第34回
外側
2022.06.19更新
先月、毎日放送アナウンサーの西靖さんと、「家族がコロナになったとき」というタイトルで対談をした(ミシマ社MSLive!)。西さんのご家族も私の家族も、2022年2月、オミクロン株が急拡大した第6波の際に、新型コロナウイルスに感染していた。
私は西さんが毎日放送に入社してすぐのころにテレビでお顔を拝見し、誠実ではつらつとされた方だなぁという印象を持った。その印象は今も変わらない。ずっと、西さんファンのひとりである。お話しさせていただくことが決まってからの約1カ月、そわそわしっぱなしだった。
5月13日。当日は、朝から雨が降ったりやんだりしていた。対談はミシマ社京都オフィスにて、17時30分開始。私は16時に自宅を出た。雨がやんでいたので、歩いてミシマ社に向かった。「どういう話になるんだろう」「こんな話ができれば」などとぼんやりと考えているうちにぽつりぽつりと雨が降り始め、しだいに雨脚が強くなった。
30分ほど歩くとミシマ社に到着。オフィスに入るのはひさしぶりだ。拙著『46歳で父になった社会学者』が店頭に並んだ日に、感謝の気持ちを伝えるために訪れたとき以来かもしれない。
1階の和室にはテーブルが置かれ、既にカメラやパソコンがセッティングされていた。そこで、ミシマ社の皆さんと近況報告を兼ねた雑談をした。
「アライさん、福井の恐竜博物館に行かれたんですよね。どうでした?」
「むっちゃよかったです。親も子も大満足でした」
「タブチくん。おひさしぶりです」
「ほんとそーですね。じゅんくんといっしょにいつでもオフィスに遊びに来てください。そうそう、また感染したらすぐに連絡してください。物資、持っていきますから」
タブチくんのお住まいとうちは、徒歩3分の距離にある。
マスクはしているが、雰囲気は以前とかわらない。こういう時間が、ほんとうにうれしい。
みなさんとの話が一段落すると、三島さんがお茶を点ててくれた。そのお茶をいただいていると、玄関から「おじゃまします」という通りのいい声が聞こえた。西さんだ。
和室に入って来られた西さんとごあいさつ。
「毎日放送の西です。今日はよろしくお願いします」
「工藤です。私も、親戚のおばさんも、西さんファンです」
西さんは4月からある大学で授業をされているそうだ。「授業の準備がなかなかたいへんで」と言われていたが、お話を聞いていると、とても工夫した授業をされていることが分かった。
「工藤先生は、社会学の中で特に何がご専門なんですか?」
「えーーっと、若い頃は子どもや若者に関することをやっていましたが、今はどうなんでしょう......。なんか、最近は、社会学者じゃなくなっているような気もします(笑)。『社会学者』という言葉がタイトルに付いた本は出しましたが」
そんな話をしているうちに、「あっ、もうすぐ開始時間ですね」との声。パソコンの横に置かれたデジタル時計の数字が5時29分になっていた。
「みなさん、こんにちは」とアライさんがカメラに向かって挨拶を始めた。
「それでは、西さん、工藤先生、よろしくお願いします」
打ち合わせはなく、緊張する間もなく、本番に突入した。
対談の前半は、普段の子育ての話だった。
「人生半ばでの子育ては」と西さんが話を始めた。自己紹介を兼ねて、男の子3人(5歳、3歳、0歳)とお連れ合いとの毎日を軽妙に語られた。「このままずっと聞いていたい」と思うほどのみごとな話術で、ぐいぐい引き込まれた。
「工藤先生はどうですか」
西さんに話を振られ、我に返る。「えっと、うちの子どもは小3の男の子と4歳の女の子です。私は人生半ばをもうすぎてしまって、人生後半、下り坂での子育てですね」としどろもどろに話を始めた。
そこからの約45分間は、少し遅く父親になったふたりが、子どもとの生活で喜んだり、驚いたり、悩んだりしていることを率直に語り合った。
対談の後半は、「家族がコロナになったとき」の話。私から「2月に家族全員が感染しまして」と話を始めた1)。
