雨宿りの木

第15回

記憶の仕組みを理解する(2)

2022.07.25更新

 こんにちは。

 前回から記憶の仕組みについての話をしています。前回の話を振り返ると、私たちは周囲からの情報を感覚器を通して受け取っています(③)。脳には、知覚した膨大な情報の中から必要なものだけを選び取るフィルター(④)があって、選ばれた情報について大脳が分析をします。その情報はまず1つめの記憶の箱:短期記憶(②)に入ります。短期記憶の中から脳が「これは覚えておこう」と判断した内容が、2つめの記憶の箱 :長期記憶(①)に入ります。この関係を図示すると、以下のとおりです。

スクリーンショット 2022-07-25 11.57.02.png

出典:イヴ・ジネストほか 家族のためのユマニチュード(誠文堂新光社)より

 認知症をお持ちの方は、この(②)短期記憶がうまく働かなくなるために、今あったできごとを覚えておくことができず、何度も同じ質問をすることがあることを前回ご紹介しました。

 今回は、(①)「これは覚えておこう」と判断した内容が入る記憶の倉庫:長期記憶についてお話しします。

 短期記憶の中から選ばれて、倉庫に送られた記憶は4つの小部屋に仕分けられます。「意味記憶」「エピソード記憶」「手続き記憶」「感情記憶」の4つです。1つ目の小部屋「意味記憶」とは、私たちが学んで得たもの、たとえば言葉や名前、文字や知識、人の顔などです。  

 学校で勉強したことは、この意味記憶に保存されています。2つ目の小部屋「エピソード記憶」とは、私たちが経験した出来事に関する記憶です。楽しかった遠足、初めてのデート、子供の誕生などのうれしい出来事も、誰かを失ったり、大変な思いをした悲しい出来事もエピソード記憶として保存されています。3つ目の小部屋「手続き記憶」は、私たちが体を動かす作業についての記憶です。自転車に乗れることも、車の運転も、包丁を使った料理も、手続き記憶です。もっと遡ると、私たちが歩けるのも、どのくらい足を持ち上げて重心を移動すれば前に進むか、という赤ちゃんのときにたくさん転ぶ中で学んだ動きに関する記憶が残っているからこそ、できる動作です。4つ目の小部屋は「感情記憶」です。これは人生を通じて嬉しかったこと、楽しかったこと、悲しかったことなど感情についての記憶です。

 この4つの小部屋は独立しつつもつながっています。勉強するときに書きながら覚える、というやり方をすることがありますが、それは「意味記憶」と「手続き記憶」の組み合わせで、よりしっかりと学んだことを記憶に留めることができるからで、それに加えて"あのときは放課後に友達と問題を出し合いながら覚えたな。楽しかったな。"、などの「エピソード記憶」や「感情記憶」の力も同時に使うことが、記憶をより強く呼び起こす助けになります。

 その一方で、年齢を重ねていくと、いろいろなことを覚えておくことがだんだん難しくなりますが、この4つの小部屋には、忘れられていく順番もあります。まず最初に思い出すことが難しくなるのが、「意味記憶」です。誰かの名前がとっさに出てこなくなるのは、意味記憶に少し変化が生まれているからです。次に変化が出るのは「エピソード記憶」です。また、人の名前や出来事についてあまり覚えていない認知症をおもちの方が、とても上手に包丁を使ったお料理ができるのは、「手続き記憶」が「意味記憶」や「エピソード記憶」よりもしっかりと私たちの記憶として働いてくれるからです。「手続き記憶」がしっかりしている間は、ご自分のことはできるだけ自分でやってもらうことも、介護の大切なポイントです。

 さらに認知症が進むと、お箸の使い方がわからなくなったり、着替えがうまくできなくなったりしますが、これは「手続き記憶」を呼び出すことができなくなったからです。しかし、そのような状態になっても、「感情記憶」は残っています。

 認知症をお持ちの方と過ごすときには、この「感情記憶」を十分に使うことがご本人にとってとても安心できる鍵となります。「私が一緒にいるから、大丈夫ですよ」という相手の感情へのメッセージを、言葉による、もしくは言葉によらないやり方で相手に伝え続けることができれば、その人の顔や名前はわからなくても「この人は良い人だな。好きだな」という感情を記憶に残すことができます。逆に、相手を怒らせてしまったり、悲しい気持ちにさせてしまうと、「この人はひどい人だ。わたしは嫌いだ」という感情が記憶に残り、次に会ったときに敵対的な言動をとられてしまうことはよくあります。
  たとえばお風呂に入ってもらいたいときに、無理やりお洋服を脱がしたりすると「嫌だった」という感情記憶が強く残るので、次のお風呂がますます難しくなります。介護をするときには「感情記憶」の特徴をうまく活用して、行うケアが「楽しかった、良かった」と感じてもらえるようにすることが大切で、そのためには、これまでご紹介してきたユマニチュードの4つの柱を使ったコミュニケーションや、楽しい時間を一緒に過ごすためのケアの5つのステップを心がけてやってみることをお勧めします。

本田美和子

本田美和子
(ほんだ・みわこ)

国立病院機構東京医療センター総合内科医長/医療経営情報・高齢者ケア研究室長。1993年筑波大学医学専門学群卒業。内科医。国立東京第二病院にて初期研修後、亀田総合病院等を経て米国トマス・ジェファソン大学内科、コーネル大学老年医学科でトレーニングを受ける。その後、国立国際医療研究センター エイズ治療・研究開発センターを経て2011年より現職、高齢者・認知症患者のケアに関する研究に従事。2011年より『ユマニチュード』の研究・日本への浸透を担い、2019年7月一般社団法人日本ユマニチュード学会を設立、代表理事に就任。

※一般社団法人日本ユマニチュード学会は、フランス生まれのケア技法『ユマニチュード』の普及・浸透・学術研究と会員間の相互交流を通じ、誰もが自律できる社会の実現を目指して様々な活動を行っています。会員としてご一緒に活動いただける方、会の趣旨に賛同してのご寄附など、随時募集しております。詳しくは、ウェブサイトをご覧ください。

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