの木陰では、多くの親子連れがお弁当をひろげている。
5月のある日曜日。3人で植物園に行くと、入り口近くの広場でミニSLが走っていた。じゅんは早くもその場にくぎづけである。ミニSLは客車を引っ張っていて、それに乗れるという。私たちは、迷わず乗った。SLは直径10メートルくらいの円状に敷かれたレール上を2周走る。ポーと汽笛が鳴るたびに、じゅんはケラケラと笑った。
SLが停車し、私が運転手さんに「楽しかったです」とお礼をいっていると、その横でじゅんが「もういっかい」と妻にせがんでいる。「それじゃあ」ということで、また乗ることにした。そして、さらにもう1回。合計3回乗った。
3回目の乗車が終わって「おもしろかったね」と3人で話していると、「ちょっといいでしょうか」と話しかけられた。
「テレビの取材です。今日は母の日ですが、一日どうお過ごしになりますか」
突然のことで、あたふたしながら、
「えー、今日は妻にはゆっくりしてもらいたいので、晩ご飯は私がつくるつもりです」
というようなことをしゃべった。
取材が終わった後、妻が「晩ご飯をつくってもらってるのは、今日だけじゃないんやけどね」と笑った。
家に帰り、「採用されることはないだろうけど、一応、みておこうか」と夕方のニュースにチャンネルをあわせると、予想に反して、私たちの姿が映し出されたのでびっくりした。ニュースの後すぐに、同僚から「ニュースみました。いい母の日ですね」というメールが届き、頭を掻いた。
足をのばして、奈良や滋賀に行くこともある。奈良公園では、じゅんは鹿を追ったり追われたり、芝生の丘をのぼったりおりたり。転ばないかと思ってみていたが、こちらの心配をよそに、思わぬ健脚ぶりを披露してくれた。
琵琶湖畔は公園になっていて、散歩するのに格好の場所だ。大津港からは琵琶湖周遊の観光遊覧船が出ている。初めてそれにじゅんを乗せた時、大きすぎて乗りものであることが分からなかったらしく、最初から最後までキョトンとしていた。
こんなふうにして、月に1~2回はどこかに出かける。その際は、クルマを気にすることなく、じゅんを自由に遊ばせることができる場所を選ぶ。子ども連れの親にひらかれている場所には、実際、子どもが多い。そこで遊び、お弁当を食べた後、遅くとも午後2時くらいまでには家に帰り、昼寝をさせる。大の字になって眠るじゅんをみながら、「じゅんくん、楽しそうやったね」と私も妻も満足する。
お出かけは楽しい――だけではない。たいへんでもある。
私も妻も運転免許を持っていない。お出かけをする場合は、電車やバスといった公共交通機関を利用する。もちろんいつも座席に座れるわけではない。いくらじゅんがよちよち歩けるようになったからといっても、立ったままというのはきついので、自分でしっかり歩ける2歳半くらいまではベビーカーを利用した。ところが、段差がある狭いバスや混雑した電車などではベビーカーの使用がためらわれる。私か妻のどちらかが抱っこひもを使ってじゅんを抱っこし、もうひとりがたたんだベビーカーと大きな荷物をかかえて乗車していた。目的地に着くころには、すでにへとへとになっていたこともある。
ベビーカーを持っていくのに、電車やバスの中では使わずに抱っこしているというのは変といえば変である。「子ども連れはまわりの迷惑にならないように気をつかうものだ」という無言の圧力を感じ、「迷惑をかけないように努力しています」というパフォーマンスをしてしまうのである。電車やバスの中ではいつも「すみません」ばかりいっていたような気がする。
動物園や公園は公共的な施設・場所である。そこでは、子どもも親ものびのびできる。一方、電車やバスといった公共交通機関の中では、子ども連れはあまり望まれる存在ではない。同じ「公共」空間であっても、子どもに対するまなざしは正反対だ。
政治学者の齋藤純一は、一般的に用いられる「公共性」という言葉を三つの意味に分類している。国家に関係する公的な(official)ものという意味、特定の誰かにではなくすべての人びとに関係する共通のもの(common)という意味、誰に対しても開かれている(open)という意味である。齋藤はこの三つの「公共性」は互いに抗争する関係にもあるとし、「とくに関心を惹かれるのは、『共通していること』と『閉ざされていないこと』という二つの意味の間の抗争である」と述べる。
動物園や公園は、openな空間である。誰かを排除したり制限したりはせず、基本的に誰でも受け入れようとする。しかし、openな空間に向かうためには、公共交通機関を利用しなければならない。そこはcommonな空間である。commonな空間では、人びとが共有する規範――無関心を装ってその場の平穏を保つ(儀礼的無関心)――から逸脱する存在(子ども)は、望ましくないものとして認識される。
公共空間におけるベビーカー利用の問題は、1980年代からもちあがっていたが、解決がはかられないまま、放置されてきた。そのため、電車やバスの中ではベビーカーはたたむべきか否か、というような奇妙な論争が続いてきた。
2013年(平成25年)に、国土交通省は「公共交通機関等におけるベビーカー利用に関する協議会」を設置し、翌2014年(平成26年)に同協議会は公共交通機関内でベビーカーをたたまずに乗車することを基本的に認める指針を示した。ベビーカー利用者にとっては、その指針があるのとないのとでは大違いである。一方で、このような指針を示さなければならなかったところに、子ども連れへのまなざしの厳しさが表れている。
commonな空間が、せめて、もう少しだけopenなものになればと願わずにはいられない。そうすれば、お出かけ親子は、もっと楽しく、もっと自由に、どこまでもいけるだろう。よちよち歩きを始めた時のじゅんのように。
参考文献
木村至聖「レジャーと公共空間」工藤保則ほか編『〈オトコの育児〉の社会学』ミネルヴァ書房、2016年
齋藤純一『思考のフロンティア 公共性』岩波書店、2000年