2月8日早朝に息子のじゅんが高熱を出した。午前中に病院でPCR検査を受けた後から、じゅんを別室に移した。けれども、じゅんはひとりで何でもできるわけではないので、完全隔離というわけにはいかない。9日未明、娘のあさが発熱。朝には平熱に下がるも、今度は妻が発熱。妻もPCR検査を受けた。同日午後、じゅんの検査結果の連絡が入り、陽性であることが判明した。10日、妻が陽性と判明し、あさと症状がない私もみなし陽性となった(こののち、保育園で濃厚接触者となったあさも検査を受け、陽性とわかった)。家族全員が感染したことにより、早々にじゅんの自宅内隔離はやめになった。その日の深夜、私が発熱。症状がかなりきつかったので、静養のため別室に移った。そこから4日間、私は高熱と頭痛のため、ほとんど眠れなかった。
じゅんとあさは11日に回復。妻は13日に回復。16日になって私もようやく回復した。私が寝込んでいた時は、もっぱら妻が家族のケアをした。自宅療養解除となったのは、じゅんが18日、妻とあさが19日、私が20日。その日までは、外出しない休日のような感じでゆっくり過ごした。
「私たちはそこまで辛い症状はなかったんですが」と西さん家族の話が始まった2)。
2月3日に西さんのコロナ感染が判明。すぐにお連れ合いと、①自宅内で完全隔離か、②宿泊施設で療養か、③家族感染もあると想定して自宅ですごすか、という3パターンのどれにするか相談したそうだ。0歳のお子さんがいるので③はありえない。西さんが宿泊施設に移ったとしたら、お連れ合いやお子さんが感染した場合でも、西さんはすぐに自宅に戻ることはできないので②もなし。そこで、①の自宅での完全隔離となったそうだ。
西さんの隔離生活6日目に、ご長男が発熱。2日後、ご長男、0歳の三男さん、お連れ合いが検査を受けたところ、3人とも陽性と判明。5人家族のうち4人が感染となったので、西さんは自宅内隔離をやめた。リビングでお連れ合いと対面された時、お連れ合いは「しんどかったよう」と顔をくしゃくしゃにして号泣されたという。そこからまた10日間、合計16日間、ご自宅での療養が続いた。
西さん家族と私の家族は、子どもがまだ小さいということは同じである。しかし、最初に感染したのが、子どもか大人かによって、西さんのご家族と私の家族の自宅療養の過程は異なるものになった。
最初に子どもが感染した場合、親は子どものケアをしないわけにはいかないので、厳格な隔離は難しい。案の定、わが家では、じゅんから家族全員にうつった。そうなると、隔離する必要はなくなる。症状が最もきつかった私は別室で休み、そこに子どもは極力入らないようお願いしていたが、それは静養するためであって、隔離ではなかった。
一方、最初に大人が感染した場合は、子どもにうつさないために、自宅内隔離を徹底するだろう。西さんご自身が「まじめに対応しすぎたかもしれません」と言っていたほど、西さんの隔離はかなり厳格なものだった。自宅内隔離を解消した際にお連れ合いが号泣されたように、精神的なストレスが相当なものだったことは間違いない。
いずれにせよ、西さんの家族も私の家族も、メンバーが協力することにより、自宅療養生活を乗りきることができた。
対談の最後。視聴者からの質問を、アライさんが読み上げた。
「コロナは育児、介護など、なるべく社会で分担しようとしてきたことを、再び家庭(とりわけ女性の肩)に戻す出来事でした。結局、最後は家族なのかと、やるせない思いがします。『家族でなんとかする』の先に行くことはできないでしょうか?」
その通りである。これは、私自身も、寝込んでいた時からずっと考えていた。しかし、その場ではうまくこたえることはできなかった。
家族全員が回復した時、妻がぽつりと「ちゃんとコミュニケーションできる関係でよかった」と言った。家族の仲がいいのにこしたことはない。しかし、「家族で団結したからコロナと戦うことができた」とか「夫婦で頑張ったので自宅療養生活を乗り切ることができた」といった話しかできないならば、それは思考停止に等しい。
感染を広げないため、同居する家族で対応せざるを得ないのは仕方ないことではあった。しかし、その「家族」がしばしば「女性」であったことを見逃すわけにはいかない。
