第8回
相手と良い関係を結ぶための見方
2021.12.27更新
前回、私たちは自分が大切な人に対して、特別な「見方」「話し方」「触れ方」を無意識に行っていて、それを『意識的に』職業技術として実践することをユマニチュードでは提案しているとお伝えしました。「見ること」「話すこと」「触れること」はいずれも相手とのコミュニケーションを行うための手段ですが、そこにはその手段を通じて伝わる「感情」とその感情を伝えるための「技術」の2つの要素が含まれます。今回は、コミュニケーションの手段のひとつ「見る」について考えてみたいと思います。
大切な人に対して自分がどのように相手を見ていたか、たとえば恋人、配偶者、子供、友人など、どなたでも良いので、そのかたをどのように見ていたか、思い出してみてください。とても近い距離で、目の高さはだいたい同じで、正面から長く視線を交わし合っていることが多いのではないかと思います。
私たちは人生において、相手とよい関係をつくろうとする際には、意識せずとも同じ技術を使っています。相手との距離が近い親密な空間に入ることで愛情と優しさのやりとりをしています。目の高さを同じくすることで水平の視線が実現し、これは互いに平等であるという関係性を相手に伝えています。その一方で、何か後ろめたいことがあるとき、私たちは視線をそらしがちです。つまり、瞳を合わせて正面からしっかり見ることで、正直さや信頼感を相手に届けることができます。さらに、長く見つめることによって友情や愛情が伝わります。
つまり、近く、水平に、正面から、長く、見ることで、相手との良い関係を構築しています。
反対にこの見方を逆転させて、たとえば上から見おろしたり、横目で見たり、短い時間しか見なかったり、また遠くから眺めたりすることを嫌いな相手には行っています。
私は病院に勤める医師として、入院中の患者さんのお部屋を訪ねて、寝ている患者さんの枕元で立って話すことに何の違和感もなく仕事をしてきました。でも、寝ている患者さんに立って話しかけるとき、その視線は上から下へ投げかけられています。上から見下ろす垂直の視線が、相手に対して「私はあなたより強い立場にいます」という非言語のメッセージになってしまっている、ということに全く無自覚でした。自分ではそんなつもりはなくとも、相手にはネガティブな感情が伝わってしまっているのです。
人が受け取るすべての情報は、感覚器を通じてその人の脳に届けられます。まず、視覚的な情報が脳の「視床」に届けられます。その情報は2部コピーされて、ひとつは「扁桃体」という部分に、もうひとつは「大脳皮質」へと送られます。
扁桃体の仕事は単純で、送られてきた情報について「好き」か「嫌い」かを瞬時に判断します。それから少し遅れて、大脳皮質が細かく分析します。つまり、人に届いた情報は、まず感情的な判断が行われ、その後より詳細な判断が行われています。
私たちが相手を見るとき、相手は「自分に向けられた視線」をこの2つのステップを使って判断しています。つまり、どんなに相手のことを大切に思っていても、垂直な視線を投げかけていれば、相手の扁桃体は私のことを「嫌い」と判断して、良い関係を結ぶことは到底困難です。
そう考えると、私たちは「相手と良い関係を結ぶための見方」を学び、意識的にそれを実践する必要があるのだ、とわかってきます。自分の大切な相手には無意識に行っている「見方」を、意識的に行う、つまり「見方」を「後天的に学んで実践する」ことが求められています。映画のシーンで、音声がなくとも、外国語の作品であっても、主人公の二人がどのような関係性にあるのかを私たちが理解できるのは、俳優が感情を伝えるための「見方」を学び、実践しているからにほかなりません。
先ほど述べましたように、私たちは自分にとって大切な人に対する見方を自然に身につけていて、好ましくない相手には、その逆の見方をしています。しかし、「良くない見方」よりももっと相手にダメージを与える見方があります。それは、「相手を見ない」ことです。
人間の本能として、人は誰でも自分が攻撃されるかもしれない状況や、好ましくない相手に出会ったときには、その相手を見ないようにします。また、「自分はああはなりたくない」と思ったとき、無意識に目を逸らします。これはごく自然な対応です。
問題なのは、会話が成立しない認知症の方や、言葉を発することのない寝たきりの方、反応の乏しい方々に対してケアを行う時もまた、私たちは同様の態度を取ってしまいがちであることに無自覚であることです。
「あなたはここにいます」「あなたは大切な存在です」と伝えるためのコミュニケーションの柱を「全く使わない」とき、相手が私たちから受け取るメッセージは「あなたは、ここにいない」「あなたは大切ではない」となってしまいます。自分が誰かにそのように扱われ続ける状況をご想像になってみてください。ケアをする者の責務として、私たちは相手を「正しく見る」ことが求められているのです。
よくいただく質問に「目が見えない方に対して『見る』技術を使う必要があるでしょうか」というものがあります。答えは「必要です」。相手との親密な空間に入るための技術として「見る」を考えるとき、それは相手の視力とは無関係です。実際に盲学校の先生方とご一緒したとき、パーソナル・スペースについて実際に試してみました。目の見える方も全盲の方も、他者との心地よい距離は全く同じでした。見えなくとも、空気の動きや温度、声などで親密な空間を規定することができます。そして、ケアをする人はその方の親密な空間に存在することが不可欠なのです。
次回も「あなたのことを大切に思っている」ことを伝えるための技術についてお伝えします。