第2回
医療を相手に受け取ってもらうための新しい一手
2021.06.24更新
こんにちは。
前回の「患者さんの高齢化が進んで、検査と薬だけでは治せなくなっている。一緒に高齢者医療をやらないか」と研修医時代の先輩から誘われたことで、今の職場に来ることを決めた、という異動の経緯を読んでくれた友達から、「検査と薬だけでは治せないって、一体どういうこと?」とメールをもらいました。「そもそも病気になって病院に行くと、診察があって、入院して、検査を受けて、治療を受けて、治って帰る、というのが普通じゃない? 治せなくなっているっていうのは医療事故ってこと?」
もっともな質問だと思いました。病院で医者がひどいことをした結果、そうなっているのでは? とお思いになる方がいらっしゃってもおかしくありません。ただ、私のこれまでの経験に基づいて申し上げると、病院で働いている医療従事者は、誰もが目の前の患者さんの役に立ちたいと思って仕事をしているように思います。さらに、高齢の方がご入院になった場合に、入院の原因となった病気に対する検査や治療が正しく行われたとしても、ご本人と医療従事者の双方が望んでいなかった状態になってしまうことが、実は少なくありません。そして、このような出来事は日本だけでなく、世界中で起きています。
例えば、健康の回復を目指す病院で、高齢者の35.6%が入院中に身体機能が低下して退院している (スイスの報告 )。 これは病院に入院している間は、ベッドの上で過ごすことが多くなることから、治療が終わった時に、体の筋力が衰えて歩けなくなってしまっていたり、床ずれができたり、自宅へ帰れず施設に入居することになってしまう、という報告です。
他にも、自宅で過ごしていた高齢者が入院すると、治療がうまくいっていても、退院後の認知機能が低下している(米国の報告)という報告もあります。
また、せん妄という言葉をお聞きになったことがある方もいらっしゃるかもしれません。入院したことがきっかけで、これまでとは人が変わってしまったように叫んだり、暴れたり、もしくは逆に反応がなくなってしまったりする状況のことで、ご高齢の入院患者さんの30-70%に起こることが知られており、「一旦起こってしまうと治りにくい急性の脳不全」と言われることもあります。(Edward R. Marcantonio, M.D. "Delirium in Hospitalized Older Adults" The new england journal o f medicine)
つまり、ご高齢の方が病気の治療のために入院した場合、入院の目的である病気の治療を受けている間に、身体的な機能や認知機能などが低下してしまうことがごく普通に起こってしまうのです。
これまで病気を治すことについて医療従事者は取り組んできましたが、それだけでは足りないのだ、ということを私たちは現場の感覚として感じ始めました。特に、患者さんの高齢化が進むにつれて、認知機能が低下した方々の入院も増えてきたことで、私たちのこれまでのやり方ではだめなのだ、ということを思い知ることになりました。
これまで、患者さんに検査や治療についての説明をして、協力してもらうことを前提に医療は行なわれてきましたが、認知機能が低下している方々に対して、「理詰め」で説明して理解を得ることが難しくなりました。ご自分がどこにいるのか、目の前にいる人が何をする人なのか、がよくわからなくなっている方々に治療の協力をお願いすることはとても困難です。その結果、患者さんに対して身体的な拘束をやむを得ず行なってしまうことが起きてしまっていました。もちろんご本人の自由を奪う身体拘束が良いとは、誰も思っていません。しかし、それ以外の手段を持たず、その一方でご本人のために治療を受けてもらいたい場合に、一体どうすれば良いのか、と途方に暮れることが日常的になってきました。
私たちが手元に最新の医療技術を持っていても、それを相手に受け取ってもらうための何か新しい一手がなければ、うまくいかないのではないかと思っていたとき、クレジットカードの会員誌にちょっと面白い記事を見つけました。航空会社が発行しているクレジットカードでしたので、会員誌には旅行に関する記事がたくさん載っていました。そんな海外の街の話題のページの中に「認知症高齢者のケアで新しい取り組みをしている専門家のドキュメンタリー番組を見た」というテーマで書かれたエッセイがありました。
認知症ケアの指導に長らく取り組んでいる2人のフランス人が素晴らしいケアを行なっている様子がテレビのドキュメンタリーで紹介されていて、とても興味深く面白かったという、パリ発の記事を読んだ時の最初の感想は「ああ、フランスも認知症の方のケアで困っているんだな」というものでした。ドキュメンタリー番組が作られるほどのケアの方法がある、ということにも少し興味をひかれました。何となく気になり、そのページを破ってとっておくことにしました。失くしそうだったので、とりあえず冷蔵庫の扉に貼っておきました。
このページを冷蔵庫に貼って3年ほど経ったときに、冒頭でご紹介しました、「患者さんの高齢化が進んで、検査と薬だけでは治せなくなっている。一緒に高齢者医療をやらないか」という誘いを受けました。もしかすると「私たちが持っている最新の医療を相手に受け取ってもらうための新しい一手」を先輩たちと一緒に考えることができるかもしれないと思い、職場を移ることを決めました。
ちょうど良い機会なので、冷蔵庫に貼ってあった記事で紹介されていた、フランスの先生方に連絡をとってみようと思い立ちました。ドキュメンタリーで紹介されていた手法が「医療を相手に受け取ってもらうための新しい一手」のヒントになるのではないかと考えたからです。医学論文の検索サイトで先生方の名前を検索してみると、連絡先がわかりました。そこで、「日本で老年医学を行なっている内科医です。パリにお伺いしますので、先生方のご活動を見学させていただけないでしょうか」とメールを書いてお送りしてみました。
数日後、「大歓迎です。ぜひ、いらしてください」と返事が届きました。「私たちの活動の拠点は南フランスです。パリで国内線に乗り換えてPerpignanにお越しください」。
Perpignan? 何と読むかもわかりませんでしたが、グーグルの地図で、スペインとの国境近くにある地中海に面した街だということがわかりました。私は、とりあえず2週間有給休暇を取って、フランス行きの飛行機に乗りました。