家族社会学者の落合恵美子が2022年3月に行った「自宅療養者とその家族」を対象としたウェブ調査によれば、「看病や身の回りの世話を最も中心的に行った人」は7割が女性であった。そのうちの約3割は看病により自身も感染していた3)。そのことを踏まえて、落合は「新型コロナウィルス感染拡大はとりわけ女性に大きな影響を与えることが国内外で明らかになった。感染症は『親密性の病』とも言うべき性質をもつので、家庭内の無償労働としても職場での有償労働としても『ひとのケアをする』役割を果たすことが多い女性への影響が大きかったのである」と指摘している4)。
コロナ禍が「育児、介護など、なるべく社会で分担しようとしてきたことを、再び家庭に戻す出来事」になってしまったのは、実際のところはまだ、ケアが社会や制度に深く組み込まれてはいなかったということであろう。そのことがあらわになった今、「ケアを包摂する社会」の実現は喫緊の課題である。
ところで、西さん家族も私の家族も、友人からの物心両面でのサポートがあった。友人が食料を送り届けてくれたことだけでなく、家族を気にかけてくれた気持ちそのものに大いに助けられた。
子育てをする中でいつからか私は「いずれ死ぬ」ということを強く意識するようになった。人よりおそく親になった私は、子どもたちとともに生きる時間は人より短いに違いない。だからというわけではないが、私は少し意識して、私や妻の友人と子どもたちとの直接的な関係を築こうとしている。
松江に住むカタオカさんは私が20代の時からの友人である。カタオカさんと息子のナギ君(高1)には、お正月やお盆で京都に帰省される度にわが家に来てもらっている。スポーツも絵を描くことも得意なナギ君は、じゅんにとってあこがれの存在で、「ナギにいちゃん」と呼んで慕っている。いっしょにびわこバレイにも行ったし、嵯峨野トロッコ列車にも乗ったし、鳥取砂丘で転がりまわった。
じゅんが6歳の秋、ミシマ社のハセガワさん、ノザキさん、私の4人で六甲山に登った。前の年にノザキさん、じゅん、私で登ったのだが、その時は初心者用のルートを通った。2回目はそれとは違うルートを通ることになった。これが想像以上に過酷だった。がけを鎖で登ったり、ぎりぎりひとりが通れるくらいの細い峰を歩いたり。やっとのことでたどり着いた山頂からまわりの景色を見渡した後は、有馬温泉を目指して下って行った。
「じゅんくんが小さかった時、いっしょに嵯峨野トロッコ列車に乘ったね。途中で鬼が乗ってきたの覚えてる?」
「六甲山の登山、あんな険しい道、よく登ったね。あの時、じゅんくん、まだ保育園児だったんだよね」
じゅんが大きくなった時、家族ではない人がこういう話をしてくれたらいいなと思う。私や妻の友人関係が子どもたちにも広がってゆけばいい。家族の外側から気にかけてくれる人がいるという信頼感を、私が死んだあとにも子どもたちには残してあげたい。
家族を閉じないこと、外に向かって開くこと。「先に行く」の答えはでないが、そこに小さなヒントがあるような気がしている。
1)私の家族の自宅療養については、こちらを。
2)西さんのご家族の自宅療養については、こちらを。
3)第73回関西社会学会大会におけるシンポジウム「ケアから社会を構想する――ポストコロナの社会理論」(2022年5月29日開催)における報告「Caring Society――生を包摂する社会と社会科学」内容と、それに基づく朝日新聞記事「第6波 増える女性の感染」(2022年5月30日朝刊 大阪本社)による。
4)前掲シンポジウムの「報告要旨」から引用。
編集部からのお知らせ
西靖×工藤保則「アナウンサーと社会学者が語る 『家族がコロナになったとき』」アーカイブ視聴チケット、販売中です。(6/30まで視聴可能)
<出演>
工藤保則(龍谷大学社会学部教授、『46歳で父になった社会学者』著者)
西靖(MBSアナウンサー)
<注意>
※この動画は6/30(木)までの限定配信です。この期間をすぎると動画は視聴できなくなります。
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